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『ケネス・タナカの仏教教室Ⅲ』第10回(最終回)が開催されました

12月18日に『ケネス・タナカの仏教教室Ⅱ』第10回(最終回)が開催されました。当講座では、ケネス・タナカ先生に、分かりやすく、ユーモアいっぱいに、「生活に活きる仏教」を教えていただきます。(リンク先より)・『ケネス・タナカの仏教教室Ⅲ』第10回(最終回)が開催されました
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西蓮寺-福岡県北九州市

・西蓮寺 真宗大谷派 福岡県北九州市門司区東門司2丁目7−21僧侶でアナウンサー川村妙慶の日替わり法話妙慶が日々思っていることを、皆さんに語りかけます。(リンク先より) << 戻る
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綿菓子作り

今日は旭川市内のホテルで忘年会。いろんな食事が出て楽しい。でも、体重が・・・。(−.−)(リンク先より)・綿菓子作り
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泥洹(ないおん)168号

寺報「泥洹〜ないおん〜」最新号をアップします泥洹168号収録内容:小嶋甲子男氏環浄 除夜会・修正会案内 他(リンク先より)・泥洹(ないおん)168号
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善了寺-神奈川県横浜市戸塚区

・善了寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市戸塚区矢部町125戸塚・善了寺では、毎月8日に定例法話会という仏教のお話を聞く会が開かれます。(リンク先より) << 戻る
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修行について その67 午前6時の朝課諷経 搗餅諷経(とうびょうふぎん)

今回ご紹介するのは、搗餅諷経(とうびょうふぎん)。難しい言葉で表現していますが、餅つきです。お正月用のお餅をつく際にお経を挙げるのです。ちなみに、行う日は毎年12月28日。(リンク先より)・修行について その67 午前6時の朝課諷経 搗餅諷経(とうびょうふぎん)
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王龍寺の中庭のマンリョウの実が雨に濡れています。

王龍寺の中庭のマンリョウの実が雨に濡れています。2018年12月17日撮影(リンク先より)・王龍寺の中庭のマンリョウの実が雨に濡れています。
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旭川別院 元会計による不正経理について。6月19日より3日間行われた、輪番任期満了に伴う本山現況監査において、元会計による不正経理(横領)が、判明しました。

6月19日より3日間行われた、輪番任期満了に伴う本山現況監査において、元会計による不正経理(横領)が、判明しました。旭川別院ご門徒、崇敬ご寺院をはじめ、全国のご門徒、ご寺院の皆様に多大なるご迷惑並びご心配をおかけしておりますこと、深くお詫び申し上げます。(リンク先より)・旭川別院 元会計による不正経理について。6月19日より3日間行われた、輪番任期満了に伴う本山現況監査において、元会計による不正経理(横領)が、判明しました。
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大信寺本堂 文化遺産オンライン

南面して建つ三間堂で、入母屋造銅板葺とし、正面に一間向拝を付ける。側柱が方柱、内部が円柱。組物は出三斗で、中備に成の高い皿斗付出三斗を飾る。外陣及び内陣、脇陣からなる標準的な浄土宗本堂で、室境を簡略化するなど幕末らしい内部構成を見せる。(リンク先より)・大信寺本堂 文化遺産オンライン
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第3話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)

「私たちがこの世を生きるということは、決してたった一人で独立して生きているのではなく、いつも必ず他の人と関係し合い、支えあって生きているものなのです」ということを述べておられるのです。(リンク先より)・第3話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)
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人生は行動である

永平寺の道元禅師は、「心と身体の関係」を「心」と「身体」は、分けて考えることのできない一つのものと言われ、行動することが心を育むとお考えになりました。(リンク先より)・人生は行動である
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龍音山真光寺-鹿児島県薩摩川内市

・龍音山真光寺 浄土真宗本願寺派 鹿児島県薩摩川内市白和町9-5薩摩に真宗が伝播したのは室町時代中期(一五〇〇年頃)と言われる。(リンク先より) << 戻る
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宗玄寺 – Wikipedia

