便り 黒石寺-岩手県奥州市 ・黒石寺 天台宗 岩手県奥州市水沢区黒石町字山内17黒石寺は、天平元年(729)行基菩薩の開山で、東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火にあい寺は焼失した。大同2年(807)飛騨(今の岐阜県)の工匠が方七間の薬師堂を再建し、嘉祥2年(849)第3代天台座主慈覚大師円仁が復興し妙見山黒石寺と改名した、天台宗の古刹である。(リンク先より) << 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 遍照寺-兵庫県美方郡 ・遍照寺 高野山真言宗 兵庫県美方郡香美町香住区小原616天平年間、行基菩薩によって開創され、天平宝字4年に洛陽椋橋山住僧法爾和上来臨され宝殿を築いて中興する。御本尊に十一面観世音菩薩を仰ぎ、法燈相伝えて1200有余年、幾多の栄枯盛衰の歴史の中、道俗こよなく浄心を運び地域の守護仏として十方を照らし安寧を願う。(リンク先より)※天平年間 729年から749年 << 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 興徳寺-大阪府大阪市天王寺区 ・興徳寺 高野山真言宗 大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17聖徳太子存世中に今の法円坂付近に「薬師院」として創建され、天平年間(729~749)に行基菩薩によって再建された畿内49ケ院のひとつと言われていますが、第二次世界大戦の大阪大空襲にて現在の山門以外の諸堂を焼失したため詳細は不明です。(リンク先より) << 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 西楽寺-広島県福山市 ・西楽寺 高野山真言宗 広島県福山市坪生町1354-1天平年中(729~748)行基菩薩による開創と寺伝に記されています。のち、坪生氏の祖先菩提寺として、弘安4年(1281)、支族陶山氏により再建されたました(福山志科)。現在の本堂は、昭和の初め手城町庵ノ下の益本屋(土屋家)住宅を移築したもので、江戸末期の庄屋建築を示す貴重な建物です。(リンク先より) << 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 妙法寺-香川県丸亀市 ・妙法寺 天台宗 香川県丸亀市富屋町9寺の起こりは天平年間に行基菩薩が諸国を遍歴した際、豊田郡和田村(現在の香川県三豊郡豊浜町和田)の正因山に一宇のお堂を建立したことに始まる。長宗我部元親の兵火による消失の後、再建されたが、文禄4年(1595)、豊田郡坂本郷(現在の香川県観音寺市坂本町)に移り、当時は日蓮宗不受布施派に属していた。(リンク先より)※天平年間 729年から749年 << 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 西国寺-広島県尾道市 ・西国寺 真言宗醍醐派 広島県尾道市西久保町29-27西國寺は天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山です。ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見て、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられます。時は西暦729年のこととされています。1066年に本堂炎上、行基作の本尊薬師如来も焼滅しましたが、永保元(1081)年、平安朝白河天皇の勅命により再建今に至ります。 伽藍の規模は正に西国一という意味を込め、西國寺と名付けられました。(リンク先より) << 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 宝輪寺-長野県松本市 ・宝輪寺 高野山真言宗 長野県松本市大字今井1333宝輪寺の創建は其年代往古にして詳らかではありませんが、天平年間、光明皇后御筆の法華経が最古の寺宝として伝えられています。平安時代初期、弘法大師御巡錫の折り、不動明王を描かれご本尊として祀り、山号を平城山と称したといわれています。安元・治承の頃、今井に住した今井四郎兼平、本寺の荒廃を歎き祈願寺として再建。自ら中興の開基となりました。(リンク先より)※天平年間 729年から749年 << 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 岩船寺-京都府木津川市 ・岩船寺 真言律宗 京都府木津川市大字岩船小字上ノ門43岩船寺は、729年に聖武天皇が行基に阿弥陀堂を建立させたことに始まります。。