不動明王

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不動寺-福岡県遠賀郡

・不動寺 真言宗泉涌寺派 福岡県遠賀郡岡垣町大字内浦885昭和39年12月10日、福岡県遠賀郡岡垣町内の有志者が結成した”筑紫不動会”が千葉県成田市の大本山成田山新勝寺より御分躰を当不動寺に勧請しました。(リンク先より) << 戻る
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勝光寺-大阪府河内長野市

・勝光寺 真言宗 大阪府河内長野市日野1379-6昭和三十一年夏の夜のこと、井本凡勝は激しい霊夢に襲われた。右手に剣、左手に青年を抱いた物凄い形相の不動明王が夢枕に立ち、「我は勝負の神なり、この世の勝負をつかさどる不動明王なり。我をまつれよ」と不動明王の激しい啓示を賜った。(リンク先より) << 戻る
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不動院-福岡県北九州市門司区

・不動院 真言宗醍醐派 福岡県北九州市門司区吉志171-3当山は、真言宗醍醐派(京都伏見にある醍醐天皇勅願寺・豊臣秀吉が晩年花見をされたことで有名な醍醐寺)の末寺にて、九州三十六不動霊場の第三十三番札所で、古くは現在の大分県国東半島にあったお寺であります。そのお寺を当山開山心玉阿闍梨が、大正十五年にこの地に移転再興し、現在に至っています。開山心玉阿闍梨は、身辺にあまりにも不幸が続くことに憂え出家、厳しい修行に耐え心願成就なされました。(リンク先より) << 戻る
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高野寺-熊本県人吉市

・高野寺 真言宗大覚寺派 熊本県人吉市下青井町47当山は、大正十五年に初代良戒大和尚により開山せられました。その当時から、“お大師さん”や“こうやさん”と呼ばれ、皆様に親しまれています。山門は入りまして左手すぐのところに「新四国八十八カ所霊場」の八十八体の佛様が鎮座されておられます。(リンク先より) << 戻る
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密厳寺-北海道余市郡

・密厳寺 真言宗豊山派 北海道余市郡余市町大川町10-17明治三十一年開山、米沢から来道し庵を結ぶ普及所となる。 昭和十一年に本堂を再建し、寺号公称する。総本山は長谷寺。ご本尊は十一面観音、秘佛歓喜天、大日如来、脇には大聖不動明王。(リンク先より) << 戻る
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水上寺-群馬県利根郡

・水上寺 真言宗智山派 群馬県利根郡みなかみ町湯原358当山、成田山水上寺は、西暦1888年・明治21年に千葉県成田市の真言宗智山派の大本山成田山新勝寺より勧請した不動明王をお祀り致しております。(リンク先より) << 戻る
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新栄寺-北海道札幌市中央区

・新栄寺 真言宗醍醐派 北海道札幌市中央区南7条西3丁目2番地成田山新栄寺は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の札幌別院です。当山の開創は明治時代です。 明治2年(1869年)に北海道開拓使が置かれて以来、本州、四国、九州方面から多くの人々が新天地開拓のために北海道へ移住しました。自然環境の厳しい北海道の開拓は容易ではなく、筆舌に尽くせぬ艱難辛苦を味わった、と当時の記録にあります。そのような苦労の中、心の支えとしてお不動さまを信仰していた人々が発起人となり、明治18年(1885年)、現在の地に仮堂を建設し大本山より御本尊不動明王のご分身を勧請し開創されました。(リンク先より) << 戻る
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函館寺-北海道函館市

・函館寺 真言宗智山派 北海道函館市松風町15-17当山は、明治16年(1883)真言宗智山派大本山成田山新勝寺のご本尊大聖不動明王のご分霊を勧請し、明治29年(1896)開創され、成田山凾館寺(通称成田山凾館別院)と号します。昭和9年(1934)未曾有の業火凾館大火にて本堂・客殿・庫裡全てが烏有に帰し、昭和10年(1935)仮堂を建立。(リンク先より) << 戻る
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功徳院-大分県由布市