当初、丹波の酒井荘として4つの城で統治されていたが、明智光秀の丹波責めにより次々と落城していった中に、油井城主酒井秀正の子である酒井秀朝が後に仏門に入り誓珍と称し、1597年に草案を創設。その後、1676年(延宝4年)に、真宗大谷派に属し宗玄寺と改称した。(リンク先より)・宗玄寺 - Wikipedia
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「お寺の講演会」ご講師 浦上哲也師から 2

来年2019年5月18日の親友婦人会総会後の「お寺の講演会」のご講師をお願いしています横浜市の「なごみ庵」のご住職 浦上哲也(うらかみてつや)師に「お寺の講演会」の半年前の11月から月一度のペースでご寄稿をお願いし快く受けて頂きました。その2回目を掲載します。(リンク先より)・「お寺の講演会」ご講師 浦上哲也師から 2
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第2話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)

帰命の義もまたかくのごとし。しらざるときのいのちも、阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときは知らず、すこしこざかしく自力になりて、「我がいのち」とおもいたらんおり、善知識「もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ」とおしうるをききて、帰命無量寿覚しつれば、「我がいのちすなわち無量寿なり」と信ずるなり。(リンク先より)・第2話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)
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生き方が真実そのままであれば、食もまた、真実そのままである

世界中には、未だに飢えと戦う人々が溢れています。WFP=国連世界食料計画によると、世界では飢餓やそれに関する病気のため、毎日二万五千人が命を落としています。(リンク先より)・生き方が真実そのままであれば、食もまた、真実そのままである
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勝福寺 (士別市) – Wikipedia

勝福寺(しょうふくじ)は、北海道士別市下士別町にある真宗大谷派の寺院である。山号は紫雲山。(リンク先より)・勝福寺 (士別市) - Wikipedia
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成福寺

岡山県井原市にあります。幸福の成るお寺、成福寺です。(リンク先より)・成福寺
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勝楽寺[浄土真宗本願寺派][福岡県大川市大野島2017]-お寺めぐりの友

勝楽寺が建立されたのは、宝暦5年1755のこと。勝楽寺の開祖・渡辺桂道は、島に寺を建立して浄土真宗の祖・親鸞の教えを説き、衆生を救済するという誓いを立てた。 当時の島民はみな浄土真宗の信徒であったが、島には寺がなかったのである。 そこで桂道は、3度にわたって京に上り、本山西本願寺から勝楽寺の号を賜ると、島に寺院を築いたのである。(リンク先より)・勝楽寺-お寺めぐりの友
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菅谷寺 – Wikipedia

寺伝によれば、源頼朝の叔父の護念上人(慈応)が開山、開基したとされる。護念は平家の圧力により比叡山から逃れる際、帰依していた比叡山無動寺の不動明王像の「御頭」を背負い諸国を行脚したのち、文治元年(1185年)に越後に一宇を建立したという。(リンク先より)・菅谷寺 - Wikipedia
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第1話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)

この「無量寿」という言葉は、私が属している真宗大谷派の門徒さんであるならば、「大無量寿経」あるいは「観無量寿経」によって、また真宗門徒が一番親しんでいる「正信偈」の冒頭の一句「帰命無量寿如来」によって、たいへん親しみのある言葉、教言です。(リンク先より)・第1話 無量寿を生きる 山口知丈(大阪府 昭徳寺 住職)
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天地自然、全てのものが語りかけてくれる

刑務所で俳句の指導をしている師匠が、「あいつはもう大丈夫だ」と興奮気味に帰ってきました。「方丈さんどうしました」と尋ねますと、「若い収容者が詠んだ句に、すばらしいものがあった」(リンク先より)・天地自然、全てのものが語りかけてくれる
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銅鐘(関川寺)【どうしょう(かんせんじ)】 | 白河市公式ホームページ

