便り 松尾寺-京都府舞鶴市 ・松尾寺 真言宗醍醐派 京都府舞鶴市松尾532・第二十八番 ⇒ 西国三十三所 第二十九番 青葉山 松尾寺 ⇒ 第三十番慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(七〇八年)と伝えられる。(リンク先より) << 戻る 0708.01.01 便り年表
便り 若松寺-山形県天童市 ・若松寺 天台宗 山形県天童市大字山元2205-1「鈴立山若松寺」は今から約1300年前、奈良時代の和銅元年(西暦708年)に行基菩薩が開山した霊場です。 その後、平安時代の貞観二年(同860年)山寺の立石寺を開山された慈覚大師(円仁和尚)が当山の山頂付近にあった御堂を現在の地に移し、 造営工事をし大規模な伽藍配置をしました。 この時期に奈良仏教の法相宗から平安仏教の天台宗となり、開山が行基菩薩、中興の祖が慈覚大師として祀られています。(リンク先より)<< 戻る 0708.01.01 便り年表
便り 蓮華寺-兵庫県豊岡市 ・蓮華寺 高野山真言宗 兵庫県豊岡市竹野町轟366蓮華寺は但馬西国の札所として幽すい静寂なる山のたたずまいは、その形ち蓮の花に似たるより山号を八葉の峰山と称し、奈良時代(慶雲四年)の開創にして四明光賀律師、中興の祖となりて堂塔を整え、更に鎌倉時代東密教学大成の学匠杲宝(ごうほう)僧正京都東寺より来たりて山内に七堂伽藍塔頭八坊を整備(リンク先より)※慶雲四年 707年 << 戻る 0707.01.01 便り年表
便り 医座寺-愛媛県松山市 ・医座寺 天台宗 愛媛県松山市東大栗町甲656当山は、慶雲三年(706)奈良の大仏建立に尽力された、行基菩薩によって開基されました。天長六年(829)伊予の国風早〈北条〉出身の高僧、別当大師光定(べっとうだいしこうじょう〉によって天台宗に帰属。法灯連綿1300年の歴史を護り、現在は、伊予十二薬師第二番札所として、広く人々に親しまれております。(リンク先より) << 戻る 0706.01.01 便り年表
便り 大徳寺-富山県魚津市 ・慈興院大徳寺 真宗大谷派 富山県魚津市持光寺定籍706年(慶雲3年) 大徳寺の建立 文武天皇の勅願所として建立される。1330年(元徳2年) 浄土真宗寺院へ およそ1330年頃、本願寺3代目覚如上人の引導により天台宗を改め浄土真宗の寺院となる(リンク先より) << 戻る 0706.01.01 便り年表
便り 三佛寺-鳥取県東伯郡 ・三佛寺 天台宗 鳥取県東伯郡三朝町三徳1010三佛寺の由緒は明確ではないが、寺伝によると、慶雲三年(706)役小角(えんのおづぬ) が三弁の蓮花を散らしたところ、その一弁がここに落ちたので(ほかは伊予石槌山と吉野) 堂宇を建てて修験の行場にしたといわれている。 三徳山奥の院「投入堂」は役の行者が法力で投入れたとされ、 建立方法については、今もなお謎のままである。(リンク先より) << 戻る 0706.01.01 便り年表
便り 白毫寺-兵庫県丹波市 ・白毫寺 天台宗 兵庫県丹波市市島町白毫寺709寺伝によれば、慶雲2年(705)法道仙人により開基された。本尊は天竺から伝えられた言う薬師瑠璃光如来(秘仏)。眉間の白毫から神々しく瑞光を放っていたので、「白毫寺」と名付けられた。 また、入唐求法から帰朝の際に白毫寺を訪れた慈覚大師円仁(後の第三世天台座主)は、周囲の山並みが唐の五台山に似ていることから山号を「五台山」と命名(後世に五大山と改称)し、持ち帰った密教法具を伝えた。円仁が“中興の祖”と呼ばれる由縁である。白毫寺の九尺ふじ・・・山郷の古刹 白毫寺に九尺ふじが優雅に咲き誇り、ほのかに香りに包まれます。(リンク先より)<< 戻る 0705.01.01 便り年表
便り 薬王寺-福井県丹生郡 ・薬王寺 天台真盛宗 福井県丹生郡越前町茂原9-20慶雲元年(704)、今から千三百年前(一説には天平宝字3年(760)とも言われております。)越(えつ)の国(今の北陸地方)の高僧「泰澄大師(たいちょうだいし)」が、この地の城山と言う山の麓の布山台地薬師谷に、 霊験によって薬師堂一宇を建立したのが始まりと伝えられております。 (リンク先より) << 戻る 0704.01.01 便り年表
便り 蓮華寺-静岡県周智郡 ・蓮華寺 天台宗 静岡県周智郡森町森2144慶雲元年(704)文武天皇の勅願により行基菩薩が開創した森町で一番古いお寺です。当山は飛鳥時代から奈良時代にかけて建立された法相宗の東海の本山として周囲4Kmに及ぶ寺領を有りし1300年の歴史と歴代住職139代を数え、その間数多くの傑出した高僧を排出しています。(リンク先より) << 戻る 0704.01.01 便り年表
便り 成相寺-京都府宮津市 ・成相寺 橋立真言宗 京都府宮津市成相寺339・第二十七番 ⇒ 西国三十三所 第二十八番 成相山 成相寺 ⇒ 第二十九番成相寺(なりあいじ)は日本三景天橋立を眼下に望む景勝地にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。慶雲元年(704)に文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩です。(リンク先より) << 戻る 0704.01.01 便り年表
