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一心寺-大阪府大阪市天王寺区

・一心寺 トップページ 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区逢坂2-8-69山号:坂松山  院号:高岳院開基:文治元年(1185年)法然上人(リンク先より) << 戻る
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海泉寺-大阪府大阪市浪速区

・海泉寺 浄土宗 大阪府大阪市浪速区恵美須西1-6-15昔この当地がまだ海岸であった頃、作太夫(のちの海泉房)が1184年に海から引き上げた洒落木が観音像であったことがきっかけで剃髪した。1185年に法然上人が四天王寺を参詣された時、新別所と名付けられた今の一心寺のあたりにて念仏を唱えられた。その時に海泉房がお袈裟と阿弥陀三尊来迎図を法然上人より授かり念仏修行をしていた草庵が海泉寺の始まり、といわれています。(リンク先より) << 戻る
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放光寺-山梨県甲州市

・放光寺 真言宗智山派 山梨県甲州市塩山藤木2438元暦元年(1184)源平合戦で功績をたてた安田義定が一ノ谷の戦いの戦勝を記念して創立しています。義定は平家追討の功によって遠江国守に任命されて、のちに遠江国守護、禁裏守護など勤め鎌倉幕府創業に貢献しておりますが建久5年(1194)8月19日梶原氏らの謀反の嫌疑を受け当山において自刃したと伝えています。(リンク先より) << 戻る
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蓮通寺-滋賀県長浜市

・蓮通寺 単立(浄土真宗東本願寺派) 滋賀県長浜市西浅井町岩熊542源平争乱の寿永三年(1184年)、征夷大将軍源義仲は粟津ヶ原で敗死し、その室山吹御前は子息義隆・義順を伴い、北近江浅井郡の山中で世の浮沈を窺って暮らしていたが、義仲を破った頼朝・義経の兄弟も世を去り、琵琶湖にすぐ近い海津の荘に住まいを移したところ、本願寺御開山親鸞聖人、越後に流罪となり琵琶湖を舟で渡ってこられ海津にお着きになり、義隆・義順兄弟と師弟の約諾を交わしてくださり、兄の義隆は海津荘岩谷の地で願慶寺開基となり、弟の義順は浅井郡塩津荘岩熊に赴き蓮通寺の開基となった。(リンク先より) << 戻る
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福厳寺-栃木県足利市

・福厳寺 臨済宗建長寺派 栃木県足利市緑町1-3270今から約830年前の寿永元年(1182年)に、藤姓足利又太郎忠綱が父俊綱と母の菩提(死後の冥福)を供養する為に理真上人を勧請開山として開創されたと寺伝に記録されております。(リンク先より) << 戻る
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皆福寺-愛知県豊田市

・皆福寺 真宗大谷派 愛知県豊田市幸海町神田9皆福寺は、松平地区最古の寺院であり、創建については、諸説あるが、1181年(養和元年)又は1247年(宝治元年)と伝承されている。当時は、酒呑村梅上(現在地から北へ500m程の地区)を所在地とし、天台宗のお寺であったが、正和年間(1312~1316)の頃に、第4代住職光玄が本願寺第3代覚如上人(1270~1351)の直弟子となり、真宗に改宗した。(リンク先より) << 戻る
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法台寺-埼玉県新座市

・大平山法台寺ホームページ 単立 埼玉県新座市道場1-10-13源頼朝存命の治承4(1180)年、勅許に依り「館」が建てられた。その館を「清浄殿」と名づけた。それが当寺の原型となった「廣澤の清浄殿」である。執権職北條時宗の時、すなわち文永3(1266)年仲秋、宗尊親王の命に依り、源実朝の御台所久米御前(*5)(法名「廣澤院従二位承山寶臺禅定尼」)の菩提を弔うためにこの、清浄殿を「廣澤院寶臺寺」とした。寺院として建立したのである。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-山梨県富士吉田市