<< 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 天台寺-岩手県二戸市 ・天台寺 天台宗 岩手県二戸市浄法寺町御山御山久保33-1天台寺は、神亀5(728)年の開山とされる天台宗の寺院である。新しい寺の候補地を捜すよう聖武天皇から命じられた僧・行基が、八峯八渓(8つの峰と8つの谷)を持つこの山を八葉山(はちようざん)と名付け、桂の木を用いて観音菩薩像を彫り、天皇自らが記した天台寺という額を掲げて開いたと伝えられている。(リンク先より) << 戻る 0728.01.01 便り年表
便り 岡寺-奈良県高市郡 ・岡寺 真言宗豊山派 奈良県高市郡明日香村岡806・第六番 ⇒ 西国三十三所 第七番 東光山 岡寺 (龍蓋寺) ⇒ 第八番岡寺の創建は寺伝によるとおよそ1300年前、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立されました。開祖の義淵僧正とは伝説にみちた人で、生年不明(?~728)。(リンク先より) << 戻る 0728.01.01 便り年表
便り 千光寺-富山県黒部市 ・千光寺 高野山真言宗 富山県黒部市宇奈月町明日688明日山千光寺は高野山真言宗の古刹であり、神亀5年(728年)に創建された後、嘉永4年(1851年)に現在の明日山に移転されました。御本尊様は薬師瑠璃光如来立像という医師の役目をしてくれる仏様で、私たちの身と心の悩みを解決してくださる仏様として古来から信仰されてきました。御本尊様は17年に一度だけ御開帳され、お参りする事が出来ます。(リンク先より) << 戻る 0728.01.01 便り年表
年表 聖武天皇と東大寺 – 前身寺院・金鍾山寺建立 奈良時代は、政変・かんばつ・飢饉・凶作・大地震・天然痘の大流行などが相次ぎ、惨憺たる時代でした。このような混乱の中、神亀元年(724)2月、聖武天皇が24歳で即位し、待ちのぞんでいた皇太子基親王が神亀4年(727)10月5日に誕生します。ところが、神亀5年(728)9月13日、基親王は一歳の誕生日を迎えずして夭折されました。聖武天皇は、すぐに親王の菩提を追修するため金鍾山寺を建立(同年11月)し、良弁(のちの東大寺初代別当)を筆頭に智行僧九人を住持させました。天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これ... 0728.01.01 年表
便り 普門寺-愛知県豊橋市 ・普門寺 高野山真言宗 愛知県豊橋市雲谷町ナベ山下7当寺は、 奈良時代神亀4年(727)に行基によって開山されたと伝わっています。天文3年(1534)成立の『普門寺縁起』には、次のような伝承が記されています。関東に向かう途中で当山に登った行基が、この山の地景を奇特に感じ、寺院草創の志を抱き修行をしていた(リンク先より) << 戻る 0727.01.01 便り年表
便り 勝尾寺-大阪府箕面市 ・勝尾寺 高野山真言宗 大阪府箕面市粟生間谷2914-1・第二十二番 ⇒ 西国三十三所 第二十三番 応頂山 勝尾寺 ⇒ 第二十四番創建は神亀四年(727)、善仲、善算の双子兄弟が草庵を構え修業されたことに始まる。そののち天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子開成が二師出逢い止住し、宝亀六年(775)七月十三日般若台に大般若経六百巻を理経して一寺を建て、彌勒寺と号し、開山に至る。(リンク先より) 開山堂には、善仲、善算と開成皇子の木像が安置され、毎年十月二十九日は宮内庁と本寺で御正辰祭が勤められる。また彌勒寺当時、本堂のあった場所は、いま彌勒菩薩の大仏が大阪平野を見下ろし鎮座されている。宝亀十一... 0727.01.01 便り年表
便り 金剛寳戒寺-大分県大分市 ・金剛寳戒寺 高野山真言宗 大分県大分市上野丘2-8-27清瀧山 金剛宝戒寺は神亀4年(727年)聖武天皇の勅願を行基菩薩が奉じて創建し開山となった大分県でも由緒ある古刹です。大分郡荏隈郷五丁津留に建立された当山は寺領三万坪、金堂、塔、講堂の大伽藍と六十区の坊舎を配し大門、中門を備えた壮観なもので荘田二千余貫を有りしたと言われています。(リンク先より) << 戻る 0727.01.01 便り年表
