便り 圓福寺-新潟県長岡市 ・圓福寺 真言宗智山派 新潟県長岡市川袋町989当山は1300年ほどの歴史があり、御本尊大日如来は慈覚大師円仁(794-864年)作です。現在地には350年前に蓮乗ヶ原から移転し、芹川町には圓福寺屋敷があったそうです。本堂は昭和50年、薬師堂は昭和59年に再建されたものです。(リンク先より) << 戻る 1975.01.01 便り年表
便り 浄信院-新潟県新潟市中央区 ・浄信院 浄土宗 新潟県新潟市中央区本町通14-3069①【称号】入船地蔵尊 【寺号】浄信院 【山号】紫雲山 ② 当山創建 慶応元年(1865年)③ 当山開基上人 関川貞信法尼④ 御 本 尊 入舩地蔵菩薩立像⑤ 宗 派 浄土宗(総本山_知恩院)⑥ 歴代住職❍開基 関川貞信法尼 ❍二世 関川定治上人❍三世 関川定七上人 ❍四世 関川徳秀上人❍五世 関川徳成上人 ❍六世 関川亮順上人(リンク先より)<< 戻る 1865.01.01 便り年表
便り 国府別院-新潟県上越市 ・国府別院 浄土真宗本願寺派 新潟県上越市国府1-7-1本願寺国府別院の本堂は寛政10年(1798)に造立、 文化2年(1805)に建立され、総﨔造りの本堂にして、当時の越後地方の寺院建築としては実に稀に見る壮麗なるもので、建築費なども相当多額 のものであったと想像されます。 また、内陣の様式なども土地狭き関係から、出内陣として、余間は極端に小さくしてあります。内陣正面の同一須弥 壇上に宮殿(本尊を安置)と厨子(親鸞聖人を安置)とを設置してあるのが特徴で、内陣外陣の天人・その他の彫刻・天井絵、内陣の壁画や外陣 の極彩色等いずれも上方一流の技能が窺われ、地方寺院のものとしては他に比類なきものであ... 1798.01.01 便り年表
便り 善光寺-新潟県新潟市中央区 ・善光寺 浄土真宗本願寺派 新潟県新潟市中央区稲荷町3460善光寺の開山は宝暦4年(1754年)。現在、善光寺は浄土真宗本願寺派の寺院として存在していますが、ルーツは長野にある善光寺と深いつながりのある寺。本尊は浄土真宗の御本尊「阿弥陀如来」と長野善光寺の御本尊「一光三尊阿弥陀如来」の分身像が安置されています。<< 戻る 1754.01.01 便り年表
便り 西永寺-新潟県十日町市 ・西永寺 真宗大谷派 新潟県十日町市上野甲87西永寺(さいえいじ)は、新潟県十日町市にある1727年(享保12年)創建の真宗大谷派の寺院。 1835年(天保6年)焼失後、1848年(嘉永元年)に再建される。(リンク先より)・西永寺 - Wikipedia 1727.01.01 便り年表
便り 三条別院-新潟県三条市 ・三条別院 真宗大谷派 新潟県三条市本町2-1-57三条別院は今から遡ること300年以上前、元禄3年(1690年)に三条の地に創立されました。越後の門徒たちの総力により、寺院の主要な七つの建物である「七堂伽藍(しちどうがらん)」を完備。「北陸で随一の寺院」と称されました。建物は二度の大火に見舞われて焼失しますが、その都度、越後と佐渡の門徒の力によって再建されてきました。(リンク先より) << 戻る 1690.01.01 便り年表
便り 瑞林寺-新潟県新潟市西区 ・瑞林寺 真宗仏光寺派 新潟県新潟市西区小針4-5-18瑞林寺はいまを去る四〇〇年以上前の、時は天下分け目、関ヶ原の戦いの時代の一六五七年慶長二年に越後を貫いて流れる信濃川下流に位置する新潟に、智了という方を初代の住職として、親鸞聖人のお念仏の教えを広めるために開かれた浄土真宗のお寺です。(リンク先より) << 戻る 1657.01.01 便り年表
