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了明寺-新潟県長岡市

・了明寺 浄土真宗本願寺派 新潟県長岡市滝谷町1219了明寺の起源は真言宗であり、長承年間(1132~1140)、沼垂郡沼垂村に威徳院として建設されました。承元4年(1210)、親鸞聖人38歳の時、富山へお立ち寄りになった際、住職権大僧都直法院(俗名岩崎七郎左ヱ門)は、他力易行(お念仏の教え)の法を聞き弟子となり、法名を了明房釋真観と授けられ、紺紙金泥六字名号(南無阿弥陀仏)を書き与えられました。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-香川県綾歌郡

・西光寺 真宗大谷派 香川県綾歌郡綾川町陶5702-1讃岐の地に居られた間いつもお供していた弟子然慶の生地、讃岐国鵜足郡鍋谷の里に暫し憩われて、ここに草庵を建立し、 阿弥陀如来尊像を安置せられました。上人此の草庵を諦観山西光寺と号すべし、と仰せられ帰洛のおり尊像と共にこの 草庵を然慶に賜うたのです。これが西光寺の創りで、時は承元二年(一二〇八)年も迫る師走でありました。(リンク先より) << 戻る
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誠照寺-福井県鯖江市

・誠照寺 真宗誠照寺派 福井県鯖江市本町3-2-38上野山誠照寺(うわのさん じょうしょうじ)の起源は、承元元年(1207年)宗祖親鸞聖人越後へ配流のとき、越前上野ヶ原(うわのがはら)の豪族波多野景之の別荘にご滞在になり、弥陀本願の要法を説かれた、いわゆる、初転法輪の聖地に始まるとされています。 景之はその一族と共に聞法して、溢れる法悦に随喜し、念仏の行者となり、空然(くうねん)と称したと伝わります。この地を「車の道場」(略称 車屋)と称しています。(リンク先より)<< 戻る
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福井別院本瑞寺-福井県福井市

・福井別院本瑞寺 真宗大谷派 福井県福井市花月1-2-36越前における親鸞聖人の教えの普及は承元元年(1207)の越後御流罪、北陸路を通過される頃から始まったと考えられ、念仏の道場はそのころより創設されたと推測されています。 蓮如上人(本願寺八代)が吉崎に向かわれた際(1471)の布教を契機に、多くの寺院が蓮如の本願寺に改宗・転派あるいは創建し、末寺となりました。この北ノ庄(現在の福井市)にも教化を受けた人々によって総坊(総道場)が建てられました。それは浜町(現在の中央三丁目。足羽川沿いのうち九十九橋から桜橋)近くで、近隣の九ヶ寺で管理するようになりました。(リンク先より)<< 戻る
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本伝寺-富山県黒部市

・本伝寺 真宗大谷派 富山県黒部市沓掛113建永2年(1207)、親鸞(1173~1262)越後流罪時に荻生村金津にあった(渕上家)祖先の家に立ち寄られて、その教えを受けた祖先は、親鸞から渕上一乗坊という称号を賜って坊舎を建てたことが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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浄興寺-新潟県上越市

・浄興寺 真宗浄興寺派 新潟県上越市寺町2-6-45浄興寺は浄土真宗の宗祖親鸞聖人によって創設された寺院です。聖人は承元元年(1207年)念仏禁止令により越後の国、国府(上越市)に流罪となられましたが、越後滞在七年の後、妻子と共に常陸国(茨城県)へ移られ、笠間郡稲田郷(笠間市稲田町)に稲田禅坊を開かれました。(リンク先より) << 戻る
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高山寺-京都府京都市右京区

・高山寺 単立 京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8高山寺は京都市右京区栂尾(とがのお)にある古刹である。創建は奈良時代に遡るともいわれ、その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興した。(リンク先より) << 戻る
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龍泉寺-栃木県足利市

