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瑞相寺-山口県岩国市

・瑞相寺 浄土宗 山口県岩国市岩国1-14-21現在の8間4面総けやきの本堂は、天和2年(1682年)に建立、安政6年(1859年)に改修されました。御本尊は恵心作と伝わる阿弥陀如来です。阿弥陀如来の向かって右側は慈悲を司る観音菩薩、左側は智慧を司る勢至菩薩です。(リンク先より) << 戻る
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光明院-茨城県神栖市

・光明院 真言宗大覚寺派 茨城県神栖市波崎7426天和元年(1681年)三月八日恵仁僧都により波崎仲舎利地区に創建されました。その後、安政3年 (1856年)頃に波崎海老台地区の地元の人々の要請により現在の地に移転されました。(リンク先より) << 戻る
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金覚寺-兵庫県神戸市西区

・金覚寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県神戸市西区岩岡町中野11191681年(天和元年)教寿師により開基された。<< 戻る
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護國寺-東京都文京区

・護国寺 真言宗豊山派 東京都文京区大塚5-40-1天和元年(1681)、江戸幕府5代将軍徳川徳川綱吉が生母・桂昌院の発願により新義真言宗・亮賢を開山に迎え創建しました。<< 戻る
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達磨寺-群馬県高崎市

・達磨寺 黄檗宗 群馬県高崎市鼻高町296昔、碓氷川のほとりに観音様を祀るお堂がありました。ある年の大洪水のあと、村人たちが川の中から香気のある古木を引き上げて霊木として観音堂に納めておきますと、延宝八年(1680)一了居士いちりょうこじという行者が霊夢によって訪れ、信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りしました。この噂は「達磨出現の霊地・少林山」として近隣に広まりました。(リンク先より) << 戻る
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海元寺-福岡県福岡市博多区

・海元寺 浄土宗 福岡県福岡市博多区中呉服町10-5開山上人は、岌山徳行で、黒田長政公の入国のおり、松原小崎より、現在の地、博多石堂口に移されたといわれます。海元寺にある閻魔さまは、江戸時代の延宝8年(1680年)には石堂口から松原の方に入って左手にあった自性院という寺に祀られていましたが、縁あって海元寺の山内に移転して、現在にいたっています。(リンク先より) << 戻る
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功徳院-大分県由布市

・功徳院 高野山真言宗 大分県由布市庄内町龍原443延宝 5年(1677)大分県に開創 本尊=不動明王明治18年(1885)大分郡庄内町(現由布市)に移転昭和63年(1988)巣鴨に東京別院建立 本尊=金剛界大日如来巣鴨平和霊苑開設(リンク先より) << 戻る
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真国寺-富山県富山市

・真国寺 曹洞宗 富山県富山市八ケ山4185春に雪の立山連峰、脚下に日本海を一望できる標高八十メートルの高台に曹洞宗、長岡山御廟真国寺があります。延宝三年(1675年)富山藩主前田公の廟所”長岡御廟”守り役として建立されました。(リンク先より) << 戻る
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東輪寺-愛知県名古屋市中区

・護国山東輪寺 黄檗宗 愛知県名古屋市中区松原3-15-18東輪寺は1674年(延宝二年)に、尾張二代藩主 徳川光友公によって創建された黄檗宗(禅宗)大本山萬福寺の直末寺院です。開山は、宗祖隠元禅師の高弟で、木庵禅師とならび黄檗の二甘露門と称された高僧・即非禅師。初代住職には、後に大本山萬福寺第六代の法席を継ぐ千呆禅師が就かれました。(リンク先より) << 戻る
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圓通寺-東京都墨田区

・圓通寺のホームページ 曹洞宗 東京都墨田区向島3-11-6延宝 二年(1674)鉄牛和尚、善左新田(現・隅田四丁目)の小庵を移して一寺とし、弘福寺と号す(『江戸名所図会』)。開基・稲葉正則。延宝 6年(1678)鉄牛和尚、下総(千葉県)を巡化し、椿沼開拓に着手す。(リンク先より) << 戻る
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法雲寺-大阪府堺市美原区

・法雲寺 黄檗宗 大阪府堺市美原区今井192-甲黄檗三傑の1人、慧極道明禅師によって寛文12年(1672年)に開山された黄檗堀出観音(秘仏)宗の中本山格の寺であります。山門・天王殿・大殿(本堂)・開山堂・耀先殿など、黄檗様式の建物群としてのまとまりと、全てではないものの建築当初の伽藍構成を今に残しており、寺伝によれば、法雲禅寺の前身は弘法大師の開基で神福山長安寺と称する真言宗の巨刹でありましたが、元和年間(1615年~24年)に西除川の氾濫によって流失しました。(リンク先より) << 戻る
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閑臥庵-京都府京都市北区