便り 改観寺-新潟県新潟市秋葉区 ・改観寺 真宗大谷派 新潟県新潟市秋葉区川口145元和9(1623)年 川口の名主田中新左衛門(第一世)は、広く念仏の教えが流布されることを願い、菓城寺から僧宗玄を迎えたのを改観寺の開基とする。第七世暁貞は、天明3(1783)年より、現新潟市濁川から本堂を移築再建し、天明7(1787)年に旧本堂が完成する。(リンク先より) << 戻る 1623.01.01 便り年表
便り 盛岩寺-新潟県新潟市秋葉区 ・盛岩寺 曹洞宗 新潟県新潟市秋葉区大安寺815元和元年(1615年)開山。2015年に開山400年を迎えた曹洞宗の古刹。本寺は五泉市の(旧村松町滝谷)慈光寺で末寺一寺を持つ。先代英鳳紀典和尚が新潟市江南区の(旧横越町沢梅)大榮寺の住職になり(リンク先より) << 戻る 1615.01.01 便り年表
便り 等覺寺-新潟県村上市 ・等覺寺 真宗大谷派 新潟県村上市細工町1-15山号を六角山とし慶長15年、今から約400年前に今の姫路市から開基釋了法が開山した寺です。江戸時代の初期、開基釋了法は播磨国六角村に生を受け、姫路市の本徳寺で僧門に入り、後、御本尊阿弥陀如来立像と両御脇掛(親鸞、蓮如)に共をして、この地で開山しました。(リンク先より)※慶長15年 1610年 << 戻る 1610.01.01 便り年表
便り 極楽寺-新潟県小千谷市 ・極楽寺 浄土真宗本願寺派 新潟県小千谷市平成2-5-71560年 初代玄順が信州から越後に移り住み、長岡市摂田屋に光福寺を建立する。1601年 玄順、小千谷に移り住み極楽寺を建立する。1630年 2代了玄の時に正式に寺号と本尊(木像)を本山より受ける。1640年 現在地の旧寺町に移転する。(リンク先より) << 戻る 1601.01.01 便り年表
便り 養泉寺-新潟県長岡市 ・養泉寺 真宗大谷派 新潟県長岡市寺泊荒町3883養泉寺は文禄3(1594)年、信濃国(長野県)水内郡長沼村の歓喜踊躍山浄興寺の僧浄明が開いたお寺です。宗派は真宗大谷派。山号は光澤山。「つやさん」と読みます。(リンク先より) << 戻る 1594.01.01 便り年表
便り 勝徳寺-新潟県妙高市 ・勝徳寺 浄土真宗本願寺派 新潟県妙高市大字吉木901遠州浜松 井上越後守義勝の一族 伊砂民部大輔 源勝行は、源実朝が鎌倉鶴岡八幡にて殺害された時、下総国香取郡霞ヶ浦に逃れ、承久元年(1219)雨月上院の五日、常州(常陸の国)稲田の郷にて善信御坊(親鸞聖人)の弟子となり、行応と名を改める。 その後、6世善念が応仁元年(1467)信州荒瀬原に居住し、伊砂の姓を捨て、土地の名称が平出の郷であることから姓を平出と改める。延徳3年(1491)本願寺8世蓮如上人より「本鳥山」の山号と「勝徳寺」の寺号、並びに直筆の六字名号本尊を賜り、一寺を建立する。(リンク先より)<< 戻る 1591.01.01 便り年表