・龍泉寺 天台宗 栃木県足利市助戸1-652当寺は、元久2年(紀元1205年3月)の開創であり、権現堂と称し比叡山の直末寺である。開山は叡海地蔵上人様であり、紀州那智(現在の和歌山県)の人である。ある夜の夢に異形の人が現れ、告げて曰く「吾と汝と共に日本60余州を巡礼し、66部の経典を各霊場に納め、汝は是れ我なり」と言うなり霞の如く消失したという。(リンク先より) << 戻る
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崇禅寺-群馬県桐生市

・崇禅寺 臨済宗建長寺派 群馬県桐生市川内町2-651崇禅寺は、織物の街桐生の西の山間、小倉の里に元久二年(1205)法然上人の弟子智明上人(桐生小倉の人、園田太郎成家)により開創され、その後南北朝の中頃、応安三年(1370)には、鎌倉大本山建長寺第四十五世東伝士啓禅師により、臨済宗の禅寺として開山されその長い歴史と法灯を今日に伝えている。この地方では「阿弥陀様の寺」として知られる古利であります。(リンク先より) << 戻る
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明言寺-群馬県邑楽郡

・明言寺 曹洞宗 群馬県邑楽郡邑楽町大字石打237-1曹洞宗月音山明言寺(そうとうしゅうげつおんざんみょうごんじ)の本尊は千手観世音菩薩です。千手観世音菩薩は、また、子〔ね〕年生まれの方の守り本尊でもあります。明言寺は、元久〔げんきゅう〕元年(1204年)、天台宗の寺院として創建されましたが、その後、天正〔てんしょう〕2年、 曹洞宗寺院として再興されました。(リンク先より) << 戻る
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建仁寺-京都府京都市東山区

・建仁寺 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町584建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。(リンク先より) << 戻る
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浄勝寺-宮城県気仙沼市

・浄勝寺 臨済宗妙心寺派 宮城県気仙沼市本吉町津谷桜子74浄勝寺の創建は建仁元年(約820年前)、尼公が馬籠の地に逃れて尼となり養光尼と号して佐藤継信、忠信の菩堤を弔うため建立したと伝えられ、養光寺と称されました。(リンク先より)※建仁元年 1201年 << 戻る
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蓮花院-埼玉県入間市

・蓮花院 妙智寺 【公式】 真言宗智山派 埼玉県入間市春日町2-9-1蓮花院は、世音山蓮花院妙智寺といい、真言宗智山派に属します。本尊は大聖不動明王ですが、武蔵野三十三観音霊場十八番札所本尊である、千手千眼観世音菩薩(通称は黒須観音)が特に有名です。境内には指定文化財の観音堂のほかに、位牌堂、大師堂、弁天堂、鐘楼、山門、庫裏等があります。建長元年(1201年)、歌人としても知られた寂蓮法師により開かれたといわれております。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-長野県長野市

・西光寺 浄土宗 長野県長野市北石堂町1398正治元年(1199)、善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建立。御本尊は、開祖苅萱道心とその子信照 坊道念上人(幼名石童丸)が刻んだ二体の親子地蔵尊です。(リンク先より) << 戻る
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新豊院-静岡県富士市

・新豊院 曹洞宗 静岡県富士市岩淵328正治元年(1199年)真言宗 光明山 心包院として創立されまた。天文4年(1535年)藤枝市 金龍山 心岳寺三世学叟昌文大和尚により曹洞宗に改宗、延宝7年(1679年)六世海印道空大和尚の代になり伽藍整備のうえ 光福山新豊院と改めました。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-長野県長野市

・西方寺 浄土宗 長野県長野市西町1019安養山極楽院西方寺の開山は正治元年(1199)に浄土宗の開祖法然上人が善光寺を訪れた時に、現在の権堂の往生院の地に開創したと伝えられています。また、弘法大師が大同二年に建立した宝乗寺がその時に浄土宗に変わったとも言われます。(リンク先より) << 戻る
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瑠璃寺-長野県下伊那郡