・西方寺 浄土宗 山梨県富士吉田市小明見2058当山とうざんは清和源氏せいわげんじの遠祖えんそ左中将さちゅうじょう新田大炊介義重にったおおいのすけよししげ公こう(大光院殿方山西公大居士だいこういんでんぽうさんせいこうだいこじ)を祀まつって 公こうの四男よんなん義季よしすえ(徳川とくがわの祖そ)の舎弟しゃてい五男ごなん経義つねよし(出家しゅっけして祖底襌師そていぜんし)が治承じしょう3年ねん(1179)に これより東南とうなん二キロ長老尾ちょうろうじり(当山とうざん旧跡きゅうせき)に庵いおりを結むすんで創はじまる。嘉禄かろく二に年ねん(1226)には本尊ほんぞん十一面観世音菩薩じゅういちめんかん...
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福應寺-長野県松本市

・福應寺 高野山真言宗 長野県松本市大字神林1747草創は、寺伝によれば承安3年(1173)にさかのぼる。即ちこの地の地頭であった平野刑部が、相州鎌倉より当地の守護神として、鶴岡八幡宮を勧請したとき、その本地である阿弥陀如来を安置する為に、別当寺として穂屋野山曼荼羅寺を建立したことに始まるという。曼荼羅寺は現在の福應寺の地より南にあり、寺中六坊を数えた繁栄の密場であった。(リンク先より) << 戻る
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威徳寺-新潟県新潟市西区

・威徳寺 真宗仏光寺派 新潟県新潟市西区黒島5002-11172年(承安2年)首城山 威徳寺 創建。真言宗、高野山、清浄心院、の末寺として創建されたと伝えられています。開基は招恵上人。所在は確定されませんが、頸城地方であったと思われます。山号の「首城(しゅじょう)」は蝦夷討伐の本部という意味で、「頸城」の元の字と言われています。後に、「中頸城郡美守荘(ひだのもりのしょう)尾沢村 僧誓賢」との記録があります。(リンク先より) << 戻る
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平等寺-京都府京都市下京区

・平等寺 真言宗智山派 京都府京都市下京区松原通烏丸東入因幡堂町728承安元年(一一七一)には、高倉天皇により「平等寺」と命名され、勅額を贈られました。(リンク先より) << 戻る
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金剛寺-群馬県前橋市

・金剛寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市苗ヶ島町1147開山は承安年間(1171~1175)赤城山大通庵に創建し、山号を霊松山、院号を歓喜院と号した。 次いで寺山と呼ばれる地に移り、慶長、元和の頃(1596~1624)第4世円義上人の代になり、現在地に建立されたと伝えられる。 宝暦年間火災の為灰燼に帰したが、7世智海阿闍梨和尚再建現堂宇は当時のものである。 創建時は京都醍醐寺派報恩院末寺であったが、明治になって奈良県長谷寺の末寺になった。(リンク先より) << 戻る
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増全寺-神奈川県海老名市

・増全寺 浄土宗 神奈川県海老名市中新田1578開山は因公学円上人で、嘉応元年7月15日寂(1169)、開基は鎌倉末期の領主・海老名源八衛広綱とされ、法名の無量院殿龍池増全大居士から山院寺号が付けられ、龍池山無量院増全寺と号す。 開山当時は密教系寺院であったようであるが、浄土宗へ改宗した時期・経緯等は伝えがなく不明である。(リンク先より) << 戻る
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芳蘚寺-静岡県浜松市中区

・芳蘚寺 真宗大谷派 静岡県浜松市中区池町225-18天台宗としての開創は平清盛が太政大臣(ダジョウダイジン)に就任して、その3年目の嘉応元年(1169)である。(リンク先より) << 戻る
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慈光寺-岩手県久慈市

・慈光寺 時宗 岩手県久慈市大川目町22-62過去数度の火災や戦乱により、当山の歴史を証明する資料を失っておりますが、次のような縁起・由来が今に伝わっております。当山は仁安3年(1168)に、もともとは天台宗として開山します。その後、時宗の二祖上人である真教上人の勧めにより、時宗に転宗しました。(リンク先より) << 戻る
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法界寺-石川県小松市

・法界寺 浄土宗 石川県小松市東町92小松の内府と称された内大臣、平 重盛が、諸国に小松寺を建立し始めた、一一六七年、龍真法印鎮華院が開祖となり、真言宗新義派に属する小松寺を小寺に建てました。安元元年三月、法然上人(源空)が京都・吉水に浄土宗をお開きになるや直に改宗し、佛徳院 小松寺と号し、弘安年中には、北国鎮護安全の道場勅願所として定められました。天正五年、柴田勝家のため灰燼に帰し、後、小松山 佛徳院 法界寺と称しました。(リンク先より) << 戻る
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聖代寺-香川県高松市

