愛知県

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正壽寺-愛知県名古屋市西区

・正壽寺 曹洞宗 愛知県名古屋市西区則武新町1-8-2金剛山 正壽寺は、名古屋市西区にある曹洞宗の寺院です。文政12年に活舜全孝尼首座と養頑護拙尼首座が開基し、大光智仙尼和尚初住にて開山しました。ご本尊さまに釈迦牟尼仏をお祀りしています。(リンク先より)※文政12年 1829年 << 戻る
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渭信寺-愛知県岡崎市

・黄梅山 渭信寺 曹洞宗 愛知県岡崎市上衣文町字神五鞍30そぶみ観音 渭信寺は、享保十八年(西暦一七三三年)八月、三河路で初めてのご祈祷寺として開かれました。当寺のご本尊は運慶作と伝えられ、そもそもは加賀百万石(今の金沢市)の藩主、前田利家公の守り本尊だったと言われています。その御神体を当時前田家と縁の深かった、金沢大乗寺の三十一代目のご住職、智燈照玄和尚様が隠居される時に、この地へ移されました。それが、このお寺の始まりというわけです。(リンク先より) << 戻る
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総持院-愛知県岡崎市

・総持院 臨済宗東福寺派 愛知県岡崎市岡町字西野々宮17開創は享保三年(1718)、開山は唱宗和尚である。本尊様は阿弥陀如来坐像、鎮守様は秋葉山大権現。800年程前にあった薬師堂を基に開かれた寺院である事から、山号を「薬王山」とされている。(リンク先より) << 戻る
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称念寺-愛知県知立市

・称念寺 真宗大谷派 愛知県知立市新地町西新地65知立の中町はその名からしてまさに当時の中心地であり、そこに寺がありました。時に1705年(宝永2年)、本町桶屋喜右衛門裏家から失火し、池鯉鮒宿など計81軒を消失した大火によって寺にまで火がおよび、本尊や宝物なども多く焼失してしまいました。(リンク先より) << 戻る
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福満寺-愛知県豊田市

・福満寺 浄土宗 愛知県豊田市金谷町5-86元禄四年(1691年)、田地山福満寺が創建される。<< 戻る
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普蔵寺-愛知県名古屋市昭和区

・普蔵寺 曹洞宗 愛知県名古屋市昭和区高峯町48普蔵寺は、浄安瑞清(慶長12年(1607年)2月27日没)が開基しました。萬松寺四世の太宗永播大和尚がこの地に隠居するということになり、貞享二年(1685年)に萬松寺十世の日辰存東大和尚を勧請して出世地とし、次いで十一世の久峯淳昌大和尚を二世に勧請して、同四年(1687年)御目見地となりました。(リンク先より) << 戻る
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東輪寺-愛知県名古屋市中区

・護国山東輪寺 黄檗宗 愛知県名古屋市中区松原3-15-18東輪寺は1674年(延宝二年)に、尾張二代藩主 徳川光友公によって創建された黄檗宗(禅宗)大本山萬福寺の直末寺院です。開山は、宗祖隠元禅師の高弟で、木庵禅師とならび黄檗の二甘露門と称された高僧・即非禅師。初代住職には、後に大本山萬福寺第六代の法席を継ぐ千呆禅師が就かれました。(リンク先より) << 戻る
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長円寺-愛知県名古屋市中区

・長円寺 浄土真宗本願寺派 愛知県名古屋市中区栄2-4-231666年、長円寺が創建されました。<< 戻る
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願隆寺-愛知県名古屋市中村区

・紹光山願隆寺 真宗高田派 愛知県名古屋市中村区烏森町6-142万治三年開創。受院真諦空全大法師が親鸞聖人の教えに帰依し、自ら烏森城跡に庵室を建立。その後、高田派本山第十六世堯円上人の時、願隆寺と称されるようになる。昭和20年3月、空襲により本堂庫裡を失ったが、33年に梵鐘を再鋳。48年には全ての再建を終える。本尊は、恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来。正式には「紹光山 願隆寺」と称する。(リンク先より)※万治三年 1660年 << 戻る
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建中寺-愛知県名古屋市東区

