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永保寺-岐阜県多治見市

・永保寺 臨済宗南禅寺派 岐阜県多治見市虎渓山町1-40山号は虎渓山。虎渓の名称は景色が中国廬山の虎渓に似ていることによるといわれています。  1313年(正和2年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、 1317年(文保1年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に寺の後事を託して上京されました。(リンク先より) << 戻る
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洞泉寺-愛知県豊田市

・霞渓山 洞泉寺 浄土宗 愛知県豊田市小坂町3-10霞渓山紫雲院洞泉寺と号し、浄土宗総本山知恩院の直末にして、末寺十四ヶ寺を有す。古伝に依れば、正和2年(1313) 霞渓(市内保見町)の地に法相宗の寺院として発足、後に天台宗に改宗。建武の兵乱により一時衰微するも、正長永亨年間に復興。(リンク先より) << 戻る
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虎渓寺-佐賀県多久市

・虎渓寺 臨済宗南禅寺派 佐賀県多久市東多久町大字別府980虎渓寺は田舎の小さな禅寺ですが、静かな高台で700年以上の歴史をつないできました。開山 石庵旨明禅師大和尚(1312年4月2日示寂)(リンク先より) << 戻る
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永興寺-山口県岩国市

・永興寺 臨済宗天龍寺派 山口県岩国市横山1-10-27永興寺(ようこうじ)は鎌倉末期の延慶二(1309)年、禅の高僧仏国国師を開山に、大内弘幸によって創建されました。(リンク先より) << 戻る
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最願寺-神奈川県横浜市鶴見区

・延慶山 最願寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市鶴見区矢向4-19-18最願寺は、延慶山実相院といい、浄土真宗に属し、創立は延慶元年(1308)と伝えられ、開基は、宇多源氏源三秀義の末流宗重であるといわれます。はじめは真言宗でしたが、慶長年間(1596-1614)に祐源が東本願寺の教如上人に帰依して真宗に改め、元禄10年(1697)第6世良賢が西本願寺第14代寂如上人に帰参して現在にいたっています。(リンク先より)<< 戻る
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龍門寺-岐阜県加茂郡

・龍門寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県加茂郡七宗町神渕44311308年、岐阜長良に輪番制の寺として、福光山龍門寺が創建されました。戦国時代に兵火により焼失しましたが、創建後150年ほど後に、当地に移転されました。(リンク先より) << 戻る
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明超寺-茨城県つくば市

・明超寺 真宗大谷派 茨城県つくば市谷田部2003「桓武天皇の子孫である三浦大介義明の孫 駿河九郎重村(しげむら)」が、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の弟子となり、「明信(みょうしん)」という法名をいただいて、徳治2年(1307年)に明超寺を建立したこととなる。 この方が明超寺開祖・開基ということになる。さらに明超寺の口伝によると、明超寺開基は「法照坊(ほっしょうぼう)」という坊号があったと伝えられている。(リンク先より)<< 戻る
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尊光寺-徳島県阿波市

・尊光寺 浄土真宗本願寺派 徳島県阿波市天神41鎌倉時代末の徳治年間(1306-8)に播磨国赤松氏釋正玄は阿波に移り、阿讃山中の要地である九王野に寺基を開き、無量壽院尊光寺と号し当初は天台宗に属した。八代正淳の世に戦火にあい一切を消滅したが、九王野の旧地は「尊光寺屋敷」として伝承され、一部墓石と共に現在に伝わる。(阿波市土成町指定文化財史跡)蜂須賀蓬庵公の阿波入国により、九代正尊はその外護をうけて現在の地、大野島に尊光寺を復興し、寛永三年に上洛し浄土真宗に帰した。(リンク先より) << 戻る
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国泰寺-富山県高岡市

・国泰寺 臨済宗国泰寺派 富山県高岡市太田184開山の慈雲妙意禅師(1274−1345)は、行脚の時、二上山の幽玄の境にひかれて、山中の草庵で独り坐禅に励まれていた。たまたま通りかかった孤峯覚明禅師(島根県雲樹寺の御開山。三光国師)に誘われて、紀伊由良の西方寺(現 興国寺)の無本覚心禅師(法灯国師)に参じて大悟されたが、まもなく師の遷化(せんげ。お亡くなりになること)に遭い、二上山に戻られ、悟後の修行に励まれた。やがてその禅風を慕って雲水が集まり、嘉元2年(1304)には摩頂山東松寺を開創された。嘉暦2年(1327)には宮中に参内されて後醍醐天皇に法要をお説きになり、 「清泉禅師」の号を賜られ...
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壽徳寺-栃木県足利市