・功徳院 高野山真言宗 大分県由布市庄内町龍原443延宝 5年(1677)大分県に開創 本尊=不動明王明治18年(1885)大分郡庄内町(現由布市)に移転昭和63年(1988)巣鴨に東京別院建立 本尊=金剛界大日如来巣鴨平和霊苑開設(リンク先より) << 戻る
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香林寺-石川県金沢市

・香林寺 曹洞宗 石川県金沢市野町1-3-15慶安4年(1651)に加賀藩家老青木五兵衛が加賀藩3代藩主前田利常公に願い出て、長岩和尚を開山として建立された曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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荘厳寺-千葉県香取市

・諏訪山荘厳寺 単立 千葉県香取市佐原イ1110・荘厳寺本尊不動明王。開基は寛永18年となっていますが、境内に永禄年間の板碑があり室町時代に遡れると郷土歴史家は言います。かつては真言宗豊山派に属しており、佐原市牧野にある観福寺の末寺でありましたが、平成8年1月単立となりました。(リンク先より)※寛永18年 1641年 << 戻る
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江巖寺-宮城県仙台市青葉区

・江巖寺 曹洞宗 宮城県仙台市青葉区柏木3-7-40政宗43歳、晩年に近づいていた政宗は、落ち着いた人情味を持ち、子供を思う気持ちが一段と強くなっていた。7歳といえば可愛い盛りである。そういう時に竹松丸君は夭折した。1615(元和元年)年3月18日のことである。 江巖寺開山鱗庵光 金大和尚(輪王寺十世)の導師にて慇勤に葬儀を営み「江巖寺殿惠春大禅定門」と法諡(おくりな)したが、政宗その死をいたく悲しんでいとけなき 人は見果し ゆめかとよ うつつに残る 老の身のうきと詠じ、竹松丸の菩提を弔うため一寺を創建して、微笑山江巖寺と号した。(リンク先より)<< 戻る
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常性寺-東京都調布市

・調布不動尊常性寺 真言宗豊山派 東京都調布市国領町1-2-8常性寺は、正式には「医王山長楽院常性寺」と称し、鎌倉時代に創建された由緒ある真言宗豊山派の寺院です。往古は多摩川沿いに壮麗な諸堂が建立されていましたが、安土桃山時代の慶長年間に旧甲州街道沿いの現在地に移築させられました。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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薬研堀不動院-東京都中央区

・薬研堀不動院 真言宗智山派 東京都中央区東日本橋2-6-8天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、天正19年(1591)、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。(リンク先より) << 戻る
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大徳寺-高知県南国市

・大徳寺 高野山真言宗 高知県南国市大桶乙2194戦国時代初頭、天正三年に長宗我部元親公の熊野権現勧請に際し、別当として吾岡山の東端に吾岡山延寿院吾岡寺として創建される。(リンク先より)※天正三年 1575年 << 戻る
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総徳寺-栃木県那須郡

・昇覚院総徳寺 真言宗智山派 栃木県那須郡那珂川町大山田下郷1724真言宗智山派み属し、寶珠山 曻覺院 總徳寺という。本尊は不動明王を安置し鎌倉仏師運慶の作と伝えられる。1217 (健保5)年 光寶上人により開基。醍醐無量寿院の直末となる。八溝山周囲三県に渡り、末寺二十八ヶ寺を有す。江戸時代 水戸領となり、光圀公の時代寺社改革のため多数の寺が破却されるも存続を許される。(リンク先より) << 戻る
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蓮花院-埼玉県入間市

・蓮花院 妙智寺 【公式】 真言宗智山派 埼玉県入間市春日町2-9-1蓮花院は、世音山蓮花院妙智寺といい、真言宗智山派に属します。本尊は大聖不動明王ですが、武蔵野三十三観音霊場十八番札所本尊である、千手千眼観世音菩薩(通称は黒須観音)が特に有名です。境内には指定文化財の観音堂のほかに、位牌堂、大師堂、弁天堂、鐘楼、山門、庫裏等があります。建長元年(1201年)、歌人としても知られた寂蓮法師により開かれたといわれております。(リンク先より) << 戻る
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宝善院-神奈川県平塚市