・閑臥庵 黄檗宗 京都府京都市北区鞍馬口通寺町西入新御霊口町278「閑臥庵(かんがあん)」は山号を瑞芝山(ずいしざん)という黄檗宗の禅寺でございます。江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸でございましたが王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師を招いて1671年に開山したのが当寺の起こりであります。(リンク先より) << 戻る
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瑞聖寺-東京都港区

・紫雲山 瑞聖寺 単立 東京都港区白金台3-2-19紫雲山瑞聖寺は、江戸で最初の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で、寛文十年(1670)から建設に着手し、翌年諸堂が完成しました。 創建伽藍は亨保十一年(1726)と延亨二年(1745)の二回の火災で大きな被害を受けましたが、文化年間(1804~18)に再び整備されました。 (リンク先より) << 戻る
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常福寺-島根県安来市

・常福寺 臨済宗妙心寺派 島根県安来市門生町1721669年(江戸時代-四代将軍 家綱の時代)、開祖 末禅和尚が雲州-雲樹寺の臥龍庵を当地に移して建立されました。観音立像を本尊として、後の鎭堂(ちんどう)和尚により 裏山に三十三ヶ所観音巡りが祀られております。(リンク先より) << 戻る
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広済寺-東京都江戸川区

・萬徳山 広済寺 黄檗宗 東京都江戸川区春江町4-231669年(寛文九年)に当時の上州(群馬県)館林城主綱吉公の許可を得た潮音道海禅師により、関東における最初の黄檗禅道場として城内に建立された。 大いに禅風を挙げ、禅師に深く帰衣し、檀越(信者)となった多くの庶民がその膝下に集り、後に黒滝派という一派を形成、その言動が与えた影響は社会的に大きいものがあった。(リンク先より) << 戻る
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蓮敬寺-島根県江津市

・蓮敬寺 浄土真宗本願寺派 島根県江津市敬川町1754開基は「教生」という僧侶が波子に小庵を結び布教にあたったのが蓮敬寺のはじまりとされております。 寛文7年(1667年)小庵を神村という地に移り、さらに元禄15年(1702年)には跡市村に移って布教活動を続けるが、明治14年(1881年)11月26日に敬川の強信の門信徒の願いにより敬川の地に移転した。(リンク先より)<< 戻る
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長円寺-愛知県名古屋市中区

・長円寺 浄土真宗本願寺派 愛知県名古屋市中区栄2-4-231666年、長円寺が創建されました。<< 戻る
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恵洪寺-宮城県岩沼市

・恵洪寺 臨済宗妙心寺派 宮城県岩沼市押分字南谷地238江南山 恵洪寺は、京都の臨済宗大本山妙心寺に属する宮城県岩沼市の禅寺です。周澤(しゅうたく)和尚の開山後、寛文4年(1664年)、仙台北山五山で伊達輝宗公の菩提寺「覚範寺」第6世「徹宗宗源大禅師和尚」の創建です。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-三重県津市

・西方寺 浄土真宗本願寺派 三重県津市芸濃町椋本332寛文3年1663年9月宗春によって開山いたしました。西方寺の寺号は貞享2年1685年9月に許可されました。以来、お念仏の道場として、ご門徒の心の拠りどころとして現在に至っております。(リンク先より) << 戻る
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東光寺-東京都中野区

東光寺 真言宗豊山派 東京都中野区上高田5-21-5寺院内にある寛文3(1663)年に作られた庚申塔は、地蔵と共に、中野区登録有形文化財になりました。また、豊島八十八ヶ所霊場87番札所となってます。平成26年2月、中野区認定観光資源に認定されました。創建年代は不明ですが、1933年(昭和8年)の本堂改築の際に、「元禄三年五月八日三世満盛建之」と書かれた棟札が発見されています。 << 戻る
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慈光院-奈良県大和郡山市

・慈光院 臨済宗大徳寺派 奈良県大和郡山市小泉町865寛文3年(1663) 小泉藩二代目藩主の片桐石見守貞昌(石州)が、初代藩主である父貞隆(慈光院殿雪庭宗立居士)の菩提寺として自分の領地内に、大徳寺185世玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺院。(リンク先より) << 戻る
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瑞龍寺-富山県高岡市