・壽徳寺 臨済宗建長寺派 栃木県足利市野田町1463開山 大本山建長寺第十一世 大通禅師《中国宋朝の名僧で 名は 西澗子曇(せいかんすどん)》開山忌 10月28日創建 鎌倉時代 嘉元元年(1303年)本尊 釈迦牟尼佛(リンク先より) << 戻る
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近松寺-佐賀県唐津市

・近松寺(きんしょうじ) 臨済宗南禅寺派 佐賀県唐津市西寺町511-1寺の創建は寺伝によれば、のち二條天皇の乾元元年(1302)と伝えられています。降って天文年間(1532~1554)、岸嶽城主波多三河守親は博多聖福寺の僧湖心碩鼎(こしんせきてい)の高徳を慕い、満島山(現在の唐津城内)に近松寺を再建し開祖として迎えたと伝えられています。この寺は、天正2年(1574)に兵火に遭い(あい)焼失しました。文禄(ぶんろく)2年(1593)、豊臣政権によって波多三河守親が改易になり、寺沢広高が波多氏の後を受けて唐津地方の代官になりました。そこで、広高は博多聖福寺にいた耳峯玄熊(じほうげんゆう)を招き、中...
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法泉寺-福岡県朝倉市

・法泉寺 浄土宗 福岡県朝倉市甘木90法泉寺由緒によると、法相宗として、第92代伏見天皇、北条貞時の永仁四年(1296年)菩提寺字西谷に創建されたとあるが、その詳細は定かではない。また、一説によれば、後土御門天皇延徳元年(1489年)当時開山、安蓮社登誉上人檀信徒の帰嚮に依り、創立すと伝う。但し、延徳元年は開山往生の年にして、開基は今少し古いものと思われる。(リンク先より) << 戻る
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龍蔵寺-埼玉県加須市

・無着山 龍光院 龍蔵寺 浄土宗 埼玉県加須市大門町18-51龍蔵寺に残されているもので、最も古いものはご本尊の阿弥陀如来像である。この阿弥陀如来像は、1293年(永仁元年)に開眼されたとされている。鎌倉時代は宗教的天才が活躍した時代で、龍蔵寺もその1人である法然上人につながる。(リンク先より) << 戻る
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南禅寺-京都府京都市左京区

・南禅寺 臨済宗南禅寺派 京都府京都市左京区南禅寺福地町正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。(リンク先より) << 戻る
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宝戒寺-神奈川県鎌倉市

・宝戒寺 公式サイト 天台宗 神奈川県鎌倉市小町3-5-22当山は天台宗の寺院で金龍山 釈満院 円頓宝戒寺(きんりゅうざん しゃくまんいん えんどんほうかいじ)と号す。開基は後醍醐(ごだいご)天皇(1288~1339)開山は天台座主 五代 国師円観恵鎮慈威和上(てんだいざす ごだい こくしえんかんえちんじいかしょう)(注1)で建武(2年)年間創建された。当寺は北条義時(よしとき)が小町邸を造って以来北条執権の屋敷となり、元弘(げんこう)3年(1333)5月22日北条九代滅亡後その霊を慰めるため、又、国宝的人材を養成修行せしめる道場として後醍醐(ごだいご)天皇が足利尊氏公に命じこの屋敷跡に建立さ...
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海徳寺-広島県尾道市

・海徳寺 時宗 広島県尾道市東久保町19-14当山は鎌倉時代末、全国を津々浦々遊行し、念仏の大切さを説いて回られた一遍上人が弘安十年(1287年)、尾道に滞在し念仏勧進された道場が起源と伝えられているお寺で、現住職で五十四代目です。(リンク先より) << 戻る
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東慶寺-神奈川県鎌倉市

・北鎌倉 松岡山東慶寺 臨済宗円覚寺派 神奈川県鎌倉市山ノ内1367東慶寺は鎌倉時代の弘安8年(1285)に開創された臨済宗円覚寺派の寺院です。女性から離婚できなかった封建時代に、当寺に駆け込めば離縁ができる女人救済の寺として明治に至るまでの600年間、縁切りの寺法を引き継いできました。(リンク先より) << 戻る
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常敬寺-千葉県野田市

