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茂林寺-群馬県館林市

・茂林寺 曹洞宗 群馬県館林市堀江町1570青龍山茂林寺。分福茶釜の寺として知られる当山は、 応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって開山された曹洞宗寺院です。(リンク先より) この茂林寺はおとぎ話「ぶんぶく茶釜」の寺として広く知られており、総門から山門に続く参道では21体の信楽焼の狸像が参拝客を出迎えてくれる他、山門をくぐると1960年に東武鉄道が寄贈した巨大なタヌキ像が待っています。<< 戻る
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近龍寺-栃木県栃木市

・近龍寺 浄土宗 栃木県栃木市万町22-4当山は室町時代の応永28年(1421)に、浄土宗の僧侶である良懐上人によって創建され、 当初は宿河原(現在の栃木市城内町)にあって称念寺と号しておりました。(リンク先より) << 戻る
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嶺宿山専徳寺 facebook

ページ情報広島県呉市広長浜の浄土真宗本願寺派寺院設立日1420(リンク先より)・嶺宿山専徳寺 facebook
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本能寺-京都府京都市中京区

本能寺 法華宗(本門流) 京都府京都市中京区寺町通御池下る1415年 妙本寺の綱紀の粛清に努めていた日隆聖人が、その志を遂げられず妙本寺を去り、油小路高辻と五条坊門の間の地に寺門を開き本応寺と号した1582年 本能寺の変にて焼失。信長公自害(リンク先より) << 戻る
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宗徳寺-青森県弘前市

・耕春山宗徳寺 曹洞宗 青森県弘前市西茂森1-12-3明治三十七年発行の金澤明覧を見ると、「(室町時代の)応永二十一年、加賀能美郡粟津庄・若松城主家臣時国新宮、粟津庄ニ創建、玉窓良珍ヲ開祖トナス。文禄十二年、小幡九平、其父菩提ノ為ニ現地ニ再建シ六月移ル」「直末十二ヵ寺、孫曾孫を合スレバ九百三十二ヵ寺ヲ有ス。中林文英(曹洞宗大学校出身)現住タリ」と伝えている。尚宗徳寺は、当初龍谷寺(龍国寺とも)として開山され、後に宗徳寺と改められている。(※応永二十一年は一四一四年、文録十二年は安土桃山時代の一六〇三年、現地とは金沢市のこと)。(リンク先より) << 戻る
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西念寺-岡山県備前市

・西念寺 浄土真宗本願寺派 岡山県備前市日生町日生980応永年間(1414)頃 日生寺院=西念寺の前身できる文安年間(1444)頃 日生村長智寺(真言宗)の記録あり(那智熊野山文書) 中円坊か延徳年間(1490)頃 播州一帯に蓮如上人布教、日生寺院「六字名号」下附、一向宗に転ず(リンク先より) << 戻る
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弘経寺-茨城県常総市

・弘経寺 浄土宗 茨城県常総市豊岡町甲1弘経寺は、正式名称を『寿亀山天樹院弘経寺』と称し、応永21年(1414年)嘆誉良肇上人によって創建されました。室町時代には関東浄土宗の中心寺院として栄え、多くの学僧を世に送った有力寺院でありました。(リンク先より) << 戻る
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大寧寺-山口県長門市

・大寧寺 曹洞宗 山口県長門市深川湯本1074開創 室 町 時 代 応永十七年(1410年)開山:石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師開基:長門守護代 鷲頭弘忠(わしのうずひろただ)公(リンク先より) << 戻る
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関興寺-新潟県南魚沼市

・関興寺 臨済宗円覚寺派 新潟県南魚沼市上野267開創は応永17年(1410年)で覚翁祖伝和尚が開基す。覚翁は上杉憲顕の子。駿河に生まれ、諸方を歴参後、白崖宝生和尚に参じて嗣法、上山の地に一宇を建て、白崖和尚を請じて開山とし自らその次位となる。以来関東管領上杉家菩提寺として法灯は栄え、二世不蔵和尚の頃上田長尾氏、鎌倉公方足利持氏の帰依厚く、永享8年(1436年)寺領永楽百二十貫文並びに、境内山林一里余りの御朱印地を給せらる。(リンク先より) << 戻る
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浄光寺-長野県上高井郡

・浄光寺 真言宗豊山派 長野県上高井郡小布施町雁田676浄光寺は国の重要文化財にしていされている薬師堂(室町初期1408年建立)があり、2008年で建立満六百年を迎えました。今では基調な茅葺屋根も2007年に葺き替え工事を行い綺麗になりました。また縁結びのお薬師さんとしても親しまれ若い男女も多く訪れています。(リンク先より) << 戻る
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養國寺-愛知県西尾市

・重蔵山 養國寺オフィシャルホームページ 浄土宗西山深草派 愛知県西尾市寺津町東市場48創建 応永15年3月(1408年 室町時代初期)開山上人 閑叟乗玄 (かんそうじょうげん)上人本尊 阿弥陀如来(リンク先より) << 戻る
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海潮寺-山口県萩市

