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称讃寺-香川県高松市

・称讃寺 浄土真宗本願寺派 香川県高松市香川町大野1325-2天文八年(1539)頃に、乾城の北一町の東龍満の地に寺を開創し、瑞光山浄土院称讃寺と称した。(リンク先より) << 戻る
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新昌寺-愛知県新城市

・新昌寺 曹洞宗 愛知県新城市有海字稲場2新昌寺は、1539年(天文八8年)長篠山・醫王寺四世月傳太隋大和尚により創建されました。本尊は釈迦牟尼仏。創建当初は「喜船庵」と称されておりました。(リンク先より) << 戻る
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永弘院-愛知県名古屋市千種区

・永弘院 臨済宗妙心寺派 愛知県名古屋市千種区上野1-4-18戦国時代の天文7年(1538年)に、信州小笠原家の後裔である下方氏一族の下方貞清が義雲祖嚴を開山とし、居城である上野城の北東にある藥師堂に祀られていた薬師如来を本尊として寺院を建立した。貞清は、戦乱の世が進み戦場を駆け巡る日々が多くなると、武運長久と一族の安穏を祈願する為に信仰していた勝軍地蔵菩薩を祀るための堂を寄進し、寺を心の拠り所とした。(リンク先より) << 戻る
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満福寺-福島県会津若松市

・満福寺 真宗大谷派 福島県会津若松市中央2-6-8開基は天文六年(一五三七)祐観清玄師が東本願寺十世光教證如上人に請い、鶴ヶ城南の湯川に中嶋満福寺を建立したとされます。しばしば水害に遭ったため、三世重玄の時、文禄元年(一五九二)に現在の勝地、中央二丁目(旧馬場名古屋町)に移りました。(リンク先より) << 戻る
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光明寺-福岡県宮若市

・光明寺 浄土宗 福岡県宮若市竜徳779-1天文六年(1537年)遠賀郡陣の原の人宝誉貫碩和尚(姓を白水といい本寺極楽寺の第七世)によって開基されました。その後、兵火に焼かれて寺記、什物等一切を失いましたが 過去帳は慶長十八年(1613年)より見られます。(リンク先より) << 戻る
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東雲寺-東京都町田市

・東雲寺 曹洞宗 東京都町田市成瀬4464曹洞宗東雲寺は、『新編武蔵風土紀稿』(しんぺんむさしふどきこう)によれば「字奈良谷あり。寺領六石三斗の御朱印を賜りしは慶安元年(1648)7月7日なり。(中略)その地を領せしはそれよりも先なることしるべし。曹洞宗にて小机村(横浜市港北区)雲松院(うんしょういん)末寺なり。龍谷山 成就院(りゅうこくざん じょうじゅいん)と号す。開祖僧・龍谷(性孫)は天文5年(1536)5月27日に寂せり。(リンク先より)
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正福寺-鳥取県境港市

・正福寺 曹洞宗 鳥取県境港市中野町5016当山は往事境村(瀬崎)に在り、代台寺と称する真言宗の大刹であった。天文の大洪水(1535年頃)にて罹災、寺号を吉祥寺と改め相続するも、元亀年間(1570年頃)尼子・毛利の合戦にて全焼。(リンク先より) << 戻る
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円通寺-秋田県由利本荘市

・円通寺 曹洞宗 秋田県由利本荘市西目町沼田敷森27寺伝によれば、戦国期の天文3年(1534)頃、大西目郷寺ヶ沢に堂宇を建立し由利町慶祥寺十二世菊翁是琳大和尚を開山に請して開創したことに始まり元禄3年(1690)焼失後沼田桂林に移転、さらに寛政4年(1792)現在地に三転、再建されたと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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守徳寺-茨城県つくば市

・守徳寺 曹洞宗 茨城県つくば市下岩崎1468この守徳寺は、室町時代の中頃(天文三年・1534)、領主岩崎勘解由左衛門が亡き母の菩提のために創建したもので、火災後江戸時代中期(元禄七年・1694)に再建され、その後幾度か改築されましたが、本堂の本体は元禄期のままで残存されております。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-新潟県魚沼市

・西福寺 曹洞宗 新潟県魚沼市大浦174赤城山西福寺は、1534年(室町時代後期)、開山 芳室祖春(ほうしつそしゅん)大和尚によって開かれました。約500年の歴史を持っています。ご本尊様は阿弥陀如来三尊で、鎌倉時代の作です。本来、曹洞宗では釈迦如来をご本尊としてお奉りします。しかし、当寺は初め天台宗の寺でありました。(リンク先より) << 戻る
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慶雲寺-静岡県静岡県清水区

・慶雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市清水区上清水町5-28当寺の由緒は、孤峰山福泉寺と号し、武田氏等の兵火に逢い、ただ小堂と五輪の石碑のみ存していた。当時、寺の東側近くは波打ち際であった。たまたま、開山月桂禅師が一宿し、翌朝、諷経後、緑端に座して伊豆の山岳と駿河湾の風光を眺望していると、 堂前に大小二つの雲気が現れ、是れ有縁の霊地なりと深く感じて遂に三宇(本堂・庫裡・書院)を創建した。 この因縁により大小山慶雲寺と改称、時に天文元年(西暦1532年)4月11日のことであった。(リンク先より) << 戻る
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秘在寺-静岡県静岡市葵区