便り 西巌殿寺-熊本県阿蘇市 ・西巌殿寺 天台宗 熊本県阿蘇市黒川1114阿蘇山西巌殿寺のおこりは、神亀3年(726)にさかのぼります。当時、阿蘇信仰の中心は「阿蘇のお池」と呼ばれる噴火口の湯溜まりでした。そもそも日本では、山は死者の世界であり同時に豊かな実りを生む水の源として信仰の対象とされていました。そのはかりしれぬ神秘を人々は畏(おそ)れ崇拝していましたし、その一方では、山へ入り、修行を積み、神霊の意志を伝えようとする山岳修行者もいました。(リンク先より) << 戻る 0726.01.01 便り年表
便り 薬王寺-徳島県海部郡 ・薬王寺 高野山真言宗 徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285-1・22番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第23番札所 医王山 無量寿院 薬王寺 ⇒ 24番札所醫王山無量寿院薬王寺は、神亀3年(726年)、行基菩薩が聖武天皇の勅願を受け、この地に巡鍚し、一寺を建立された。弘仁6年(815年)、弘法大師42歳のとき、平城上皇の勅命によって本尊厄除薬師如来を刻んで開基した阿波の国薬王寺は、四国八十八ヶ所第23番の霊場であり、厄除根本御祈願所として全国にその名を知られている。(リンク先より) << 戻る 0726.01.01 便り年表
便り 尊永寺-静岡県袋井市 ・尊永寺 高野山真言宗 静岡県袋井市豊沢2777神亀2年(725年)聖武天皇の勅(みことのり)により行基上人が開山した高野山真言宗別格本山である法多山は、勅願定額寺の列に偶せられ、朝廷、武将の篤信を授け信仰、文化の殿堂として栄えています。(リンク先より) << 戻る 0725.01.01 便り年表
便り 日石寺-富山県中新川郡 ・日石寺 真言密宗 富山県中新川郡上市町犬岩163※別名・金剛不壊寺日石寺の創建は神亀2年(725)行基が開いたのが始まりと伝えられています。古くから立山の山岳信仰の一端として寺運も隆盛し最盛期には21社60坊を抱える大寺として名を馳せました。天正年間(1573〜92)上杉勢の兵火に遭い多くの堂宇、寺宝、記録が焼失し衰退しましたが正保年間(1644〜48)に弘寒和尚により再興され、さらに加賀藩主前田利常の子宝祈願が成就したことで歴代前田家の祈願所として堂宇が再建されます。 本尊である大岩日石寺磨崖仏(国指定重要文化財)は不動明王像、二童子像(矜羯羅童子像・制咤迦童子像)、阿弥陀如来像、僧形像の... 0725.01.01 便り年表
便り 慈恩寺-大阪府池田市 ・慈恩寺 曹洞宗 大阪府池田市吉田町485草創は725年(神亀2年)聖武天皇の勅(民の平安を図る)を受け、京へ通ず街道の要路「長尾山山頂」に往来安全・人民安泰祈願道場として毘沙門天・大黒天・弁財天を奉安しお堂を創建したのが甫まりです。その後は弘法大師により中興され慈薗寺として法灯が受け継がれ、1721年吉田町に創建された禅道場『陽松庵』が、その外護者の大半が細河住民であったこともあり、 同寺に庇護されるところとなって「慈恩寺」と生まれ変わることになりました。人の往来が谷筋に変わった事もあり、明治20年(1887)10月現在地に移転されて今日に至ります。(リンク先より) << 戻る 0725.01.01 便り年表
便り 性翁寺-東京都足立区 ・木余り 性翁寺|龍燈山 貞香院 浄土宗 東京都足立区扇2-19-3神亀2年(725年)、この地に居住の足立之荘司宮城宰相が一人の娘「足立姫」と下女12人水死の難に遭った。父・荘司は悲嘆のあまり諸国廻行に出て熊野権現より霊木を授かり、海中に投げ入れると、霊木は当処へ流れ着いていた。 (旧来、熊の木の地名あり)この霊木を当地に行化の行基菩薩の御手で、六道流転化益に当たって六体の阿弥陀仏を彫刻し、六つの村里に安置して13人亡女子のため、 又、末代衆生利益のためとしたのが六阿弥陀の始まりである。(リンク先より) 0725.01.01 便り年表
便り 郷照寺-香川県綾歌郡 ・郷照寺 時宗 香川県綾歌郡宇多津町1435・77番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第78番札所 仏光山 広徳院 郷照寺 ⇒ 79番札所奈良時代(8世紀初め・神亀2年(725))、行基菩薩が開創し仏光山・道場寺と称していた。本尊の阿弥陀如来は行基の作と言われる。後に、弘仁6年(815)弘法大使42歳のころ、この地を訪れ、自作のご尊像を刻み厄除のご誓願をなされたことから「厄除うたづ大師」として信仰を集めている。その後、正応元年(1288)時宗の開祖・一遍上人によって浄土易行の法門の伝統が加わり、真言・念仏の2教の法門が伝わった。元亀、天正の兵火で伽藍を焼失した。(リンク先より)<< 戻る 0725.01.01 便り年表