・徳興山 建中寺 浄土宗 愛知県名古屋市東区筒井1-7-57建中寺は慶安三年(1650)に逝去した初代尾張藩主義直公(家康の九番目の息子)の菩提を弔い、尾張徳川家先祖代々の菩提寺として、また尾張藩全ての人々の心の拠り所とする為に、第二代尾張藩主徳川光友卿が、慶安四年(1651)境内地約五万坪(165,000㎡)の敷地に、本堂をはじめとして諸堂伽藍十棟を建立し、茨城県結城市弘経寺の成譽廓呑上人を招請して開山した。(リンク先より) << 戻る
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相応寺-愛知県名古屋市千種区

・宝亀山 相応寺 浄土宗 愛知県名古屋市千種区城山町1-6寶亀山 相應寺(ほうきざん そうおうじ)浄土宗(もとは天台、真言、浄土、禅、四宗兼学の准別格十七等)京都知恩院末寺 尾張徳川家の菩提寺初代藩主義直が生母相応院お亀の方の菩提のため現在の東区山口町に一万ニ千坪の境域を定め建立。本蓮社眼譽呑屋上人(寛永20年(1643)8月、高岳院第二世より入院し正保三年(1646)3月、黒谷金戒光明寺に入院)をもって開山とし寛永20年9月(1643)お亀の方一周忌に合わせ堂宇落成。(リンク先より) << 戻る
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浄信寺-愛知県名古屋市中村区

・浄信寺 真宗大谷派 愛知県名古屋市中村区名駅5-20-3真宗大谷派 浄信寺開基:利賢 寛永12(1635年)(リンク先より) << 戻る
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蓮台寺-愛知県豊田市

・蓮台寺 浄土宗 愛知県豊田市上野町2-38住古から不動堂村(上野町内)に地蔵仏が祠られていたが、永禄(1558~20)の頃の兵火で付近の寺と共に堂宇は焼失した。寛永2年(1625)再建立され、地蔵菩薩を本尊として再興してから、同10年(1633)、近くの随応院中興の七世源蓮社然誉上人(地元の山内重但の次男)を開山に招じて浄土宗となり、地蔵院法然寺と寺号公称した。(リンク先より) << 戻る
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林昌寺-愛知県春日井市

・薬師山 林昌寺 臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市林島町105約400年続く文化的資産として地域に根差し、ご縁ある皆さまとのつながりを大切にしていきます。設立日 元和5年(西暦1619年)(リンク先より) << 戻る
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楽運寺-愛知県名古屋市中区

・楽運寺 真宗大谷派 愛知県名古屋市中区大須4-10-23慶長十五年、三河上宮寺第十五世教祐師(1586~1663)により三河上宮寺を本寺として江戸四ツ谷に「龍善寺」を、紀州に「専養寺」を、そして尾張名古屋の八重町(現在、中区栄錦三丁目)に通所として「祐西坊」を開かれました。 この「祐西坊」がのちの楽運寺であります。 当寺の山号を太子山と申すのは、本寺上宮寺より将来された聖徳太子御自作と伝える「聖徳太子二歳木立像」に因むとみられます。 (リンク先より)※慶長十五年 1610年 << 戻る
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三光寺-愛知県豊田市

・金谷庚申三光寺 真言宗醍醐派 愛知県豊田市金谷町5-63弘法大師作と伝へる梵天帝釈青面金剛王を本尊とし、真言宗 醍醐派準別格本山金谷山三光寺松鷹坊といい、京都醍醐総本山三宝院末である。貞享元年(1684)7月に庚申別当跡次院政長の著した縁起書に「金谷村郷土近藤弥右衛門信種が日頃に崇っていた尊像を村中の鎮守として慶長15年(1610)に一宇を創設した」とあるが、それ以前に碧海郡上野郷天當庵から移された庚申堂があり、伊保城主丹羽勘助氏次も深く信仰していたという。(リンク先より) << 戻る
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光陽寺-愛知県犬山市