・常敬寺 浄土真宗本願寺派 千葉県野田市中戸379-11284年(弘安七年)親鸞聖人の孫、唯善上人の開基のお寺です。もともと鎌倉の地にあった常敬寺は、元寇により乱逆兵火に遭うことを心配した惟康親王が、時の執権北条時宗に命じて、下総国関宿深栖郷に七堂の大伽藍を建立させたことで現在の地に移りました。(リンク先より) << 戻る
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東昌寺-宮城県仙台市青葉区

・東昌寺 臨済宗東福寺派 宮城県仙台市青葉区青葉町8-1東昌寺は1283年(弘安6年)福島の伊達の桑折という所から始まりました。伊達家の初代から3世までははっきりとした形の菩提寺というものは持っていませんでしたが、4世の伊達政依という方は仏道の帰依が厚く、自分自身の寺としてこの東昌寺を作ったのです。つまり、伊達家最初の菩提寺ということになります。(リンク先より) << 戻る
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満勝寺-宮城県仙台市青葉区

・満勝寺 臨済宗東福寺派 宮城県仙台市青葉区柏木3-5-13當午山満勝寺(満勝禅寺)は、伊達氏初代朝宗公の菩提寺として、鎌倉期の弘安六年に伊達氏四世政依公により、現在の福島県桑折町に開創されたとされていますが、近年の調査で政依公以前に満勝寺が建立されていたことが明らかになりました。(リンク先より)※弘安六年 1283年 << 戻る
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無量光寺-神奈川県相模原市南区

・当麻山 無量光寺 時宗 神奈川県相模原市南区当麻578当寺をひらいたのは、「踊り念仏」を広めたことで知られる一遍上人さまです。文永7年(1270)上人が32歳の時、また弘安4年(1281)43歳の時に、奥州遊行の帰路、当山にとどまり修行をされたと伝えられています。弘安5年(1282)の3月、上人は鎌倉方面に向け遊行の旅に発たれることになりました。このとき名残を惜しむ弟子や信徒に乞われ、自らの姿を水鏡に映し、筆をとって絵姿を描き、自ら頭部を刻み、弟子たちも力を合わせて等身大の木像を完成されました。これが御影の像として尊ばれ、現在も本尊として安置され、多くの人々を信仰の道に導かれているのです。(...
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報国寺-茨城県常総市

・報国寺 浄土宗 茨城県常総市水海道亀岡町2637報国寺は、茨城県常総市にある浄土宗のお寺です。その昔、元は真言宗の寺院でしたが、弘安4年下総地方を教化されていた良忠上人が、この地に訪れ、多くの帰依者を得たことによって、浄土宗に改宗されました。(リンク先より)※弘安4年 1281年 << 戻る
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光林寺-岩手県花巻市

・光林寺 時宗 岩手県花巻市石鳥谷町中寺林12-54光林寺の創立は、鎌倉時代末期の弘安三年(1280)にまでさかのぼります。開基は、奥州稗貫郡の領主で寺林城主だった河野太郎通重の嫡子「河野通次」です。父親の河野太郎通重は伊予の領主・河野太郎通信の長男通俊の二男にあたります。河野通次は弘安二年の初夏、京都在番の折り、時宗開祖の一遍上人(1239~1289)に帰依し、発心して弟子になったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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宝積寺-群馬県甘楽郡

・宝積寺 曹洞宗 群馬県甘楽郡甘楽町大字轟774宝積寺(ほうしゃくじ)は、現在のお寺より南に4キロ行った山の中腹にある天寿庵(てんじゅあん)と言う庵(いおり)からきています。お寺の境内には、弘安3年(1280年)、正安4年(1302年)、延慶2年(1309年)の板碑が建立されています。この時代にはすでに天台宗の寺として、広い寺領を持ち、栄えていました。(リンク先より) << 戻る
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玄猷寺-愛知県東海市