便り 広厳寺-新潟県胎内市 ・広厳寺 曹洞宗 新潟県胎内市西栄町2-8広厳寺は天正16年(1588年)曹洞宗の開創であるが、起原を尋ぬれば天正16年以前、200年前の元中6年(1389年)頃、胎蔵界大日如来を本尊とする真言宗のお寺が建立されていたと伝えられている。現在のご本尊は京都の大仏師定朝法印の作でその当時のものと思われる。尚、このご本尊は宝暦11年辛巳2月大仏師定朝法印第30世源康伝によって修復されている。曹洞宗開創当時(天正16年)は戦国時代であり、戦乱の世の中でお寺も非常に荒廃し、住職もいなかったと思われる。(リンク先より) << 戻る 1588.01.01 便り年表
便り 宝泉寺-新潟県十日町市 ・宝泉寺 曹洞宗 新潟県十日町市小泉1051宝泉寺水澤山と号す、天正14年8月(1587)、上杉喜平治景勝の目代、山谷の舘主、藤木長左衛門勝久の開基にして、 上州白鄕井村雙林寺、13世大道関鉄大和尚の開山なり、本尊釈迦牟尼佛に、文珠、普賢の二菩薩とす、 境内1千5百坪、寺産豊かなり、上杉家除地寄付の起請文に依り、徳川幕府の当時、当寺境内山林田畑屋敷は、 検地毎に其式通り下賜せり、中世名家酒井氏の檀越となりて以来、同家旧君家の位牌を安置す(リンク先より) << 戻る 1587.01.01 便り年表
便り 長徳寺-新潟県新発田市 ・長徳寺 真宗大谷派 新潟県新発田市大栄町2-7-22長徳寺の創建は,天正13年(1585)に関根慶順が開基したのが始まりとされます。赤穂四十七士の1人堀部安兵衛の生家である中山家の菩提寺として有名で,安兵衛も14歳まで新発田城下で暮らしました。境内には赤穂義士四十七体の木像が収められている義士堂,安兵衛が新発田から旅立つ時に植えたとされる石台松(初代は平成9年,老齢の為伐採され現在は二代目),そして中山家の墓所があります。四十七士によって「吉良邸討ち入り」が行われた12月14日には毎年,境内にて義士祭が執り行われています。(リンク先より) << 戻る 1585.01.01 便り年表
便り 広福寺-新潟県西蒲原郡 ・広福寺 真宗仏光寺派 新潟県西蒲原郡弥彦村大字麓6590当寺の開基、延定坊祐善は能登国柏原(珠洲市)の人。戦禍を避け天正年間に信徒七人と共に海路を越前間瀬浜に上陸。法義弘通に勤める中、道西法師に師事した。道西は宗祖親鸞聖人に帰依し常随給仕していた安達左衛門尉兼道の孫。兼道より伝来の祖師聖人御染筆の阿弥陀如来尊像は、道西老境に至り祐善に授与された。祐善は愈々宿縁を喜び、尊像を恭敬し弥彦の麓を往返し、本願念仏の布教に励む中、この地の同行と共に天正十二年(1584)当寺を建立し、尊像を奉安した。(リンク先より) << 戻る 1584.01.01 便り年表
便り 金宝寺-新潟県新潟市中央区 ・金宝寺 真宗大谷派 新潟県新潟市中央区上所上1-11-5天正元年(1573年)7月18日、織田信長による浅井・朝倉攻めが行われた。多くの者が殺されてしまったが、祖先の玄宗は僧侶であったために逃れ、越中国石動村に隠れ住んだ。その後、赤曽部村に移り住んだが、天正4年に織田信長が本願寺を攻めるにあたっては、本願寺の救援に駆けつけた。顕如上人はその功を誉め、「金寶寺」の号を送った。その子である法正は越後に帰り、蒲原郡所島村(亀田町)に家を建てて住んだ。これが金寶寺の開基である。(リンク先より) << 戻る 1576.01.01 便り年表