・瑞林山 光陽寺 臨済宗妙心寺派 愛知県犬山市大字今井字寺ノ前6当寺の最初の起源については不明ですが、村自体が平家の落人部落と伝承されており、実際は相当古いと思われます。正式には慶長七年(1602)、当時尾張に勢力を振るっていた犬山瑞泉寺の住職を初代に迎え臨済宗寺院となったのを開創としております。(リンク先より) << 戻る
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瑞泉寺-愛知県常滑市

・瑞泉寺 曹洞宗 愛知県常滑市桧原字西前田81-1草創は照庵恵最首座の寂年をもって起源とされていますが、それより先の文禄年間(1592~1597)、常滑市内阿野町にあった天武天皇の勅願所として大伽藍を誇った高讃寺が兵火にかかり焼失しました。その際に恵最首座が観音像と薬師如来をもらい受けて本尊としたのが始まりといわれます。(リンク先より) << 戻る
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徳源寺-愛知県名古屋市東区

・蓬莱山 徳源寺 臨済宗妙心寺派 愛知県名古屋市東区新出来1-1-19(1592)織田信長の次男信雄が、熱田に忠嶽(ちゅうがく)和尚を請じて、 徳源寺の前身である「清涼山宝泉寺」を開創したのが始まりである。寛文2年(1662)に昭和区石仏へ移り、「蓬莱山徳源寺」と改称した。(リンク先より) << 戻る
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海岸寺-愛知県名古屋市緑区

・海岸寺 天台宗 愛知県名古屋市緑区大高町字田中14◆創建/織田信長の命より1574年(天正2年)◆開基/珍慶法印◆本尊/聖観世音菩薩・一光三尊阿弥陀如来◆寺宝及び文化財/聖観世音菩薩像・金比羅天像・大黒天像・一光三尊阿弥陀如来像(リンク先より) << 戻る
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円道寺-愛知県名古屋市緑区

・円道寺 曹洞宗 愛知県名古屋市緑区鳴海町字根古屋18今から約400年前の天正年間(1573〜1592)に、瑞泉寺(ずいせんじ・名古屋市緑区相原町)第11世「仁甫良義(にんぽりょうぎ)和尚」によって「猿堂寺」という名で開かれました(江戸期の書物「尾張志」では円道寺となっています)。天正年間とは、織田信長が勢力を増すころから、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げるまでの時代です。円道寺のある場所は、鳴海砦(鳴海城)の端になります。この砦は、桶狭間の合戦後、廃城となったので、その一画にお寺を造ることになったとも考えられます。(リンク先より) << 戻る
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皆満寺-愛知県知多郡

・神宮山皆満寺 真宗大谷派 愛知県知多郡武豊町下門1371570年頃(天文年中)開基に当たる順誓が、本願寺第10世 証如上人に帰依し(一説には実如上人)真宗に改宗し、本願寺の直末となる。寺基を長尾村の神宮社の傍に移したともいう。(町史には、慶長年間とある)1692年(元禄5年)第4代空圓の時に創られた手水鉢が、経緯は不明だが武雄神社に現存する。(リンク先より) << 戻る
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久遠寺-愛知県名古屋市中区

・賢隆山久遠寺【kuonji.net】 真宗高田派 愛知県名古屋市中区新栄1-4-6当寺は、伊勢国楠村の城下にありました。永禄十年(1567)伊勢国長島へ移転しました。天正元年(1573)清洲城下への願入を行い、後に清洲へ移住。 当時の文献には、『福島宰相正則朝臣を便り、「便利な地を見立てて移るべし」と申され、この言葉を受け、尾張国清洲五条橋の地・朝日郷に移住し「久遠山見立寺」と号しました。』と記されています。(リンク先より) << 戻る
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紫雲寺-愛知県豊橋市