・秘在寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市葵区郷島506創建は記録によると、450年程前の天文年間(1532~1554)です。開山様は寶珠護国禅師(1496~1555)で、またの名を臨済寺二世大原崇孚(たいげんすうふ)雪齋長老といいます。軍学に長じ今川義元を補佐し、徳川家康幼少時の勉学の師でした。(リンク先より) << 戻る
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威徳寺-山梨県大月市

・威徳寺 曹洞宗 山梨県大月市賑岡町畑倉2163今から約400年前天文年間(1532年から1555年)、都留市谷村長生寺2世融山宗祝大和尚示寂の地とあります。その後約100年、慶長年間に長生寺10世即室長茂(一説に宗茂)大和尚開山第1世として勧請し、享保年間正宗心印大和尚諸堂を建立し中興、文久年間本堂再建(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-東京都豊島区

・祥雲寺 曹洞宗 東京都豊島区池袋3-1祥雲寺が開山したのは、江戸時代より前のこと。小田原・北条氏が関東を治めていた1532年(天文元年)、豪族・江戸氏の館だった江戸城(和田倉門)の内側に、約30年をかけた大伽藍が完成しました。しかし江戸のまちづくりを進める徳川家康の命により、祥雲寺は城内から神田へ移転。その後も日暮里、白山と2度の引っ越しを余儀なくされ、大正4年、4度目の移転でようやく現在の地に根を下ろしました。(リンク先より) << 戻る
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定泉寺-神奈川県横浜市栄区

・田谷山 「定泉寺」 真言宗大覚寺派 神奈川県横浜市栄区田谷町1501田谷山 定泉寺(じょうせんじ)室町時代(天文元年)の開創。本尊に厄除身代り阿弥陀如来・不動明王・弘法大師をまつる。(リンク先より)※天文元年 1532年から1555年 << 戻る
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禅定寺-熊本県熊本市中央区

・禅定寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区横手1-9-6天正文禄の比(1532年~1554年)、宣安明言大和尚(禅師)が龍田山の麓で廃寺となった壽福山常楽寺を再興開闢されたことにより本寺の歴史が始まっております。戦国の世であった当時、幾多の困難を乗り越えられた宣安明言大和尚(禅師)は加藤清正公(肥後国主)の重臣であった並河志摩守より崇信を受け、加藤忠広公(加藤清正公実子)および並河志摩守、南条元宅(加藤家重臣)が加藤清正公より許可を得て建立されております。(リンク先より) << 戻る
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鳳仙寺-宮城県亘理郡

・鳳仙寺 曹洞宗 宮城県亘理郡山元町小平字舘53-1天文年間(一五三二~五四)小平大閑斎を名乗りこの地に移った亘理要害十四世亘理宗隆の菩提を弔うため、二代目重隆によって建立されたのが、曹洞宗竜頭山鳳仙寺460年の歴史のはじまりです。(リンク先より) << 戻る
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一乗寺-静岡県静岡市清水区

・一乗寺 曹洞宗 静岡県静岡市清水区庵原町1937今よりさかのぼる事およそ600余年前(室町時代以前)、この地の領主であった庵原氏の創建した「善念(然)寺」という真言密教のお寺が、一乗寺の原点と言えます。その後創建された、当寺の前身となる「禅林寺」を、庵原家ゆかりの太原崇孚(たいげんすうふ)和尚が天文年間(1532~1554年)に再建し、現在の「一乗寺」が生まれました。(リンク先より) << 戻る
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西芳寺-福岡県筑紫野市

・西芳寺 浄土宗 福岡県筑紫野市天山234この寺の起源は今より千三百年前奈良白鳳時代にさかのぼります。当初は法相宗の寺院でしたが、鎌倉~室町の戦乱期に幾度と無く焼失しました。天文年間、福岡四十八ヶ寺復興の折、僧行明はここに浄土宗寺院を建立しました。雄大かつ荘厳な伽藍であったと『筑陽記』に記されています。正面を西向きにした現本堂は大正十三年の建立ですが、妻入り入母屋形式は見事です。(リンク先より)※天文年間 1532年から1555年 << 戻る
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源証寺-東京都足立区

・源証寺 単立(浄土宗系) 東京都足立区入谷2-15-251532年(天文元年)、十蓮社念誉一向源證上人によって開山された。境内には、江戸時代中期に建立された太子堂がある。太子堂の天井は格天井になっており、その一つ一つに絵が描かれている。聖徳太子を祀る太子堂は足立区内唯一であり、足立区の文化財に登録されている。山号 入谷山院号 太子院本尊 阿弥陀三尊札所等 荒綾八十八ヶ所霊場39番札所<< 戻る
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保昌寺-宮城県刈田郡