便り 光徳寺-新潟県糸魚川市 ・光徳寺 真宗大谷派 新潟県糸魚川市大字青海2761光徳寺開祖釈祐玄師は、天正 (1573~1592年) 年中、越中砺波郡水島村 (えっちゅうとなみぐんみずしまむら) (現在の富山県西部) より青海真砂に一旦 足をとどめ、門信徒を慕って、現在の大沢の地に移住しました。これが “青澤山光徳寺” の始まりです。(リンク先より) << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 宗現寺-新潟県新潟市中央区 ・宗現寺 曹洞宗 新潟県新潟市中央区西堀通7-1569宗現寺は、元亀年間(1570-1573)真言律院として開創されましたが、慶長元年(1596)10月25日現在の新潟市中央区西堀通三番町法音寺七世不巌梵学大和尚(慶長18年1月15日寂)によって曹洞宗に改宗されました。歴代住職中、特に、加賀(富山県)高岡の瑞龍寺に昇住した13世霊源活湛大和尚、数次の祝融に遭遇しながら堂宇を再建された25世再中興薬欄文獅大和尚(現本堂を明治38年上棟、昭和14年4月17日寂)、新潟市西船見町満福寺開山、相模大雄山最乗寺、晋んで大本山總持寺独住第20世として曹洞宗管長に就任された26世重興形山瑾映大和尚(昭和57... 1570.01.01 便り年表
便り 西福寺-新潟県魚沼市 ・西福寺 曹洞宗 新潟県魚沼市大浦174赤城山西福寺は、1534年(室町時代後期)、開山 芳室祖春(ほうしつそしゅん)大和尚によって開かれました。約500年の歴史を持っています。ご本尊様は阿弥陀如来三尊で、鎌倉時代の作です。本来、曹洞宗では釈迦如来をご本尊としてお奉りします。しかし、当寺は初め天台宗の寺でありました。(リンク先より) << 戻る 1534.01.01 便り年表
便り 安住寺-新潟県柏崎市 ・安住寺 曹洞宗 新潟県柏崎市石曽根3216開山 北条普広寺三世曇芳文誉大和尚 大永3年(1523)示寂開基 石曽根帯刀公(リンク先より) << 戻る 1523.01.01 便り年表
便り 林正寺-新潟県新潟市南区 ・林正寺 真宗大谷派 新潟県新潟市南区根岸45開山:1520年(約500年)ご本尊:阿弥陀如来初代:寛寿(浄土真宗中興の祖・本願寺8代法主「蓮如上人」の孫が開祖)宝物:蓮如上人直筆御絵像・実如上人直筆御手紙等々本堂:昭和25年建立(リンク先より) << 戻る 1520.01.01 便り年表
便り 普廣寺-新潟県柏崎市 ・普廣寺 曹洞宗 新潟県柏崎市山室726-1文亀四年(1504)当村深沢城主村山安芸守の開基、曇英和尚(群馬県群馬郡白井双林寺三世宝光隻包悍巨)の開山である。また一書に、明応二(1493)上杉定正開基とある。始め家近に建立、後現地に移した。また。一書に、元亀年間北条城主毛利家中興と記されている。(リンク先より) << 戻る 1504.01.01 便り年表
便り 玉泉寺-新潟県阿賀野市 ・玉泉寺 曹洞宗 新潟県阿賀野市分田1043玉應山玉泉寺(ぎょくおうざんぎょくせんじ)は、その昔、真言宗の寺であった。 福聚山無量院(ふくじゅざんむりょういん)と称し、20世代まで続いた。開基は分田七郎俊長で彼の戦勝祈願の寺として建立され、俊長の墓が寺の脇の墓地にある。その後、永正元年(1504年)阿賀野市(旧水原町)にある西福寺の末寺として、雲山派天(うんざんはてん)大和尚によって禅宗の1つである曹洞宗に改宗され、開山された。(リンク先より) << 戻る 1504.01.01 便り年表