・高足山 紫雲寺 臨済宗妙心寺派 愛知県豊橋市高師本郷町字榎48-1当寺過去帳歴代住持の部に「当庵中興用岳玄公首座」の方名を筆頭に記してある点からみて、それ以前荒廃していたものを玄公首座が再興、東観音寺末としたものとされる。玄公首座は永禄7年(1564年)示寂。(リンク先より) << 戻る
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谷性寺-愛知県知多郡

・谷性寺 浄土宗鎮西派 愛知県知多郡阿久比町宮津宮本73宗派:浄土宗 鎮西派本尊:阿弥陀如来立像創建:永禄元年(1558年)(リンク先より) << 戻る
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順正寺-愛知県あま市

・順正寺 真宗大谷派 愛知県あま市七宝町下之森6391558年、順正寺は建立されました。<< 戻る
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正林寺-愛知県豊田市

・正林寺 曹洞宗 愛知県豊田市広幡町寺後8当寺は1542年(天文11年)広見城主であった中条将監秀正によって開創されました。本尊様は釈迦如来、宗派は曹洞宗で秀興山正林寺といいます。(リンク先より) << 戻る
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萬松寺-愛知県名古屋市中区

・亀嶽林 萬松寺 曹洞宗 愛知県名古屋市中区大須3-29-12天文九年(1540年)尾張一円を領していた古渡城主、織田備後守信秀公(織田信長の父)が、織田家の菩提寺として開基しました。御本尊は十一面観世音菩薩。開山は信秀公の伯父の大雲永瑞大和尚)。正式の寺号は亀嶽林(山)萬松寺。当時の場所は名古屋市中区錦と丸の内二、三丁目にまたがったところで、大殿を中心に七堂伽藍の備わった一大寺院、敷地は約5万5千坪にも及びました。(リンク先より) << 戻る
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福田寺-愛知県あま市

・福田寺 真宗大谷派 愛知県あま市美和町木田小兵エ前69福田寺は千余年前に創建された天台宗の古刹「天拝山大華寺」と称され、現在の愛知県あま市北部の霊地に存在したと伝えられています。その後、水害により七堂伽藍と共に本堂も流失したため現在の地に再建され、天文8年(1539年)浄土真宗に改宗されました。(リンク先より) << 戻る
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新昌寺-愛知県新城市

・新昌寺 曹洞宗 愛知県新城市有海字稲場2新昌寺は、1539年(天文八8年)長篠山・醫王寺四世月傳太隋大和尚により創建されました。本尊は釈迦牟尼仏。創建当初は「喜船庵」と称されておりました。(リンク先より) << 戻る
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永弘院-愛知県名古屋市千種区

・永弘院 臨済宗妙心寺派 愛知県名古屋市千種区上野1-4-18戦国時代の天文7年(1538年)に、信州小笠原家の後裔である下方氏一族の下方貞清が義雲祖嚴を開山とし、居城である上野城の北東にある藥師堂に祀られていた薬師如来を本尊として寺院を建立した。貞清は、戦乱の世が進み戦場を駆け巡る日々が多くなると、武運長久と一族の安穏を祈願する為に信仰していた勝軍地蔵菩薩を祀るための堂を寄進し、寺を心の拠り所とした。(リンク先より) << 戻る
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善重寺-愛知県知多市

・功徳山 善重寺 真宗大谷派 愛知県知多市八幡字荒古前110-1善重寺は、大永6年(1526年)岐阜県揖斐川町(旧久瀬村)に創建された天台宗寺院でありましたが、慶長5年(1600年)本願寺十二世教如上人のご教化により、阿弥陀如来を本尊とした、浄土真宗の寺院となりました。(リンク先より) << 戻る