・宝善院 東寺真言宗 神奈川県平塚市平塚1-23-16建久三年、鎌倉八幡宮寺(今の鎌倉八幡宮:明治維新までは関東地方屈指の真言系巨大寺院であった)に下向した京都・東寺の学問僧によって開山されました。源実朝公の妻の念持仏と伝えられる、京都より請來の不動明王です。(リンク先より)※建久三年 1192年 << 戻る
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宝仙寺-東京都中野区

・宝仙寺 真言宗豊山派 東京都中野区中央2-33-3『武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起』によると、宝仙寺は 平安後期の寛治年間(1087~94)源義家によって創建されました。このとき義家は、奥州・後三年の役を平定して凱旋帰京の途中にあり陣中に護持していた不動明王像を安置するための一寺を建立したのでした。(リンク先より) << 戻る
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寶龍寺-山梨県南巨摩郡

・寶龍寺 真言宗醍醐派 山梨県南巨摩郡早川町黒桂171甲斐国寺記によると、1019年6月、範晃という僧が京で雨乞いの密法修行をしたところ、3日目に雲の中から黄金の玉を持つ大龍が出現。人々が奇異に思っていると大雨が降り出し、これにより干ばつから救われました。範晃はこのときより宝龍和尚と呼ばれるようになり、その後、宝龍和尚は不動明王像を持って甲斐の国へ来たり、山家に寳龍寺を創建したと伝えられています。創建時の寺は1594年に焼失しましたが、1601年に法印良祐によって堂舎が再建され、中興開山としています。(リンク先より) << 戻る
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弘行寺-千葉県長生郡

・長生不動尊 弘行寺 天台宗 千葉県長生郡睦沢町下之郷1875971年(天禄二年)寺史によると十八代天台座主慈恵大師良源(元三大師)によって創建当初は浅間山付近(玉垣神社向かい)に堂宇が建立され、如願寺(女元寺)と称す(浅間山は古墳群として知られ宝剣類、変形獣形鏡、三輪玉、和泉期の高杯などが出土。年代は5世紀後半から6世紀後半)古文書に「女元寺村の祈禱所にて滅罪一人もなき寺」とあり(リンク先より) << 戻る
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伊崎寺-滋賀県近江八幡市

・伊崎寺 天台宗 滋賀県近江八幡市白王町1391伊崎寺は山号を「姨倚耶山(いきやさん)」といい、近隣にある西国三十三所札所である長命寺と同じ山号です。長命寺から連なる山系上に立地しています。伝承では奈良時代、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)がここを最初に見つけられて行場としたといわれています。その折、イノシシが役行者をこの地に導いたということから「猪先(いさき)」という名になったと伝えられています。その後、貞観年間(859〜876)に相応(そうおう)和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置されました。(リンク先より) << 戻る
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安楽院-神奈川県小田原市

・安楽院 真言宗東寺派 神奈川県小田原市国府津1762【本尊】 大聖不動明王(ダイショウフドウミョウオウ) 【脇佛】 十一面観世音菩薩・地蔵菩薩・千手千眼観世音菩薩・弘法大師両部曼荼羅図像・八祖大師図像【開創】 天長10年(833年)6月15日(リンク先より) << 戻る
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七宝瀧寺-大阪府泉佐野市

・犬鳴山七宝瀧寺 真言宗犬鳴派 大阪府泉佐野市大木8淳和天皇(824〜834)の時、天下大早魃があり、そこで淳和天皇は諸国の霊山、神社仏閣に祈雨の祈願をさせ、当山でも住侶が本尊不動明王に祈雨の大法を修しました。すると霊験空しからず、泉州一円は慈雨に恵まれることができました。そこで淳和天皇は、犬鳴山中にある著名な七瀑を金銀などの七宝に因んで、 七宝瀧寺と命名しました。(リンク先より) << 戻る
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密厳寺-徳島県三好市

・密厳寺 真言宗御室派 徳島県三好市池田町西山3798当山は弘仁七年、嵯峨天皇の御守、弘法大師により、讃州本山寺、阿讃境中蓮寺、阿波密厳寺は三寺院共、一種一様一我を以って一夜に建立さられたと伝えられています。本尊を聖観音菩薩とし、脇仏不動明王は大師の爪彫りの作にして崇め奉り、家内安全、除災招福の他に、特にご婦人の産妊の安全、子育安全に御利益があり、古来より遠近の信仰の拠り所となっております。(リンク先より)※弘仁七年 816年 << 戻る
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円通寺-福島県いわき市