・海潮寺(なるほど法話 海潮音) 曹洞宗 山口県萩市北古萩50開創は応永15年(1408)、開山は不見明見。もと石見国温泉津(現、島根県邇摩郡温泉津町)に湯津山海蔵寺が建立されたことに始まる。のち毛利輝元の防長移封に際し、慶長12年(1607)、第12世大佐のとき萩に移り、山号・寺号を現在のものに改めた。(リンク先より) << 戻る
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龍泰寺-岐阜県関市

・龍泰寺 曹洞宗 岐阜県関市下有知5055-1応永14年(1407)第1祖無極慧徹(むごくえてつ)禅師によって開創され、第2祖月江正文大和尚、第3祖開山華叟正萼(かそうしょうがく)大和尚に受け継がれた。(リンク先より) << 戻る
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誕生院-佐賀県鹿島市

・誕生院 新義真言宗 佐賀県鹿島市大字納富分2011誕生院は真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁聖人の誕生の地に建てられた寺院です。後亀山天皇の明徳年中足利三代将軍義満公の発願により、後小松天皇の応永十二年沙門定成上人によって創建されたもので、堂塔完備の大伽藍であったことが想像されますが、戦国時代永禄元年兵火に罹って廃滅。(リンク先より)※応永十二年 1405年 << 戻る
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荘厳寺-京都府京都市下京区

・荘厳寺 時宗 京都府京都市下京区富小路通五条南入本塩竃町592-2荘厳寺は、応永12年(1405)遊行11代自空上人の弟子義縁和尚の創建です。かつては、高辻の北側・油小路堀川の間・東西72間・南北45間半(明治初年以来の明細書)あり、高辻道場佛光山荘厳寺と呼びました。同時に法性寺中将親信を始め、諸人の寄進により数多くの寺領を有りしていました。(リンク先より) << 戻る
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長蓮寺-岩手県奥州市

・長蓮寺 真宗大谷派 岩手県奥州市前沢区前野66室町時代の応永11(1404)年、長順和尚の開基と寺伝にあり、前沢では2番目に古く600年の歴史を有りしている。開祖親鸞が興した浄土真宗の念仏の教えは、東日本にも教勢をのばし、高弟二十四輩の一人、和賀の是信房が長蓮寺を開いたという別の伝えもある。白鳥では唯一のお寺で、一関市厳美の中世の農村集落骨寺村遺跡との関わりも深い。(リンク先より) << 戻る
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退蔵院-京都府京都市右京区

・退蔵院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町35(1404年)、室町時代の応永年間に当時の京洛に居を構えた波多野出雲守重通が高徳のきこえ高い妙心寺第3世をつとめる無因宗因禅師への深い帰依によって、無因宗因禅師を開山として建立されました。これが退蔵院のはじまりです。(リンク先より) << 戻る
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慈光寺-新潟県五泉市

・慈光寺 曹洞宗 新潟県五泉市蛭野870時の嶽城主・神戸太郎最重が室町時代初期、応永10年(1403)頃、岩船・耕雲寺の傑堂能勝禅師の道風を慕い、師を勧請して中興の祖となし、爾来、禅刹として再興。ご開山・傑堂能勝禅師は、南北朝時代、後醍醐天皇を支えた楠木正成の直孫と伝えられる。早くから祖父・正成の意志を継いで、南朝の再興を願い、一族と共に良く奮戦するが、25歳の時、相手方の弓矢により足を痛められ治療の折、仏典を読み戦国乱世の虚しさを感じ、諸方に多くの禅匠を参じた後、越前・龍沢寺の梅山聞本禅師の会下に投じ、禅の奥義を究めたといわれている。(リンク先より) << 戻る
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可睡斎-静岡県袋井市

・萬松山 可睡斎 曹洞宗 静岡県袋井市久能2915-1創立 応永八年(1401年)開山 如仲天誾禅師(じょちゅうてんぎんぜんじ)本尊 聖観世音菩薩を本尊とし、高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と太祖常済大師(たいそじょうさいだいし)を両祖とします。さらに宗派を越えて古来より火伏せの神とあがめられて全国津々浦々に奉祀 されている秋葉様の日本唯一のご真躰を安置されている秋葉総本殿三尺坊大権現の道場である。(リンク先より) << 戻る
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永敬寺-福岡県京都郡

・永敬寺 真宗大谷派 福岡県京都郡みやこ町勝山黒田2809創建は1400(應永7)年。眞譽玄下が現在地に小庵を建立し、浄土の教えを弘める。 榮心、清玄が法統を継ぐ。現在地の小字である浄土寺は、これに由来する。開基は1669年(寛文9)年。地頭藤平吉右衛門の孫・良傳は本山(浄土真宗・東本願寺)より寺号を允許され、法統連綿として現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-長崎県佐世保市

・西方寺 曹洞宗 長崎県佐世保市八幡町5-131400年初頭に相浦町洪徳寺住職のご隠居の庵『帰一庵』として、相浦町に誕生したといわれています。その後、赤崎町に移転をし信仰を集めましたが、戦国時代佐世保城へ転封された赤崎伊予守(開基家)が赤崎町より現在の場所にお寺を移して以来500年、佐世保の中心のお寺として現在にいたります。(リンク先より) << 戻る
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正光寺-千葉県袖ヶ浦市