・聖代寺 真言宗善通寺派 香川県高松市屋島東町1332僧西行(俗名 佐藤義清)は、その晩年かつて思いをはせた旧主家徳大寺家の姫君の忘形見、崇徳上皇の菩提を弔うため当地に一宇を建立されました。(崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃州に配流され1164年におかくれになられています。)(リンク先より) << 戻る
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常圓寺-栃木県那須郡

・常圓寺 浄土真宗本願寺派 栃木県那須郡那珂川町片平753保元2年(1157)照證法印成善阿闍梨(俗称は那須太郎資隆の弟、那須次郎資房)が片平字竹ノ内に再興。文治4年(1189)片平城主八郎義隆(那須与一宗隆の兄)が亡父資隆(法号佛光洞照)の法要を営む。建久元年(1190)後鳥羽天皇の時代に後白河法皇より勅願を賜り、佛光山東照院と号する。(リンク先より) << 戻る
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光顕寺-熊本県熊本市南区

・光顕寺 真宗大谷派 熊本県熊本市南区南高江1-18-39光顕寺の歴史は平安時代まで遡り、石浦河内守藤原經國(つねくに)が久安6年(1150年)に河内から肥後に下向し、髙家城(髙江城)を池ノ辻に築き、翌仁平元年に池畑に大栄寺を建立したことにはじまります。その後白山に城を築き移り住み、髙家城跡に寺院を建立しました。天正元年(1573年)に、僧浄頸によって真宗寺院が再建され、これが現在の光顕寺にあたります。(リンク先より) << 戻る
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清光寺-山梨県北杜市

・清光寺 曹洞宗 山梨県北杜市長坂町大八田6600当寺は平安時代、仁平元年(1151年)に信立寺と称し、逸見玄源太清光の創建になる天台宗寺院で、清光の没後、清光寺に改められた。その後、文明7年(1475年)、興因寺(甲府市)二世悦堂宗穆和尚が開山となり、曹洞宗に改め、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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成勝寺-東京都世田谷区

・成勝寺 浄土真宗本願寺派 東京都世田谷区宮坂2-24-51139年(保延5)第75代崇徳天皇の御願寺として創建京都の東郊白河の地に天皇の御願寺として創建された旧刹が六か寺あり、いずれも寺号に「勝」の字が付けられたことから 六勝寺と呼ばれた成勝寺もこの六勝寺に数えられる1621年(元和7)寺基を京都から江戸に移す(リンク先より) << 戻る
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聖徳寺-愛知県名古屋市北区

・普門山吉祥院 聖徳寺 天台宗 愛知県名古屋市北区福徳町2-30藤原時代の草創で開基は清和天皇の後裔、六孫主源経基の次男源満政七世の孫、浦埜四郎重遠の次男、従六位下右衛門少尉、葦敷次郎源重頼(安食次郎)であり、安食の荘の荘司である。長承墨股合戦(1133)の戦死の霊を弔うために建立する。(リンク先より) << 戻る
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根来寺-和歌山県岩出市

・根来寺 新義真言宗 和歌山県岩出市根来2286根來寺(ねごろじ)を開創された覚鑁(かくばん)上人は肥前国藤津荘(現在の佐賀県鹿島市)で生まれました。13歳で京都・仁和寺の寛助僧正に従い出家得度し、奈良と京都を往復しながら仏教を学び、20歳になると高野山に登り、真言密教の復興に努力しました。 やがて鳥羽上皇の庇護を受け、長承元年(1132)に学問探究の場である「伝法院」、修禅の道場である「密厳院」を高野山上に建立します。同時に根来近郊の岡田・山東・弘田・山崎の荘園と本寺豊福寺(のちに根來寺)を院宣により賜り、覚鑁上人を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛しました。(リンク先より)<< 戻る
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川崎大師(平間寺)-神奈川県川崎市川崎区