便り 壷阪寺-奈良県高市郡 ・壷阪寺 真言宗 奈良県高市郡高取町壷阪3・第五番 ⇒ 西国三十三所 第六番 壺阪山 南法華寺 (壺阪寺) ⇒ 第七番創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりと言われる(リンク先より) << 戻る 0703.01.01 便り年表
便り 毘沙門堂-京都府京都市山科区 ・毘沙門堂 天台宗 京都府京都市山科区朱稲荷山町18毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、高い寺格と鄙びた山寺の風情を伝える古刹である。ご本尊に京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名がある。 創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といった。その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。伝教大師が唐より将来された鎮将夜叉法という行法は、天台五箇大法のひとつとして当門跡だけに伝わる秘法である。(リンク先より)... 0703.01.01 便り年表
便り 阿彌陀寺-和歌山県東牟婁郡 ・阿彌陀寺 高野山真言宗 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字南平野2270-1大宝三年(西暦703年)唐の国 天台山の蓮寂上人というお坊様が日本に渡って来られ、この熊野にたどり着きました。上人は四方を見渡せるこのお山の頂上がとても気に入って、ここで修行をすることになったのです。妙法蓮華経というお経を写経して山頂に埋め、立っている木をそのまま彫ってお釈迦様の仏像を安置しました。その時からこのお山は、お経の名前をとって妙法山と呼ばれるようになりました。 その後、空海上人(弘法大師)が高野山を開かれる前の年、弘仁六年(西暦815年)に妙法山で修行をして、西方に有るという阿彌陀如来の極楽浄土への入り口とし... 0703.01.01 便り年表
便り 鴨江寺-静岡県浜松市中区 ・鴨江寺 高野山真言宗 静岡県浜松市鴨江4-17-1遠州地方の民話で知られる芋堀長者が観音堂を建てたいと願っております時、(奈良の高僧)行基菩薩様が東国へ来られました。長者は菩薩に文武天皇の勅願所として観音堂を建てる事を願いでました。大宝二年六月十八日ついに帝の特許があり、一夜の内に用材が曳馬の里に信水に乗じて集まったと云われています。その後、工事は順調に進み七堂伽藍輪奐の美をなしたそうです。これが鴨江寺創建の因縁であります(リンク先より)※大宝二年 702年 << 戻る 0702.06.18 便り年表
便り 興雲寺-愛媛県西条市 ・興雲寺 曹洞宗 愛媛県西条市小松町明穂甲674興雲寺は、古くは長勝(松)寺と号し、薬師如来の霊地として崇敬を集め、その沿革は大宝2年(702)にさかのぼるといわれています。(リンク先より) << 戻る 0702.01.01 便り年表
便り 来迎寺-富山県富山市 来迎寺は、大宝2年(702年)創建時には五智山円福寺といいました。立山説法ケ原にある立山権現の別当職を代々務め、久寿2年(1155年)に婦負郡荻の島に移ったと伝えられていました。光明房林海上人は浄土宗開祖の法然上人のもとに帰位し、直弟子となり、建久8年(1197年)に光明山摂取院来迎寺と改称し、「北国念佛最初道場」を開きます。文亀2年(当山二十六世)萩の島より富山町桑原(右寺町)に移り慶長14年(当山二十八世)高岡木町に、慶長19年再び富山古寺町旧地に戻り、万冶5年に現在地に移っている。所蔵されている鎌倉時代初期の作、本尊「木造阿弥陀如来立像」、及び鎌倉時代中期の作「絹本彩色騎獅文珠菩薩図」は... 0702.01.01 便り年表
便り 観心寺-大阪府河内長野市 ・観心寺・公式ホームページ 高野山真言宗 大阪府河内長野市寺元475観心寺は、文武天皇の大宝元年(701年)、役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていた。その後、平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年) 衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改称される。(リンク先より) << 戻る 0701.01.01 便り年表
便り 長谷寺-三重県津市 ・長谷寺 臨済宗相国寺派 三重県津市片田長谷町230当山の開基は徳道上人で、その創設については大宝年間(七〇一~七〇四)と伝わる。大和の長谷寺を模したものとして多気郡多気町にある真言宗山階派の近長谷寺に対し遠長谷寺とも呼ばれております。(リンク先より) << 戻る 0701.01.01 便り年表
