マハーカッチャーナ(摩訶迦旃延)

投稿日:0101年3月1日 更新日:

マハーカッチャーナ(mahaakaccaana、महाकच्चान)、迦旃延(かせんねん)、摩訶迦旃延 (まかかせんねん)

ブッダの十大弟子の一人で「論議第一」といわれています。カッチャーナ(迦旃延)の名は、婆羅門種の十姓の一つで、姓を以って名としているため、尊称してマハー(摩訶)カッチャーナ(迦旃延)といいます。

マハーカッチャーナの出身などにはいくつかの説があり、はっきりしないところがあります。南インドの婆羅門出身で、たいへん聡明な少年であり、また、その兄も博学でした。兄がバラモン教の根本聖典である『ヴェーダ』を講義するのを聞き、マハーカッチャーナ少年は、その講義を一度聞いただけ内容まで理解できたといいます。

その聡明さに兄は弟を憎むようになり、ついには身の危険が危うくなり、父親はマハーカッチャーナ少年をアシタ仙人(阿私陀仙)のもとに預けることにしました。かつてシッダールタ(後のブッダ)誕生時にこの子が将来、ブッダとなると予言したアシタ仙人の弟子になり、師の娘を娶り、また師の遺命によりブッダの弟子となりました。

また、西インドのアヴァンティー国、ウッジェニー(現ウッジャイン)の婆羅門出身で、 チャンダパッジョータ王の帝師の子で、王の命によりブッダを招くために、7名の王臣と共にブッダのもとに赴き出家したという説もあります。

マハーカッチャーナがいつ仏教教団に入ったかははっきりしませんが、ある時、難解で理解できないことがあり、少年時代から聡明なマハーカッチャーナでしたが、どうしても解き明かすことが出来ず、ブッダに教えを請うことなり、これがきっかけで弟子となったとされます。

この出来事が契機となり、ブッダの教えを広く解りやすく、義を分別して広めることになります。幾人かの王に四姓(バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、スードラ)の平等を説いて回り、ブッダ滅後も教えを広めました。後に論議第一の尊者と称されるようになりました。

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