便り 岩水寺-静岡県浜松市浜北区 ・岩水寺 高野山真言宗 静岡県浜松市根堅2238神亀2年(西暦725年)。人々の病気平癒、健康長寿を祈念した行基菩薩が薬師如来の尊像を刻み、開創されました。この総本尊様である薬師如来様は、弘仁6年(西暦815年)春、先年の薬子の変にて心身痛められておられました嵯峨天皇に、病魔退散の祈願をし、天皇は健康を取り戻されたと伝わっております。(リンク先より) << 戻る 0725.01.01 便り年表
便り 葛井寺-大阪府藤井寺市 ・葛井寺 真言宗御室派 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21・第四番 ⇒ 西国三十三所 第五番 紫雲山 葛井寺 ⇒ 第六番725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代に渡り制作され、行基菩薩により開眼せられたと伝えられる。 堂々とした体躯は奈良時代に流行した脱活乾漆造という技法で造られている。粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しく、現存する脱活乾漆仏は大変貴重である。(リンク先より) << 戻る 0725.01.01 便り年表
便り 竹林寺-高知県高知市 ・竹林寺 真言宗智山派 高知県高知市五台山3577・30番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第31番札所 五台山 金色院 竹林寺 ⇒ 32番札所竹林寺は、神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願を奉じた行基により唐の五台山(ごだいさん)になぞらえ開創されました。(リンク先より) << 戻る 0724.01.01 便り年表
便り 波着寺-石川県金沢市 ・波着寺 高野山真言宗 石川県金沢市石引2-18-1創建は神亀年間(724~729年)。白山信仰の寺として栄える。高野山真言宗の寺院。加賀初代藩主前田利家が越前府中に在城時、祈願所にした縁で、1619年(元和5年)加賀3代藩主前田利常の時、現在地に移転された。江戸時代には、1万坪の境内地があったが、現在も白山町として地名が残る。山号は泰澄山と言うが、白山あるいは白流山とも号している。本堂には白山の扁額が掛けられている。加賀騒動の大槻伝蔵が、小坊主の頃当寺に預けられていた。(リンク先より) << 戻る 0724.01.01 便り年表
便り 宝厳寺-滋賀県長浜市 ・宝厳寺 真言宗豊山派 滋賀県長浜市早崎町1664・第二十九番 ⇒ 西国三十三所 第三十番 竹生島 宝厳寺 ⇒ 第三十一番竹生島宝厳寺は、神亀元年聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。というお告げを受け、僧行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりです。(リンク先より)※神亀元年 724年 << 戻る 0724.01.01 便り年表
便り 財賀寺-愛知県豊川市 ・財賀寺ホームページ 高野山真言宗 愛知県豊川市財賀町観音山3724 神亀年中 当山を草創 財賀寺縁起 724 神亀年中 当山を開創 本堂棟札 724 神亀年中 行基菩薩の開闢 古記天、宮殿壁板写 813 弘仁4. 弘法大師が中興(リンク先より) << 戻る 0724.01.01 便り年表
便り 満願寺-兵庫県川西市 ・満願寺 高野山真言宗 兵庫県川西市満願寺町籬東7-1『伽藍開基記』によると創建は、奈良時代(神亀年間724~728)、「信者全ての願いは必ず聞き届けるという満願の仏の功徳をもって大衆を救おう」と発願されました。(リンク先より) << 戻る 0724.01.01 便り年表
便り 神武寺-神奈川県逗子市-観蔵院 ・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市桜山5-6-1・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市沼間2-1402醫王山来迎院と号する神武寺は、神亀元年(七二四)正月、聖武天皇の命により 行基菩薩が十一面観音・薬師如来・釋迦如来の尊像を彫刻・奉安し、玉体安穏・萬国和平・萬民豊楽の祈祷道場として開山された寺院です。(リンク先より) << 戻る 0724.01.01 便り年表