・保昌寺 曹洞宗 宮城県刈田郡蔵王町大字平沢字諏訪舘28-1保昌寺は、1530年(享禄3年)2月7日、伊達家家臣であった高野家の菩提寺として建立されました。伊達家が米沢にいた時代に創建され、仙台城に移った折り、丸森城主を経て、1602年(慶長7年)平沢城主に移封されるのに従って転院し、現在に至ります。ご開山は、山形県米沢市の萬年山松林寺2世、牛見永喜大和尚。ご開基は、高野家12世壱岐守知有。(リンク先より) << 戻る
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常勝院-福島県いわき市

・常勝院 真言宗智山派 福島県いわき市平中平窪字岩間61開山 室町時代 享緑3年(1530年) 下好間大館開祖 見瑜上人は、岩城朝義4世、隆忠の孫である中山隆朝の一子(リンク先より) << 戻る
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清谷寺-福岡県糟屋郡

・清谷寺 臨済宗妙心寺派 福岡県糟屋郡久山町山田651記録によると清谷寺の開山は大説和尚、中興開山は玉林和尚になります。享禄2年(1529年)博多の安国山 聖福寺の東部寺院として末寺になりました。(リンク先より) << 戻る
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妙福寺-福岡県粕屋郡

・妙福寺 浄土真宗本願寺派 福岡県糟屋郡篠栗町篠栗4253-21529年(享禄二年) 七里隼人が、蓮如上人の命により建立。備考 末寺70余の筑前国触頭となった。また、明治時代の住職七里恒順は、真宗の名僧と言われた。(リンク先より) << 戻る
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碩水寺-長野県東筑摩郡

・碩水寺 曹洞宗 長野県東筑摩郡筑北村坂北1044-1当寺は天明二年と文化十年の火災にあい、寺の由緒は詳かではないが、裏山に覚応阿闍梨法印の塔があったことから、もとは真言宗の寺であったことが知られる。現在の曹洞宗に改められたのは、享禄年中(1528~)、当時の領主青柳近江守清長、伊勢守頼長父子が勢力をはっていた頃のことで、頼長が開基となり、南安曇有明の青原寺二世天如桂樹和尚を請じて開山となし、天文元年(1532)、寺が創立された。(リンク先より) << 戻る
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勝胤寺-千葉県佐倉市

・勝胤寺 曹洞宗 千葉県佐倉市大佐倉1467-1勝胤寺は享禄元年(1528年)に創建されました。開山は華翁祖芳大和尚と申します。かって能登の祖院で典座職を務めたことがある、と伝えられる方です。1500年当時、開山を招ねかれた開基千葉勝胤公は下総を統括する立場にありました。(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-東京都町田市

・龍澤山 祥雲寺 曹洞宗 東京都町田市高ケ坂7-15-1当寺院は、山号を龍澤山、寺号を祥雲寺と称し、小田原大雄山最乗寺住職輪番ならびに一万石の格式にて、大永6年(1526)8月、現在の神奈川県伊勢原市石雲寺第三世寥堂秀郭大和尚を請して開山とし、小田原北條家が武運長久祈願のためと檀信徒の帰依のためとに因って建立され現在に至っております。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-広島県三原市

・光徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県三原市久井町和草970神辺の城主山名式部少輔美政の次男善宗は戦の明け暮れに生命を失っていく戦国の世に無常を感じ、明応五年に現在の地に草庵を結び、出家して好晴と名のりました。   そして、大永六年四月九日光徳寺を創立し、天文十年十月十五日に往生の素懐を遂げました。(リンク先より)※大永六年 1526年 << 戻る
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善重寺-愛知県知多市

・功徳山 善重寺 真宗大谷派 愛知県知多市八幡字荒古前110-1善重寺は、大永6年(1526年)岐阜県揖斐川町(旧久瀬村)に創建された天台宗寺院でありましたが、慶長5年(1600年)本願寺十二世教如上人のご教化により、阿弥陀如来を本尊とした、浄土真宗の寺院となりました。(リンク先より) << 戻る
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神恵院-香川県観音寺市

・神恵院・観音寺 真言宗大覚寺派 香川県観音寺市八幡町1-2-7・67番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第68番札所 七宝山 神恵院 ⇒ 69番札所 七宝山 観音寺 ⇒ 70番札所本堂は、観音寺金堂とも呼ばれ、元あった東・西・中の三金堂の内の中金堂であり、平安時代初期に建立されたが、幾度かの改築の後、大永五年(1525)十二月に、法印澄瑜が大檀那源(細川)氏信以下の寄進により再建したものが現在の建物であると、記録に残る。(リンク先より)<< 戻る
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善了寺-大分県中津市

・善了寺 真宗大谷派 大分県中津市大字全徳378室町時代、大永3年(1523)に釈正誓により開かれました。江戸期、寛永10年(1633)に東本願寺の末寺となり、真宗寺院として阿弥陀如来像を安置し、善了寺を寺号とすることを許可されました。(リンク先より) << 戻る
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妙蓮寺-山口県下関市

・妙蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県下関市蒲生野町415大内義隆の家臣に原田右衛門之尉道信が大永三(一五二三)年仲秋京に上り本願寺九代實如上人に竭し剃髪して法名釋道信を賜り、實如上真筆六字の尊号を頂き、この蒲生野の地に一字を創草する。(リンク先より) << 戻る