「 最澄上人 」 一覧
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伝教大師の諡号が贈られる
貞観8(866)年、清和天皇より最澄上人に伝教大師の諡号が贈られました。大師号も日本ではこれが最初です。 << 戻る
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延暦寺という寺号を授けられる
弘仁14(824)年、嵯峨天皇は最澄上人の死を惜しまれ、延暦寺という寺号を授けられました。このときから比叡山寺(日枝山寺)から延暦寺と呼ばれるようになりました。年号を寺号にしたのは、日本ではこれが最初 ...
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伝教大師 最澄上人(でんぎょうだいし さいちょうしょうにん)
0822/06/04 -人物, 仏教を本気で学ぶ, 年表
06月04日, 08月18日, 822年, さ, て, 天台宗の出来事, 平安時代, 最澄上人, 比叡山延暦寺-滋賀県大津市, 行表, (命日)06月04日, (生誕)08月18日最澄とは、平安時代の僧で、日本天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られます。中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建立して天台宗の開祖となりました。伝教大師とは、最澄のことで ...
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天台法華宗年分学生式を奏上
弘仁9(818)年5月13日、『天台法華宗年分学生式』(てんだいほっけしゅうねんぶんがくしょうしき)(『六条式』『山家学生式』(さんげがくしょうしき)とも)を最澄上人が天皇に奏上しました。そこには、比 ...
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天台宗が公認される
延暦25(806)年、華厳宗・律宗・三論宗(成実宗含む)・法相宗(倶舎宗含む)に天台宗を加えて十二名の年分度者が許されることになり、天台宗が公認されました。このころ、最澄上人は空海から、真言、悉曇(梵 ...
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最澄上人、中国で修行し帰国
中国に着いた最澄上人は、今の浙江省天台県に位置する天台山に赴き、修禅寺の道邃(どうずい)・仏隴寺の行満(ぎょうまん)に天台教学を学び、道邃より大乗菩薩戒を受けます。その後禅林寺の翛然(しゅくねん)より ...
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最澄上人、遣唐使船で中国に渡る
延暦21(802)年、桓武天皇より入唐求法(にっとうぐほう)の還学生(げんがくしょう、短期留学生)に最澄上人が選ばれ、延暦23(804)年7月、遣唐使船で中国に渡りました。当時、中国に渡るのは命がけの ...
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比叡山延暦寺-滋賀県大津市
0788/01/01 -便り, 年表
788年, 大本山, 天台宗, 天台宗の出来事, 奈良時代, 最澄上人, 比叡山延暦寺-滋賀県大津市, 滋賀県, 滋賀県大津市, 滋賀県大津市(天台宗), 滋賀県(天台宗), 行表・比叡山延暦寺 天台宗 滋賀県大津市坂本本町4220 最澄は12歳で近江の国分寺行表(ぎょうひょう)の弟子となり、宝亀11年(780)に得度、延暦4年(785)に奈良の東大寺戒壇院で具足戒(250戒) ...
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最澄上人、一乗止観院を建立
延暦7年(788)年、最澄上人は薬師如来を安置する一乗止観院を建立します。現在の総本堂・根本中堂にあたります。 << 戻る
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最澄上人、具足戒を受ける
0785/01/01 -年表
785年, 天台宗の出来事, 平安時代, 最澄上人, 東大寺-奈良県奈良市, 比叡山延暦寺-滋賀県大津市最澄上人は奈良の都に行き、さらに勉学を積みました。そして延暦4(785)年、東大寺で具足戒を受けました。受戒後、比叡山に籠り一人修行を続けます。 << 戻る
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最澄上人の得度
宝亀9(778)年、12歳のとき、近江の国分寺(現在の大津市石山)に入り行表の弟子となりました。宝亀11(780)年11月12日、14歳で国分寺僧補欠として得度し、「最澄」という名前をいただきました。 ...
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最澄上人の誕生
伝教大師 最澄上人は、神護景雲元(767)年8月18日、現在の滋賀県大津市坂本の一帯を統治していた三津首百枝(みつのおびとももえ)の子として誕生しました。俗名は広野(ひろの)です。 << 戻る