京都府京都市東山区(臨済宗建仁寺派)

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両足院-京都府京都市東山区

・両足院 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町591⽂林寿郁(ぶんりんじゅいく)は知⾜院を護持し、両⾜院を創建した。林家からは累代、両⾜院住持を輩出し、⿓⼭徳⾒の遺志を守り続ける。さらに浄因は、⽇本に 「饅頭」を伝え、その末裔が⽼舗「塩瀬」をおこすなど、⾷⽂化に重要な功績を残している。(リンク先より) << 戻る
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高台寺-京都府京都市東山区

・高台寺 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る下河原町526“慈悲”と“救済”の菩薩である観音菩薩は、救いを求める者に応じて様々な姿に変化することが出来ます。技術が発達し、物心ともに豊かになった現代にあってなお、いまだ苦悩する多くの人々のため、観音菩薩は《アンドロイド観音マインダー》として、京都の高台寺の地にその姿をあわらされました。(リンク先より) << 戻る
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建仁寺-京都府京都市東山区

・建仁寺 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町584建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。(リンク先より) << 戻る
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六道珍皇寺-京都府京都市東山区

・六道珍皇寺 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町595当寺の開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都(きょうしゅんそうず)で、平安前期の延暦年間(782年〜805年)の開創である。当寺は、古くは愛宕寺(おたぎでら)とも呼ばれた。 しかし当寺の建立には、諸説があり空海説(「叡山記録」ほか)や小野篁説(伊呂波字類抄・今昔物語集)をはじめ、一説には宝皇寺(ほうこうじ)の後身説もある。宝皇寺とは、東山阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)(鳥辺山)山麓一帯に住んでいた鳥部氏が建立した寺で鳥部寺とも呼ばれていたが、今はその遺址(いし)も明らかでない。(リンク先より)<<...