人物

楊岐方会(ようぎほうえ)

中国宋代の臨済宗楊岐派の禅僧。石霜楚円禅師に就いて嗣法。弟子には白雲守端、茶陵郁山主、石霜守孫、長慶顕瓊、君山守巽、法輪惟一、欽山智因、保寧仁勇など多数。語録に『楊岐會和尚語録』、『楊岐會和尚後録』、『楊岐會和尚語要』。筠州の古刹である九峰寺で出家得度し、諸国行脚の後、石霜楚円の門下となり、潭州瀏陽道吾山、瀏陽石霜山へと移り大悟する。筠州の九峰寺に戻った後、請われて袁州楊岐山の普明院の住持となります。楊岐派の祖として知られ、日本に伝えられた臨済禅のうち、黄龍派の禅を伝えた栄西禅師以外の全てがこの楊岐派に属することは特筆すべきことでしょう。・「楊岐山の会禅師、住持の時、寺院旧損してわづらい有りし...
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楊貴妃(ようきひ)

中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、傾国の美女と呼ばれる。世界三大美人の一人で古代中国四大美人の一人とされる。壁画等の類推から、当時の美女の基準からして実際は豊満な女性であった。生誕 719年6月22日(開元7年6月1日)命日 756年7月15日(至徳元載(元年)6月14日)<< 戻る
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『法句経』ダンマパダ【 第13章 世の中 】

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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】1、欲望

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四大聖地(よんだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に問いました。「ブッダが亡くなったのちには、もう、ブッダにお会いすることはできないのでしょうか?」その問いにブッダが答えたのが四大聖地です。■ルンビニ(ブッダが生まれた地)藍毘尼■ブッダガヤ(ブッダが悟りを開いた地)仏陀伽邪■サールナート(ブッダが教えを説き始めた地)鹿野苑■クシナガラ(ブッダが亡くなった地)拘尸那掲羅これらの四つの場所が、信仰心ある者が実際に訪れて見て感動する場所であると、ブッダがアーナンダに伝えたのでした。(出典:『ブッダ最後の旅』【 第5章 】18、病い重し 8偈)<< 戻る