大本山

仏教を学ぶ

佛光寺-京都府京都市下京区

・本山佛光寺 真宗仏光寺派 京都府京都市下京区高倉通仏光寺下る新開町397越後流罪に遭われた親鸞聖人は、ご赦免の翌年建暦二年(1212)に京都に帰られ、山科の地に草庵を結ばれました。この草庵が佛光寺草創と伝えられています。当初、真宗開闢の根本道場を意味して、「興隆正法寺」と号しました。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

興正寺-京都府京都市下京区

・興正寺 真宗興正派 京都府京都市下京区堀川通七条上ル興正寺(こうしょうじ)は、親鸞聖人(1173~1262)を開祖とする真宗興正派の本山です。 興正寺の創建は鎌倉時代にさかのぼります。承元の法難(建永の法難)により越後国(新潟県)へと配流された親鸞聖人が、建暦元年(1211)に勅免をうけた後、翌建暦2年(1212)に京都へと一時帰洛して、山科の地に一宇を草創したことに始まります。興正寺という寺号は、順徳天皇(1197~1242)によって名づけられたと伝えられ、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しき法を興し、さかえさす」(正法を興隆する)との願いが込められています。(リンク先より)...
仏教を学ぶ

知恩院-京都府京都市東山区

・知恩院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町1211年(建暦 1年)法然上人帰洛。大谷山上の禅房(現在、勢至堂の場所)に入る 1212年(建暦 2年)正月二十五日、法然上人入滅。門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築く1227年(嘉禄 3年)比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却1234年(文暦 1年)法然上人の弟子源智が上人を開山として諸堂を興す1530年(享禄 3年)勢至堂の再興。後奈良天皇宸翰「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜う(リンク先より)<< 戻る
仏教を学ぶ

誠照寺-福井県鯖江市

・誠照寺 真宗誠照寺派 福井県鯖江市本町3-2-38上野山誠照寺(うわのさん じょうしょうじ)の起源は、承元元年(1207年)宗祖親鸞聖人越後へ配流のとき、越前上野ヶ原(うわのがはら)の豪族波多野景之の別荘にご滞在になり、弥陀本願の要法を説かれた、いわゆる、初転法輪の聖地に始まるとされています。 景之はその一族と共に聞法して、溢れる法悦に随喜し、念仏の行者となり、空然(くうねん)と称したと伝わります。この地を「車の道場」(略称 車屋)と称しています。(リンク先より)<< 戻る
仏教を学ぶ

建仁寺-京都府京都市東山区

・建仁寺 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町584建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

大念佛寺-大阪府大阪市平野区

・大念佛寺の公式サイト 融通念仏宗 大阪府大阪市平野区平野上町1-7-261127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。(リンク先より) 平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場と言われる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。(リンク先より)<< 戻る
仏教を学ぶ

仁和寺-京都府京都市右京区

・仁和寺 真言宗御室派 京都府京都市右京区御室大内33仁和寺は仁和4年(888)に創建された寺院であり、現在は真言宗御室派の総本山です。 境内には五重塔や二王門など江戸時代に建立された建造物が並びます。 同時期に植えられた御室桜は4月中旬に見頃を迎えますが、建物と同様、 当時と同じ姿を現在に伝えています。平成6年には世界遺産に登録されました。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

大覚寺-京都府京都市右京区

・大覚寺 真言宗大覚寺派 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。 嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。(リンク先より)<< 戻る
仏教を学ぶ

泉涌寺-京都府京都市東山区

・泉涌寺 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が  甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。 斉衡2年(855)左大臣藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与えて寺となし仙遊寺と称するようになり、建保6年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみた。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。(リンク...
仏教を学ぶ

禅林寺(永観堂)-京都府京都市左京区

・禅林寺(永観堂) 浄土宗西山禅林寺派 京都府京都市左京区永観堂町48仁寿 三 853 十月、真紹、藤原関雄の故居を買い取り、禅林寺の敷地に当てる。貞観 五 863 九月、清和天皇より鎮護国家の道場として勅額を賜い、「禅林寺」と名づける。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

善通寺-香川県善通寺市

・善通寺 真言宗善通寺派 香川県善通寺市善通寺町3-3-1・74番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第75番札所 五岳山 誕生院 善通寺 ⇒ 76番札所五岳山 善通寺の創建は、『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期成立)によると、唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日に斧始めを行い、弘仁4年(813)6月15日に落慶し、父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されています。(リンク先より)<< 戻る
仏教を学ぶ

比叡山延暦寺-滋賀県大津市

・比叡山延暦寺 天台宗 滋賀県大津市坂本本町4220最澄は12歳で近江の国分寺行表(ぎょうひょう)の弟子となり、宝亀11年(780)に得度、延暦4年(785)に奈良の東大寺戒壇院で具足戒(250戒)を受け、国に認められた正式な僧侶となられたのです。受戒後3ヵ月ほどで奈良を離れ、比叡山に分け入り修行の生活に入られました。そして若き僧最澄は願文を作り、一乗の教えを体解(たいげ)するまで山を下りないと、み仏に誓いました。その後、延暦7年(788)に一乗止観院(後の根本中堂)を創建、本尊として薬師如来を刻まれました。最澄亡き後、一乗止観院は「延暦寺」の寺額を勅賜され、比叡山延暦寺と呼ばれるようになりま...
仏教を学ぶ

東大寺-奈良県奈良市

・東大寺 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406-1・対馬 ⇒ 畿内 大和 総国分寺(東大寺) ⇒ 山城天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明四天王護国之寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。(リンク先より) << 戻る