滋賀県(曹洞宗)

便り

甘露寺-滋賀県彦根市

・甘露寺 曹洞宗 滋賀県彦根市稲里町1646 << 戻る
便り

天寧寺-滋賀県彦根市

・天寧寺 曹洞宗 滋賀県彦根市里根町232井伊直中が、腰元若竹の不義をとがめ罰しました。その後相手が自分の息子とわかり、自分の過失を認め、腰元と初孫の菩提を弔うために創建されました。境内の十六体の羅漢像は、16ケ国の大名から贈られたものです。秋になると萩の花が咲くことから、別名萩の寺ともいいます。山門脇に井伊直弼の供養塔や直弼の参謀格だった長野主膳の墓、たか女の碑などが境内にあります。近江七福神「布袋尊」<< 戻る
便り

安昌寺-滋賀県大津市

・安昌寺 曹洞宗 滋賀県大津市膳所1-9-15久林寺安昌寺といい、初め三河国(愛知県)伊奈にあり東漸寺といいましたが、慶長6年(1601年)、本多康俊が三河国西尾城主となった時に、この寺も移り久林寺安昌寺と改称されました。その後、本多侯の移封に伴って膳所、伊勢亀山と移り、慶安4年(1651年)本多侯が膳所再封により、現在地に定まりました。(リンク先より) << 戻る
便り

全長寺-滋賀県長浜市

・全長寺 曹洞宗 滋賀県長浜市余呉町池原文明元年(1469)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開き、全長坊と称す。大永六年(1526)全長示寂を前に禅門に帰依し、同郡椿坂村曹洞宗桂照院二世頤正全養(いしょうぜんよう)に請うて全長坊を託す。慶弔二年(1597)頤正禅師、全長の意を受け全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久澤山全長寺と改め、当寺の開山となる。(リンク先より) << 戻る
便り

青岸寺-滋賀県米原市

・青岸寺 曹洞宗 滋賀県米原市米原669南北朝延文年間(1356年~1361年)この地には当時の近江守護職であった佐々木京極道誉によって建てられた米泉寺がありましたが、永正の初め(1504年)の兵火で焼失しました。その時、本尊聖観音像のみが難を逃れ、その後小堂にて長く祀られることとなります。 その後は下って江戸時代、彦根大雲寺三世要津守三和尚が当地を遊行していた折に、朽ちた小堂に祀られた観音像を拝しひどく心を痛め、慶安3年(1650年)に再興を期して当山に入山。その際、敦賀の在人、伊藤五郎助の尽力により殿堂、伽藍はすぐに建立しましたが、程なくして五郎助は亡くなりました。守三和尚はこれを悼み、氏...
便り

興聖寺-滋賀県高島市

・興聖寺 曹洞宗 滋賀県高島市朽木岩瀬374四条天皇の嘉禎3年(西暦1237年)近江源氏(宇多源氏)近江守護佐々木信綱が京都で宋から帰洛された曹洞宗開祖 道元禅師に謁し、承久の乱で戦死した一族の供養をお願いし、朽木の里に拝請、このとき禅師は付近の山野の風景が伏見深草の興聖寺に似て、絶景だと喜ばれ一寺の創建を奨められ、山号を高巌山興聖寺とするよう勧奨されました。それから三年仁治元年、七堂伽藍が完成し、遷仏式には永平二世孤雲懐奘禅師の拝請を賜り、盛大に挙行され、それ以来当山が曹洞宗第三の古道場といわれました。(リンク先より) << 戻る
便り

冷泉寺-滋賀県近江八幡市

・冷泉寺 曹洞宗 滋賀県近江八幡市千僧供町252大同三年(八〇八年)行基菩薩開創の七堂伽藍を備えた巨刹「蔓陀羅坊」(千僧供廃寺)遺跡を継承由来する。御本尊十一面千手観世音菩薩立像をはじめ、 薬師如来坐像、地蔵菩薩像、多聞・持国・増長・広目の四天王立像の七体は平安時代の仏像で 国の重要文化財に指定され、(昭和二十六年)この蔓陀羅坊の尊像であったものである。(リンク先より) << 戻る