東光山関川寺に伝来する銅鐘で、庫裡(くり)に併設された鐘楼に懸架されている。関川寺はもと福寿山関銭院と称する天台宗寺院であったが、明応元年(1492)頃に結城直朝によって曹洞宗寺院に改めたとされ、その後の天正9年(1581)に旧地である関川窪から現在の地へ移転したと伝えられている。銅鐘は、宝暦11年(1761)に大庄屋藤田孫十郎らによって寄進され、椎名國克によって再鋳されたものである。池の間には「関川寺鐘銘並序」と題した銘文があり、関川寺の由緒が記されている。さらにこの銘文に続けて寄進者30名の氏名と19の村名が刻まれている。この銅鐘は、小峰城内にあった鐘撞堂に対し、町方に時刻を知らせる役割も...
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戊辰戦争で亡くなった15歳前後の二本松少年隊墓所

戊辰戦争で亡くなった15歳前後の二本松少年隊墓所があるのが曹洞宗大隣寺。 ‏ @PickupVegi
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是心寺 (平戸市) – Wikipedia

創建は南北朝時代、当時の平戸松浦氏十五世当主定により平戸館山付近に「是興寺」として建立されたという。その後現在地に移されたが寺運振るわずに荒廃と再興を繰り返し、明治時代初期には一時廃寺となった。その後1871年に現在の寺号及び山号で再興され、1930年には本堂が再建されたものの一時住職が欠けたこともあったが1960年に再び住職を迎えて以降は安定して現在に至っている。(リンク先より)・是心寺 (平戸市) - Wikipedia
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長崎県平戸市の臨済宗千光寺と平戸市役所で松浦武四郎のパネル展をしていただきます。 | 松浦武四郎記念館

長崎県平戸市の臨済宗千光寺と平戸市役所で松浦武四郎のパネル展をしていただきます。 | 松浦武四郎記念館(リンク先より)・長崎県平戸市の臨済宗千光寺と平戸市役所で松浦武四郎のパネル展をしていただきます。 | 松浦武四郎記念館
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八戸市 – 是川の清水寺観音堂

是川字中居(なかい)に所在する清水寺(せいすいじ)は、山号を楞巌山(りょうごんざん)と称し、その草創は平安時代にさかのぼり高僧慈覚大師(じかくだいし)によると伝えられています。もともと天台宗でしたが、明治時代に浄土真宗に改宗しています。この観音堂は、堂内に残されている棟札から、天正9年(1581)に建立されたことが分かっており、県内最古の木造建築として知られています。鎌倉時代に中国から伝わった禅宗様(ぜんしゅうよう)という様式を主体として造られており、所々の彫刻には室町時代の特徴を持った文様も残されています。構造は、桁行3間、梁行3間の一重宝形造(ほうぎょうづくり)で、茅葺屋根となってい棟札ま...
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曹洞宗の食事作法に学ぶ(兵庫県・豊岡市)

曹洞宗の食事作法に学ぶ(兵庫県・豊岡市)(リンク先より)・
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関西花の寺札所巡りの本日最後は隆国寺

関西花の寺札所巡りの本日最後は隆国寺(豊岡市日高町)。 @1000bero
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今年の27組の報恩講が戸木の満誓寺様から始まりました

今年も10月28日から27組の報恩講が戸木の満誓寺様から始まりました。昨年は10月下旬の台風の影響で雨でしたが今年はいつものように晴天で暑さも感じる1日でした。【満誓寺 本堂内陣】【西向寺 本堂内陣】【西林寺 本堂正面】【蓮性寺 本堂内陣】【浄徳寺 本堂内陣】【青巖寺 本堂正面】(リンク先より)・今年の27組の報恩講が戸木の満誓寺様から始まりました
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第6話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)

親鸞聖人は、ご自身の一生を尽くして、あらゆる人々と共に歩むことが出来るとされる仏道が、自分自身において果たして実現するのかということを確かめ続けてゆかれました。(リンク先より)・第6話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)
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挨拶はお互いのコミュニケーションへの潤滑油

さて、私たちの日常生活の中には沢山仏教から派生した言葉があります。 その一つが「あいさつ」です。あいさつは仏教語でも特に禅語と言われるものです。 (リンク先より)・挨拶はお互いのコミュニケーションへの潤滑油