・玄猷寺 曹洞宗 愛知県東海市富木島町北島28草創以前は草庵で、弘安2年(1279年)に建立とされる石碑がかつての境内墓地にあったという。開山は、臨済宗天龍寺派の開祖夢窓国師(疎石、1275~1351)と伝えられる。暦応2年(1339年)に、夢窓国師が後醍醐天皇の菩提のため、知多に順錫した際に当寺を本格的な寺として建設し、勅願所としたという。(リンク先より) << 戻る
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慈雲寺-千葉県船橋市

・大峰山慈雲寺 曹洞宗 千葉県船橋市宮本6-25-7弘安2年(1279年)、北条時宗の招請により来朝した宋の僧、無学祖元を開山に迎え、当時この地を治めていた北条氏により創建されました。開山当初は、現在の峰台小学校の地を中心に七堂伽藍の整った大寺でした。(リンク先より) << 戻る
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松吟寺-茨城県常陸大宮市

・松吟寺 臨済宗東福寺派 茨城県常陸大宮市下町207当山は、臨済宗東福寺(とうふくじ)派大本山東福寺の直末(総本山直属の末寺)として、建治二年(1276年)開基(かいき)常陸国(ひたちのくに)守護佐竹常陸介義胤公、開山は東福寺開山円爾弁円大和尚「勅諡(ちょくし)聖一国師(しょういちこくし)」により開創されました名刹です。(リンク先より) << 戻る
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正伝護国禅寺-京都府京都市北区

・吉祥山正伝護国禅寺 臨済宗南禅寺派 京都府京都市北区西賀茂北鎮守庵町72文応元年(1260)に中国の栄より来朝した、兀菴普寧禅師に師事すること多年、遂にその蘊奥を極められたという。文永十年(1273)に聖護院の静成法印が東巌禅師に帰依し、亀山天皇の勅許を蒙り京都烏丸今出川付近に祭殿一宇を建立したのに始まる。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-愛知県愛西市

・【公式サイト】愛西市寺院西光寺 真宗大谷派 愛知県愛西市稲葉本郷200古い寺伝によれば当寺は元天台宗で諦善(文永9年(1272)5月死亡)が創立した。その頃より伝教大師作と言われる聖徳太子立像を安置している。元美濃国の幡長という所にあったが中島郡の三宅村(現平和町)に移ると、当時の領主橋本伊賀守の菩提所となった。(リンク先より) << 戻る
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本願寺(西本願寺)-京都府京都市下京区

・龍谷山 本願寺(西本願寺) 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区堀川通花屋町下ルもともと、本願寺は、親鸞聖人の廟堂(びょうどう)から発展しました。親鸞聖人が弘長2年11月28日(新暦1263年1月16日)に90歳で往生されると、京都東山の鳥辺野(とりべの)の北、大谷に石塔を建て、遺骨をおさめました。 しかし、聖人の墓所はきわめて簡素なものでありましたため、晩年の聖人の身辺の世話をされた末娘の覚信尼(かくしんに)さまや、聖人の遺徳を慕う東国の門弟達は寂莫の感を深めました。そこで、10年後の文永9年(1272)に、大谷の西、吉水の北にある地に関東の門弟の協力をえて六角の廟堂を建て、ここに親鸞聖人...
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宝蔵寺-京都府京都市中京区

・宝蔵寺 浄土宗西山深草派 京都府京都市中京区裏寺町通蛸薬師上る裏寺町587弘法大師空海の創立と伝えられる。その後、文永6年(1269)如輪上人により元西壬生郷に開基される。 弘安2年(1279)に如輪上人が遷化、天正9年(1581)玉阿律師が中興再興された。 (リンク先より) << 戻る
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温泉寺-岐阜県下呂市

・温泉寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県下呂市下呂町湯ノ島680「天歴年中この地の山中に、はじめて温泉湧出せり。地名を湯ガ峰という。」『飛州志』『斐太後風土記』ともに湯ガ峰の温泉湧出を天暦年間(947~957年)と記していることから、下呂温泉は一千年以上の歴史を持つといわれている。 しかし文永二年(1265年)突然温泉の湧出が止まってしまう。その翌年、毎日の飛騨川の河原に舞い降りる一羽の白鷺に村人が気付く。不思議に思った村人がその場へ行ってみると、温泉が湧いていた。空高く舞い上がった白鷺は、中根山の中腹の松に止まり、その松の下には光り輝く一体の薬師如来が鎮座していた・・・。これが下呂に伝わる白鷺伝説で...