便り 徳誓寺-新潟県三条市 ・徳誓寺 真宗仏光寺派 新潟県三条市八幡5-15明応年中(1492~1500)、摂津国豊島郡萱場村(現在の大阪府北西部)にて創建される。寛永年間(1621~1642)ごろ、信濃松本在時代を経て、三條町八幡小路にて寺基固まり、現在に至る。(リンク先より) << 戻る 1492.01.01 便り年表
便り 大蓮寺-新潟県燕市 ・大蓮寺 真宗仏光寺派 新潟県燕市中島628開基 永享10年(1438)創立本尊 阿弥陀如来木造立像開基釈敬貞法師四世三潮のとき寺号公称す。以前は東本願寺末のところ貞享三年(1686)佛光寺派に転ず。(リンク先より) << 戻る 1438.01.01 便り年表
便り 関興寺-新潟県南魚沼市 ・関興寺 臨済宗円覚寺派 新潟県南魚沼市上野267開創は応永17年(1410年)で覚翁祖伝和尚が開基す。覚翁は上杉憲顕の子。駿河に生まれ、諸方を歴参後、白崖宝生和尚に参じて嗣法、上山の地に一宇を建て、白崖和尚を請じて開山とし自らその次位となる。以来関東管領上杉家菩提寺として法灯は栄え、二世不蔵和尚の頃上田長尾氏、鎌倉公方足利持氏の帰依厚く、永享8年(1436年)寺領永楽百二十貫文並びに、境内山林一里余りの御朱印地を給せらる。(リンク先より) << 戻る 1410.01.01 便り年表
便り 慈光寺-新潟県五泉市 ・慈光寺 曹洞宗 新潟県五泉市蛭野870時の嶽城主・神戸太郎最重が室町時代初期、応永10年(1403)頃、岩船・耕雲寺の傑堂能勝禅師の道風を慕い、師を勧請して中興の祖となし、爾来、禅刹として再興。ご開山・傑堂能勝禅師は、南北朝時代、後醍醐天皇を支えた楠木正成の直孫と伝えられる。早くから祖父・正成の意志を継いで、南朝の再興を願い、一族と共に良く奮戦するが、25歳の時、相手方の弓矢により足を痛められ治療の折、仏典を読み戦国乱世の虚しさを感じ、諸方に多くの禅匠を参じた後、越前・龍沢寺の梅山聞本禅師の会下に投じ、禅の奥義を究めたといわれている。(リンク先より) << 戻る 1403.01.01 便り年表
便り 妙高寺-新潟県小千谷市 ・妙高寺 曹洞宗 新潟県小千谷市川井114妙高寺は740年余り前の鎌倉時代、1265年(文永2年)内ケ巻城主(現在の小千谷市川井内ケ巻)で新田氏の一族 田中大炊介源義房(たなかおおいのすけみなもとのよしふさ)により創建された曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る 1265.01.01 便り年表
便り 弘長寺-新潟県南魚沼市 ・弘長寺 時宗 新潟県南魚沼市六日町2303弘長寺は、元々は天台宗延暦寺の末寺であり、弘長元年(1261年頃)、六日町大柳の地に金城山弘長庵として開山しました。そして、正応2年(1289年)5月(鎌倉時代後期)に時宗二祖真教上人とその弟子長真がこの地に足を止めて、天台宗の寺院から時宗の寺院へと改宗しました。この年を時宗寺院として弘長寺の開基と致します。(リンク先より) << 戻る 1261.01.01 便り年表
便り 護村寺-新潟県佐渡市 ・護村寺 単立(真言宗) 新潟県佐渡市新穂北方597番地当山は北方地頭 本間六郎満繁一族の菩提寺であり、順徳上皇佐渡配流の際、池蔵人の発願に依り、比叡山坂本の山王権現を勧請され十二坊の一坊として天福年間に明王院として建立され、副別当職であった。昭和17年4月護村寺と改名しております。(リンク先より)※天福年間 1233年から1234年 << 戻る 1233.01.01 便り年表