・お地蔵さんのお寺 正光寺 真言宗智山派 千葉県袖ヶ浦市蔵波1662延命山正光寺は、今を遡ることおよそ600年前、 應永6年(1399年)に、在原善政氏により創建されました。その後荒廃するも、元禄の頃 元清法印が中興開山し、以来師資相承され、またお寺の周辺袖ヶ浦市蔵波地域には、在原姓が多く、伝説では平安時代 六歌仙の一人で、 伊勢物語の主人公である在原業平の末裔とも語り継がれ、在原家の一族を中心にお寺が護持されて今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
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常圓寺-長野県伊那市

・常圓寺 曹洞宗 長野県伊那市山寺3251応永六年(1399)に信濃国西伊那部村西山の内(現在の伊那市横山)の寺社平に開創されました。現在は記念碑が建っています。 その後、百年を経て文亀元年(1501)に賢甫宗俊禅師により開山され、現在地の字上の原山王権現(現在の伊那市山寺区)に移転再興されたのは天正九年(1581)で、五世造天弘宅大和尚のときであり、開基は御園の御子柴六左衛門茂久です。(リンク先より) << 戻る
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平福寺-長野県岡谷市

・平福寺 真言宗智山派 長野県岡谷市長地柴宮3-3-22彌林山平福寺は、弘法大師空海(774-835)の密教を擁護する道場として開創されました。その開基は不詳ですが、諏訪下神宮寺僧・憲明阿闍梨(?-1396)の中興とされ、隆盛時には伽藍七宇・門徒十一坊を有する大寺院であったとされます。また傍らに正八幡大菩薩の社があり、仏殿にはその本地仏・阿弥陀如来が安置されていました。(リンク先より) << 戻る
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蔵興寺-静岡県浜松市南区

・蔵興寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区新橋町1325-1山号を金剛山・寺号を密厳蔵寺と称し真言宗にして当時隆盛を極めたが、その後幾多の盛衰を経て後小松天皇の御代、応永三年(1396)記室禅師が入寺して臨済宗に転ずる。遠州、奥山、大本山方広寺派に属し山号を宝的山、寺号を蔵興寺と改称し、大通院塔頭、竜珠菴と合併し今日に至る.(通称、虚空蔵寺)(リンク先より) << 戻る
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昌運寺-京都府向日市

・昌運寺 西山浄土宗 京都府向日市物集女町中条38当山は、応永3(1396)年、室町時代に中山道嘉和尚によって開山された西山浄土宗(本山:長岡京市  総本山 光明寺)末の寺院です。御本尊は阿弥陀如来ですが、脇佛に地蔵菩薩が安置されております。(リンク先より) << 戻る
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大通寺-岡山県高梁市

・大通寺 臨済宗佛通寺派 岡山県高梁市備中町布瀬10711395(應永2年)開山 開祖 第一代 千畝周竹和尚臨済宗大本山天竜寺派渓林山大通寺  明治末期に臨済宗大本山佛通寺派(三原市)に属し現在に至(リンク先より) << 戻る
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専称寺-福島県いわき市

・専称寺 浄土宗 福島県いわき市平山崎字梅福山5梅福山・報恩院 専称寺。本尊は阿弥陀如来像。およそ600年前の応永2年(1395年)の開山。(リンク先より) << 戻る
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報恩寺-千葉県野田市

・野田厄除大師大師山報恩寺 真言宗豊山派 千葉県野田市中野台651-1報恩寺は応永二年(1395)宥譽上人の開創と伝えられておりますが、下寺であった堤台地蔵尊の本尊の台座にその年代が彫られていることがその根拠となっております。もともと野田市堤台にあって堤台八幡神社の別当として、江戸時代には末寺二十四ヶ寺を有する本寺として、徳川幕府より御朱印状五石を拝領しておりました。(リンク先より) << 戻る
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龍眼寺-東京都江東区 – 萩寺

・龍眼寺 通称萩寺 天台宗 東京都江東区亀戸3-34-2龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。(リンク先より) << 戻る
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青苔寺-山梨県上野原市

・青苔寺 臨済宗南禅寺派 山梨県上野原市上野原鶴島611青苔寺は山号を飯盛山とする臨済宗南禅寺派の禅宗のお寺です。鎮守は青苔寺の上に位置する神明社の神明大明神としています。応永2年(1395)今から約600年前に敕謚法光圓融禅師(峻翁令山)に拠って開創されました。開基は小俣家とされています。(リンク先より) << 戻る
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圓通院-宮城県大崎市

・圓通院 曹洞宗 宮城県大崎市三本木新沼字二又145-1当通龍山圓通院は第百代後小松天皇代の応永元年(一三九四年)上州(群馬県)白井村の最大山雙林寺三世曇英慧応大和尚によって開山された通幻派最乗寺系の寺院であり、御本尊は聖観世音菩薩であります。かつては鳴瀬川北岸に境内面積約二千坪を有する大伽藍でしたが、大正二年の鳴瀬川流域の大洪水の為、大正四年五月に現在地に移転し今に至るものであります。(リンク先より) << 戻る