・瑞龍寺 曹洞宗 富山県高岡市関本町35高岡山瑞龍寺は加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため三代藩主利常公によって建立された寺である。 利長公は高岡に築城し、この地で亡くなった。加賀百二十万石を譲られた義弟利常は、深くその恩を感じ、時の名工山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。 造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要した。当時、寺域は三万六千坪、周囲に壕を巡らし、まさに城郭の姿を想わせるものがあった。国の重要文化財として、指定されている建造物は、総門、山門、仏殿、法堂、明王堂(現僧堂)、回廊であり、江戸初期の禅宗...
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福巖寺-和歌山県田辺市

・福巖寺 臨済宗妙心寺派 和歌山県田辺市中辺路町西谷575万治以前より、当字菴尾に福徳菴があり、真言宗の僧、太初守元和尚が菴主をしていました。真砂には漬入山萬福禅寺がありましたが、大水害のために流失。寛文二年二月に、再建不能の萬福禅寺と福徳菴が合併し、開山に海蔵寺第五世の桃源長茂大和尚を懇請して、寺名も雪峰山福巖寺と改め、清姫とその一族、並びに檀信徒各家の先祖の菩提を弔うために現在地に建立されました。(リンク先より)※寛文二年 1662年 << 戻る
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龍潭寺-愛媛県八幡浜市

・龍潭寺 臨済宗妙心寺派 愛媛県八幡浜市保内町川之石5-591662年開基の古刹。京都にある禅寺・臨済宗妙心寺派の流れを組んだ重厚な雰囲気を持つ。本堂は、宇和島藩の大名用として建てられたため、外観・内観ともに豪華絢爛。対して禅堂は、質素な造りや生活を重んじており「わび」と「さび」を感じることが出来る。地域とのつながりや、ふらりと立ち寄った人とのつながりを大切にしている気さくな和尚さんから説法を聞くのもおもしろい。(リンク先より)・龍潭寺 りょうたんじ<< 戻る
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長楽寺-岐阜県恵那市

・長楽寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県恵那市笠置町姫栗1119-3寛文2年(1662年) に苗木の殿様の菩提寺であった雲林寺の和尚さんにより長増寺を開かれたと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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随善寺-大分県由布市

・随善寺-大分県由布市 真宗大谷派 大分県由布市庄内町東大津留420-1寛文元年(1661年)から世代を超えて勤めてまいりたいと存じております。(リンク先より) << 戻る
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浄善寺-福岡県飯塚市

・浄善寺 浄土宗 福岡県飯塚市鯰田1349境内に十一面観音(修復計画中)、弘法大師門有り、又、立花実山の葬儀を司ったという証の戒名が現存する最古の過去帳にみることが出来る。嘉穂郡誌によると、浄善寺は寛文(1661~1663)初年に浄冏和尚によって開基されたとある(嘉穂郡寺院明細帳)(リンク先より) << 戻る
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萬福寺-京都府宇治市

・大本山萬福寺 黄檗宗 京都府宇治市五ケ庄三番割34黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。 禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。(リンク先より)<< 戻る
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喜雲寺-岩手県盛岡市

・喜雲寺 曹洞宗 岩手県盛岡市玉山区下田宇生出袋54喜雲寺は、江戸時代前期(1661~73年)、下田城主の下田弥三郎秀祐を開基に、報恩寺(盛岡市)10世・天山宝尭和尚を請して開山しました。下田(もと石亀)氏は南部氏の家臣で、三戸から同行した人物でもありました。さらに歴史をさかのぼると、初代盛岡城主の26代南部信直公が、子が病死した地である北上川べりに堂を建立したのが喜雲寺の起こりとも言われています。(リンク先より) << 戻る
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善養寺-兵庫県姫路市

・善養寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路市八代本町1-16-36善養寺は過去帳によりますと、江戸時代初期1661年にこの八代の地に浄土真宗の寺院として創建されました。(リンク先より) << 戻る
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大源寺-岐阜県安八郡

・大源寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県安八郡神戸町瀬古256-1大源寺の創建は定かではありません。元は現在地の北東2キロほどのところにありましたが、水害により消滅しておりました。寛文元年(1661年)に、大垣藩主戸田肥後守氏西の庇護のもと、慈溪寺二世の密雲和尚の隠居所として再興されました。(リンク先より) << 戻る
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道往寺-東京都港区

・来迎山 道往寺 浄土宗 東京都港区高輪2-16-13道往寺は江戸時代の寛文年間(1661年-73年)に建立されました。道往寺の一帯は、かつて東京湾に面した高台でした。高輪の海岸線の景色は、葛飾北斎「阿蘭陀画鏡(おらんだえかがみ)江戸八景高縄」に描かれています。また、江戸時代後期には「廿六夜待ち」の月の名所として人気を集めました。(リンク先より) << 戻る