京都府(真言宗智山派)

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西福寺-京都府綴喜郡

・西福寺 真言宗智山派 京都府綴喜郡井手町大字井手小字柏原73(旧アドレス:)勅額を賜り摩尼遍照山大光明教寺と号しました。 << 戻る
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笠置寺-京都府相楽郡

・笠置寺 真言宗智山派 京都府相楽郡笠置町大字笠置29そびえ立つ、高さ15mの巨石。岩肌に刻まれていた「弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)」のお姿は消えていますが、いまも残る光背が往事をしのばせてくれます。巨石を御本尊とおまつりする笠置寺は、弥生時代には、岩そのものが神となり、奈良時代に東大寺お水取りの起源と言われる「正月堂」が建立され、また、山岳信仰の修行場となりました。(リンク先より) << 戻る
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智積院-京都府京都市東山区

・智積院 真言宗智山派 京都府京都市東山区東大路通り七条下ル東瓦町964鎌倉時代の中頃に、頼瑜(らいゆ)僧正が出て、大伝法院を高野山から根来山へ移しました。これにより、根来山は、学問の面でもおおいに栄え、最盛時には、2900もの坊舎と、約6000人の学僧を擁するようになります。智積院は、その数多く建てられた塔頭(たっちゅう)寺院のなかの学頭寺院でした。 しかし、巨大な勢力をもつに至ったため、豊臣秀吉と対立することとなり、天正13年(1585)、秀吉の軍勢により、根来山内の堂塔のほとんどが灰燼に帰してしまいました。その時、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は、難を高野山に逃れ、苦心のすえ、...
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大報恩寺-京都府京都市上京区

・千本釈迦堂 大報恩寺 真言宗智山派 京都府京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町鎌倉初期安貞元年(1227)義空上人によって開創された寺です。本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも両陣営から手厚き保護を受け、奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されています。義空上人は、藤原秀衡の孫にあたり、19才で比叡山澄憲僧都に師事、拾数年ののちこの千本の地を得て、苦難の末本堂をはじめ諸伽藍を建立しました。(リンク先より) << 戻る
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平等寺-京都府京都市下京区

・平等寺 真言宗智山派 京都府京都市下京区松原通烏丸東入因幡堂町728承安元年(一一七一)には、高倉天皇により「平等寺」と命名され、勅額を贈られました。(リンク先より) << 戻る
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六波羅蜜寺-京都府京都市東山区

・六波羅蜜寺 真言宗智山派 京都府京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町・第十六番 ⇒ 西国三十三所 第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺 ⇒ 第十八番六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963...
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海住山寺-京都府木津川市

・海住山寺 真言宗智山派 京都府木津川市加茂町例幣海住山20海住山の中腹、幽邃の地に、当海住山寺が創建されたのは、恭仁京造宮にさきだつ六年前、天平七年(735)のことと伝えられております。大盧舎那仏造立を発願あそばれた聖武天皇が、その工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と名づけたのに始まるということです。(リンク先より) << 戻る