・円通寺 真言宗豊山派 福島県郡山市田村町守山字滑津39この寺は、真言宗に属し平安時代に開宗した弘法大師空海上人の教えのもと大同二年(807年)初代住職徳一上人によって開創となり永享十二年2月、(1440年)宥徳上人の代に再興開山(リンク先より) << 戻る
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萩原寺-香川県観音寺市

・萩原寺 真言宗大覚寺派 香川県観音寺市大野原町萩原2742萩原寺は、地蔵院と号し平城帝の大同二年の弘法大師の開創であり、朱雀天皇勅願談議所でありました。不動明王は大師ご自作で霊験古今に顕著であります。のちには細川勝元公の祈願所にもなりました。(リンク先より)※大同二年 807年 << 戻る
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龍願寺-群馬県前橋市

・龍願寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市粕川町中之沢349本尊は不動明王(波切不動明王)。大同2年(806年)10月空海(後の弘法大師)様御帰朝の際、玄界灘の荒れ狂う風と波に船は翻弄され、たびたび沈没の危機にさらされた時、大師様が祈念され不動明王を示現されました。 (リンク先より) << 戻る
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金泉寺-長崎県諫早市

・金泉寺 高野山真言宗 長崎県諫早市高来町金泉寺は、空海 (弘法大師)が平安時代の初め頃(806~07)行基菩薩の遺跡を訪ね、ここに錫を留め山頂よりやや下った西側の清水のこんこんと湧き出る所に、身の丈四尺余の不動明王と二童子立像を刻んで本尊として建立した寺である。太良嶽大権現の神宮寺として肥洲の真言宗道場として多くの信徒に崇められて来た。即ち祈祷仏教として名高く「国家安泰、五穀豊穣、航海安全、神仏混交の名刹」として遠近の崇敬の聖地として栄え最盛期には30余の宿坊を数えたと言う。(リンク先より) << 戻る
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宝輪寺-長野県松本市

・宝輪寺 高野山真言宗 長野県松本市大字今井1333宝輪寺の創建は其年代往古にして詳らかではありませんが、天平年間、光明皇后御筆の法華経が最古の寺宝として伝えられています。平安時代初期、弘法大師御巡錫の折り、不動明王を描かれご本尊として祀り、山号を平城山と称したといわれています。安元・治承の頃、今井に住した今井四郎兼平、本寺の荒廃を歎き祈願寺として再建。自ら中興の開基となりました。(リンク先より)※天平年間 729年から749年 << 戻る
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日石寺-富山県中新川郡

・日石寺 真言密宗 富山県中新川郡上市町犬岩163※別名・金剛不壊寺日石寺の創建は神亀2年(725)行基が開いたのが始まりと伝えられています。古くから立山の山岳信仰の一端として寺運も隆盛し最盛期には21社60坊を抱える大寺として名を馳せました。天正年間(1573〜92)上杉勢の兵火に遭い多くの堂宇、寺宝、記録が焼失し衰退しましたが正保年間(1644〜48)に弘寒和尚により再興され、さらに加賀藩主前田利常の子宝祈願が成就したことで歴代前田家の祈願所として堂宇が再建されます。 本尊である大岩日石寺磨崖仏(国指定重要文化財)は不動明王像、二童子像(矜羯羅童子像・制咤迦童子像)、阿弥陀如来像、僧形像の...
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東福寺-徳島県美馬郡

・東福寺 真言宗御室派 徳島県美馬郡つるぎ町木屋341縁起では、神亀元(724)年 忌部大祭主玉渕宿祢が忌部神社の法楽として、法福寺を建立、さらに、東寺、西寺を建て、後東寺を東福寺と改め、忌部別当とした。また、弘法大師が巡錫の時、南山に宝剣が下るのを見て、不動明王を刻み本尊として、弘仁3(812)年に開創したとも伝う。(リンク先より) << 戻る