千手観音

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本吉山清水寺-福岡県みやま市

・本吉山清水寺 天台宗 福岡県みやま市瀬高町本吉1119-1寺の言い伝えによると伝教大師は、唐から帰朝の折り、有明海の東方山中に美しく輝く光を発見されました。その光を求めて、一羽の雉を道案内にこの山に分け入ったところ、苔むした合歓(むね)の霊木に出会われたのでした。このうえなく喜ばれた大師は、大地から生えたままのこの樹に一丈六尺(約5メートル)の千手観音像を刻まれました。そして大同元年(西暦806年)にお堂を建立し、その観音様をお祀されました。(リンク先より) << 戻る
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金泉寺-長崎県諫早市

・金泉寺 高野山真言宗 長崎県諫早市高来町金泉寺は、空海 (弘法大師)が平安時代の初め頃(806~07)行基菩薩の遺跡を訪ね、ここに錫を留め山頂よりやや下った西側の清水のこんこんと湧き出る所に、身の丈四尺余の不動明王と二童子立像を刻んで本尊として建立した寺である。太良嶽大権現の神宮寺として肥洲の真言宗道場として多くの信徒に崇められて来た。即ち祈祷仏教として名高く「国家安泰、五穀豊穣、航海安全、神仏混交の名刹」として遠近の崇敬の聖地として栄え最盛期には30余の宿坊を数えたと言う。(リンク先より) << 戻る
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粉河寺-和歌山県紀の川市

・粉河寺 粉河観音宗 和歌山県紀の川市粉河2787・第二番 ⇒ 西国三十三所 第三番 風猛山 粉河寺 ⇒ 第四番奈良時代末 宝亀元年(770)の開創。当時、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古は、いつも幽谷の樹幹に足場を定めて、夜ごと猪や 鹿を狙っていたが、ある晩、光明輝く地を発見、発心してその場所に柴の庵を建てた。(リンク先より) << 戻る
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普門院-岡山県赤磐市

・普門院 真言宗御室派 岡山県赤磐市山口990当寺院は、奈良時代中期、報恩大師により開山と伝えられております。 備前四十八カ寺の一つとされ、開山当時は伽藍千有余・僧坊一千宇を数えました。(リンク先より) ご本尊: 十一面千手観世音菩薩開山: 760(天平宝字4)年<< 戻る
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西大寺-岡山県岡山市東区

・西大寺 高野山真言宗 岡山県岡山市東区西大寺中3-8-8天平勝宝3年(751年)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に草庵を開基し、千手観音を安置したのが創まりであった。(リンク先より) << 戻る
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乙津寺-岐阜県岐阜市

・乙津寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8−1歴史も長く奈良時代(738)から続いており、弘法大師とゆかりが深い古刹で「鏡島弘法」の名称で親しまれています。京都の東寺、神奈川県の川崎大師と並び日本三躰厄除け弘法大師のひとつと数えられています。(リンク先より)(旧アドレス:) << 戻る
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勝尾寺-大阪府箕面市

・勝尾寺 高野山真言宗 大阪府箕面市粟生間谷2914-1・第二十二番 ⇒ 西国三十三所 第二十三番 応頂山 勝尾寺 ⇒ 第二十四番創建は神亀四年(727)、善仲、善算の双子兄弟が草庵を構え修業されたことに始まる。そののち天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子開成が二師出逢い止住し、宝亀六年(775)七月十三日般若台に大般若経六百巻を理経して一寺を建て、彌勒寺と号し、開山に至る。(リンク先より) 開山堂には、善仲、善算と開成皇子の木像が安置され、毎年十月二十九日は宮内庁と本寺で御正辰祭が勤められる。また彌勒寺当時、本堂のあった場所は、いま彌勒菩薩の大仏が大阪平野を見下ろし鎮座されている。宝亀十一...
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道成寺-和歌山県日高郡

・道成寺 天台宗 和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738和歌山県最古の寺、天音山道成寺は大宝元年(701年)に創建されました。本堂など重要文化財の建造物や、国宝、文化財指定の仏像などをお祀りしています。(リンク先より) << 戻る
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慈光寺-埼玉県比企郡

・慈光寺公式HP 天台宗 埼玉県比企郡ときがわ町西平386九十六世信海が書きました寺伝『都幾山慈光寺実録』によりますと、天武天皇の2年(673年)癸酉、僧慈訓が当山に登り慈光老翁の委嘱を受け、千手観音堂を建て、観音霊場として開基しました。その頃、役小角が伊豆の国に配流となり、関東を歴遊して当山に至り、西蔵坊を設け修験道場としました。(リンク先より) << 戻る
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塩船観音寺-東京都青梅市

・塩船観音寺 公式ホームページ 真言宗醍醐派 東京都青梅市塩船194当観音寺は、山号を 大悲山 と称し、寺は地名の塩船を付けて『大悲山塩船観音寺』と申しております。塩船とは、周囲の地形が小丘に囲まれ 舟の形に似ており、仏が衆生を救おうとする大きな願いの舟である『弘誓の舟』になぞらえて塩船と名づけられたのであります。大化年間(西暦645~650年)に若狭国の八百比丘尼が一寸八分の紫金の観音像を当地に安置したのが開山と伝えられ、貞観年間(859~877年)には安然和尚が十二の坊舎を建て興隆を極めたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る