・瑠璃寺 天台宗 長野県下伊那郡高森町大字大島山812比叡山竹林院の観誉僧都(かんよそうず)がこの地に入り、 仁王山の間の洞(あいのほら)の樹間に出現した薬師如来にいたく感激し、創建した古刹です。 建久3(1197)年に源頼朝の祈願所となり、寺領750石を永代寄進。その折、三本の桜も共託された。伊那谷に拝む 平安仏の寺、源頼朝公祈願寺、上杉謙信公戦勝祈願の寺、武田信玄公仏道修行の寺、徳川家御加護の寺として知られている。聖衆来迎の図、十六善神、愛染明王、武田信玄寄進の鶏香炉、雨乞いの青獅子などの寺宝がある。(リンク先より) << 戻る
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鑁阿寺-栃木県足利市

・鑁阿寺 真言宗大日派 栃木県足利市家富町2220鑁阿寺は、鎌倉時代、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山。山号は金剛山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来(だいにちにょらい)を祀る。(リンク先より) << 戻る
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新大佛寺-三重県伊賀市

・新大佛寺 真言宗智山派 三重県伊賀市富永1238新大佛寺は、今から約800年前(1196年)後鳥羽法皇の勅願により、源頼朝公の協力を得て、国家の安泰と国民の幸せを祈る、一大祈願道場として又、東大寺伊賀別所として建立されました。ご本尊様は、快慶作の高さ約5メートル木彫大仏様(重要文化財)で、最初の上人様は俊乗房重源と申し、奈良東大寺を復興された上人様です。このことから、東大寺に敬意をはらって、寺号に「新」を加え、新大佛寺と名づけられました。(リンク先より) << 戻る
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聖福寺-福岡県福岡市博多区

・聖福寺 臨済宗妙心寺派 福岡県福岡市博多区御供所6-1聖福寺しょうふくじは建久けんきゅう6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝みなもとよりとも公よりこの地を賜り、栄西禅師ようさいぜんじを開山かいさんとして創建された日本最初の禅寺ぜんてらです。山号を安国山あんこくざん、寺号を聖福至仁禅寺しょうふくしぜんじといいます。元久元年(1204年)後鳥羽天皇ごとばてんのう(後上皇じょうこう)より、日本で最初の禅寺である「扶桑最初禅窟ふそうさいしょぜんくつ」の勅額を賜りました。(リンク先より) << 戻る
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満昌寺-神奈川県横須賀市

・義明山満昌寺 臨済宗建長寺派 神奈川県横須賀市大矢部1-5-10当山は建久5年(1194)、三浦大介義明を開基として源頼朝が建立して820年余の星霜をへた名刹である。この年は義明が逝って14年もたったが、頼朝は伊豆の挙兵のおりに老大をなげうち、幕府開闢の礎になった無二の忠臣義明の霊に一字を献じたかったのであろう。140年ののち、仏乗禅師が中興開山となり、臨済宗建長寺派の寺となり、禅寺として今に至っている。(リンク先より) << 戻る
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誕生寺-岡山県久米郡

・誕生寺 浄土宗 岡山県久米郡久米南町里方808熊谷法力房蓮生(熊谷直実)が建久4年(1193年)に師である法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたのがはじまりです。(リンク先より) << 戻る
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寿福寺-福岡県福岡市西区

・寿福寺 臨済宗大徳寺派 福岡県福岡市西区今津303寿福寺の歴史は、正確なものは分かっていませんが、西暦1200年以前に創建されたものと思われます。初めは、真言宗の寺院として創建され、1192年~1196年頃、栄西禅師によって禅宗へと改宗され、現在にいたっております。(リンク先より) << 戻る
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宝善院-神奈川県平塚市

・宝善院 東寺真言宗 神奈川県平塚市平塚1-23-16建久三年、鎌倉八幡宮寺(今の鎌倉八幡宮:明治維新までは関東地方屈指の真言系巨大寺院であった)に下向した京都・東寺の学問僧によって開山されました。源実朝公の妻の念持仏と伝えられる、京都より請來の不動明王です。(リンク先より)※建久三年 1192年 << 戻る
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正法寺-京都府八幡市

