東京都江東区

便り

常光寺-東京都江東区

・常光寺 曹洞宗 東京都江東区亀戸4-48-3<< 戻る
便り

摂心院-東京都江東区

・摂心院 浄土宗 東京都江東区三好2-11-14<< 戻る
便り

東覚寺-東京都江東区

・東覚寺 真言宗智山派 東京都江東区亀戸4-24-1<< 戻る
便り

唱行院-東京都江東区

・唱行院 日蓮宗 東京都江東区三好1-3-19<< 戻る
便り

光明寺-東京都江東区

・光明寺 真宗大谷派 東京都江東区千田9-7昭和5年(1930)4月に真宗出雲路派の説教所として、現在の千田21番地に創立された。戦災によって焼失し、昭和22年(1947)に現在地に建立され、翌年、現在の寺号に改められた。後に大谷派に属するようになり、これを機に宗教法人となった。(リンク先より) << 戻る
便り

因速寺-東京都江東区

・因速寺公式ホームページ 真宗大谷派 東京都江東区東砂1-4-10因速寺は、江戸時代の初め元和9年(1623年)に釋定玄法師によって、江戸・京橋竹町に建立されました。その後、寛永2年に江戸・木挽町八丁堀に移転しましたが、類焼により、江戸・黒江町(現在の江東区永代2丁目)に寺基を移しました。大正12年(1923年)の関東大震災により寺は炎上してしまいましたが、昭和2年(1927年)に第10世・釋定因法師が現在の江東区東砂1丁目に再建されました。(リンク先より) << 戻る
便り

心行寺-東京都江東区

・双修山 心行寺 浄土宗 東京都江東区深川2-16-7双修山養源院と号し、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立。開山は観智国師の高弟、光蓮社団誉一路屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室養源院殿である。寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転した。(リンク先より) << 戻る
便り

雲光院-東京都江東区

雲光院 浄土宗 東京都江東区三好2-17-14徳川家康公の側室阿茶局の菩提寺として、慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願により、増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人(初代住職)として仰ぎ開創されました。阿茶局の法号「雲光院」がそのまま寺の名称になりました。 開創地は中央区馬喰町付近でありましたが、明暦三年(1657年)の大火に被災し、神田岩井町に替地となり、天和二年(1682年)現在の深川の地に再び替地となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

重願寺-東京都江東区

・重願寺 浄土宗 東京都江東区猿江1-11-15當山は所伝によると天正18年(1590)千葉邦胤の女(娘)、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創され、ついで寛永6年(1629)普光観智国師(増上寺第十二世)の高弟、本蓮社願譽是哲上人によって開山され、不虚山 當知院 重願寺と称しました。この寺号は『往生礼讃』という書物に唐代の善導大師みづからの信仰体験を記し、「深く阿弥陀佛を信じて称名念佛するものは必ず浄土に救いとろうと誓われたご本願は決して虚りではない」(當知本誓重願不虚、衆生称念必得往生)と言われた言葉に基づくものです。(リンク先より) << 戻る
便り

龍眼寺-東京都江東区 – 萩寺

・龍眼寺 通称萩寺 天台宗 東京都江東区亀戸3-34-2龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。(リンク先より) << 戻る