・川崎大師(平間寺) 真言宗智山派 神奈川県川崎市川崎区大師町4-48崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。(中略)兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。それは、大師の尊いお像でした。兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養をおこたりませんでした。その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、...
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東光寺-埼玉県さいたま市大宮区

・禅寺 東光寺 曹洞宗 埼玉県さいたま市大宮区宮町3-6大宮山東光寺は大治3年(1128)頃、紀伊国(現和歌山県)熊野那智山の天台宗の寺院・青岸渡寺光明坊の僧侶・宥慶阿闍梨ゆうけいあじゃりが関東へ下った際、足立原に宿泊し、大宮黒塚(氷川神社の東側、現・産業道路脇)において旅人の肉を食う悪鬼が住んでいることを聞き、法力によってその悪鬼を退治し、その側に坊舎(庵)を建立し、東光坊と号して庶民救済のために開いたのが草創です。(リンク先より) << 戻る
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大念佛寺-大阪府大阪市平野区

・大念佛寺の公式サイト 融通念仏宗 大阪府大阪市平野区平野上町1-7-261127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。(リンク先より) 平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場と言われる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。(リンク先より)<< 戻る
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正宗寺-栃木県芳賀郡

・正宗寺 時宗 栃木県芳賀郡益子町益子3615紀貫之、十七代の末孫紀仲之(益子氏(紀氏)初代・之宗の父)、入道し、正宗と号す。天治元年(1124年)夢告により、専阿上人を開山上人に迎え、自ら開基となり、一宇建立し守り本尊を安置し一翁山阿弥陀院正宗寺と号した。これが正宗寺の起こりである。益子氏の菩提寺。(リンク先より) << 戻る
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吉祥院-茨城県石岡市

・吉祥院 真言宗豊山派 茨城県石岡市山崎608本院は、山号を摩尼山、院号を吉祥院、寺号を廣厳寺と称し、平安後期の天治元年(1124年)弘法大師14世法孫宥祥阿闍利により、茨城郡宍戸ノ荘山崎郷真家村(現在の石岡市真家字千本)に開山された真言密教の寺。(リンク先より) << 戻る
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顕密寺-岡山県美作市

・顕密寺 真言宗御室派 岡山県美作市尾谷1111当寺は七十五代崇徳天皇之年1123年御代勝北群小吉野庄に紀州根来寺の覚鑁上人が十一面観音、五大力明王を造り精舎を建立されたことを発祥の地とする。(リンク先より) << 戻る
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長寿院-千葉県成田市

・長寿院 曹洞宗 千葉県成田市名古屋346人皇七十四代鳥羽天皇元永2(1119)年 天台律師作蓮により開基。永正17(1520)年 祥鳳院第二世心伝永直が曹洞宗の寺院として開山。開基は春岩藤公大禅定門と伝えられる。本尊は聖観世音菩薩。平安時代の佛師定朝の作と伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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蓮教寺-岐阜県本巣市

・蓮教寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県本巣市浅木120康和5年(1102)年の創設と伝えられます。開基は、清和天皇の末裔で貞純親王の孫にあたります重實で、浅木村(現在の本巣市浅木)に一宇を建立し、釈浄忍となりました。当時は天台宗の寺院で、蓮教院と称しました。 その後、文明年間に美濃の国は、蓮如上人の教化をいただき、「念仏を称え浄土に生まれて仏になる」浄土真宗に帰依をする人々が多くなりました。浅木の蓮教院も、1469年第16代釈宗善のとき、蓮如上人に帰依をし、浄土真宗の寺院となり、寺号を蓮教寺としました。(リンク先より)<< 戻る
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即成院-京都府京都市東山区

・即成院 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町28寛治8年(1094)に造られたという来迎の阿弥陀如来と二十五の菩薩。寺伝では、恵心僧都作と言われていますが、近年は平安時代の代表的仏師、定朝とその弟子による優品とされています。阿弥陀如来の高さは5.5メートル。居並ぶ二十五菩薩もそれぞれ像高が150センチあります。見上げるほどに大きい阿弥陀座像と二十五の菩薩の姿は、極楽浄土の世界を立体的に描いたもので、国の重要文化財に指定されています。(リンク先より)<< 戻る