・徳迎山 正法寺 浄土宗 京都府八幡市八幡清水井73正法寺は1191年(鎌倉・建久2年)に、鎌倉幕府御家人・高田蔵人忠国(たかだくろうどただくに)により、天台宗の寺として開かれました(室町時代に浄土宗に改宗)。忠国の次男・高田願阿円誓(がんあえんせい)が第1世(初代住職)となり、姓を「清水」の地名にちなんで「高田」から「志水」と改め、本寺は志水家の菩提寺となりました。(リンク先より) << 戻る
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勝善寺-千葉県南房総市

・黒石山龍燈院 勝善寺 真宗大谷派 千葉県南房総市二部1344-2建久元(1190)年 天台宗の僧永範が検儀谷原黒石山に一宇を建立し、黒石山龍燈院勝善寺と号す。元仁元(1224)年 永範は、親鸞聖人に帰依し浄土真宗に改宗し釋明空と名のる。(リンク先より) << 戻る
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萬福寺-東京都大田区

・萬福寺の公式サイト 曹洞宗 東京都大田区南馬込1-49-1現在、曹洞宗寺院である萬福寺は慈眼山無量院と号します。建久年間(1190~99)大井村丸山の地に密教寺院として創建されました。開基は梶原平三景時公であったと伝えられています。元応2年(1320)火災にあい、第六代の梶原掃部助景嗣が居城と共に馬込へ移転したと伝えられます。天文3年(1534)鎌倉の禅僧明堂文竜が曹洞宗に改め中興し、現在の萬福寺へと続いています。本尊は阿弥陀三尊を祀っております。(リンク先より) << 戻る
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興禅寺-兵庫県尼崎市

・興禅寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県尼崎市浜田町1-7興禅寺は建久元年(1190年)に臨済宗の開祖・栄西千光国師が宋から帰国後、西国各地を伝道した折に開山され、令和元年で創建829年に至る禅宗の古刹です。兵庫県尼崎市唯一の禅・臨済宗妙心寺派寺院です。安置されてる本尊・釈迦牟尼佛は、室町時代初期の作であり、戦国時代の再三の兵火から護られてきました。(リンク先より) << 戻る
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宗恵寺-宮城県登米市

・宗恵寺 曹洞宗 宮城県登米市南方町尼池80文治五年(1189年)源頼朝は源義経をかくまったとして藤原泰衡を攻め(奥州合戦)、平泉・藤原氏を滅ぼしました。当地南方町も戦火に見舞われ、住民が尼池118番地に小さな僧房を建てて、戦で死んだ者の供養をしたと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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遍照寺-山形県長井市

・遍照寺 真言宗豊山派 山形県長井市横町14-8金剛山遍照寺は、8世紀中頃に行基菩薩が開いたと伝えられています。文治の乱(1189年)の時、中尊寺の祥乗が戦乱をさけて遍照寺に入ったといい、「奥の高野」とも呼ばれた古刹です。(リンク先より) << 戻る
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龍寶寺-宮城県仙台市青葉区

・龍寶寺 真言宗御室派 宮城県仙台市青葉区八幡4-8-32文治年間(1186年)伊達家の初代朝宗公(ともむねこう)が、伊達家の祈願寺(きがんじ)として開かれたお寺です。龍寶寺は、常陸の国より 福島県 梁川、山形県 米沢、宮城県 岩出山と、伊達家と共に移動し、慶長3年(1598年)頃、初代仙台藩主伊達政宗公(まさむねこう)の仙台築城に伴って現在の地に移されました。 藩政時代は城下最大の門前町を与えられ、龍寶寺に属していた寺院は約70ヶ寺という大寺院でありました。(リンク先より) << 戻る
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龍華寺-神奈川県横浜市金沢区

・知足山 龍華寺 真言宗御室派 神奈川県横浜市金沢区洲崎町9-31鎌倉の外港として栄えた武州金沢に整然とたたずむ古刹「龍華寺(りゅうげじ)」。寺のおこりは、文治年中(1185~1190)に源頼朝が六浦山中に創建した浄願寺で、明応8年(1499)に融弁上人によって現在の地にあった光徳寺と併合され、移築されました。(リンク先より) << 戻る