便り 飯福田寺 大宝元年(701年)、役小角(えんのおづぬ)により開創された霊場である。広大な表行場・裏行場を有りし、古来より諸侯国司をはじめ、信奉の参拝者は多く、北畠家の祈願所として栄える。また、天正11年(1583年)には、織田信雄に寺領・百十五貫文を寄付されたが、松坂城主・蒲生氏郷により、当山の伽藍を壊し、その材を用いて松坂城を築くなど、衰退の止む無きに至る。その後、津藩主・藤堂家の信奉を得、寺運は興隆し、今多くの人々が修行と順拝に参詣している。(リンク先より)・飯福田寺 0701.01.01 便り年表
便り 浄福寺-山口県山口市 ・浄福寺 高野山真言宗 山口県山口市嘉川265青龍山浄福寺といいます。大宝元年(701)年に役小角により開山された寺で、大内家の祈願寺として栄えた近郷最古の高野山真言宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る 0701.01.01 便り年表
便り 油山寺-静岡県袋井市 ・油山寺 真言宗智山派 静岡県袋井市村松1遠州三山の一つ医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)は、大宝元年(701)に行基大徳によって開山された真言宗のお寺です。全ての人の穏やかな暮らしと無病息災を祈り、行基大徳は本尊の薬師如来を奉安されました。油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに由来しています。(リンク先より) << 戻る 0701.01.01 便り年表
便り 一宮寺-香川県高松市 ・一宮寺 真言宗御室派 香川県高松市一宮町607・82番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第83番札所 神毫山 大宝院 一宮寺 ⇒ 84番札所一宮寺は、大宝年間(701-703)に法相宗の祖、義淵僧正が開いたと伝えられています。当初は大宝院と称していましたが、和銅年間(708-715)に諸国に一宮が建立された時、讃岐一宮として田村神社が建立され、その第一別当寺(統括管理職)となりました。その後、行基菩薩が堂塔を修復し、一宮寺に改めたとされています。(リンク先より)<< 戻る 0701.01.01 便り年表
便り 道成寺-和歌山県日高郡 ・道成寺 天台宗 和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738和歌山県最古の寺、天音山道成寺は大宝元年(701年)に創建されました。本堂など重要文化財の建造物や、国宝、文化財指定の仏像などをお祀りしています。(リンク先より) << 戻る 0701.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 三論宗(大安寺流)が伝わる 701年(大宝元年)、道慈(智蔵の弟子)が三論宗(大安寺流)伝えました。三論宗はインドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依とする)です。空を唱える事から、空宗ともいわれます。その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もあります。中国隋代に嘉祥大師吉蔵(549年 - 623年)が大成しました。吉蔵の『三論玄義』は三論宗の立場で書かれた仏教概論です。<< 戻る 0701.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
人物 道昭(どうしょう) 道昭とは、玄奘三蔵が師であり、弟子に行基がいる河内国丹比郡船連(ふねのむらじ)(現・大阪府堺市)出身の法相宗の僧です。父は船恵尺。道紹や道照とも表記されます。出家して元興寺において戒行を修しました。白雉4年(653年)、遣唐使の一員として定恵らと共に入唐し、大慈恩寺の玄奘三蔵より法相宗の教えを受けました。また、玄奘の紹介で禅宗第二祖の慧可の孫弟子である隆化寺の慧満より禅の教えを授かったといわれています。斉明天皇6年(660年)頃に帰国し、同時に持ち帰った多くの経論・経典類は、天智1年 (661年) 元興寺の境内に禅院を建立し安置しました。日本における法相宗の初伝で、この法系を南寺伝と呼びます。... 0700.03.10 人物仏教を本気で学ぶ年表
便り 龍蔵寺-山口県山口市 ・龍蔵寺 真言宗御室派 山口県山口市吉敷1750文武二年(六九八)神変大菩薩と崇められた僧役小角が、豊後国彦山から掛錫し、奥之院の岩窟に熊野権現を観請し、秘法の護摩供を厳修され「龍の蔵」と名付けられたことに始まる。次いで天平十三年(七四一)行基菩薩がこの霊域に溜まり、自ら千手観音を彫り、寺を建て奉安し「龍蔵寺」と名付けられました。(リンク先より) 0698.01.01 便り年表
便り 廣福寺-山口県宇部市 ・廣福寺 真言宗御室派 山口県宇部市中山80明王山廣福寺と称す。この寺の開基は役の行者(えんのぎょうじゃ)と伝えられる。前諸国遍歴の役の行者は中山の里に紫雲棚引くを見て、この地は仏の住する地なり里人に仏の教えを広めんとして延命地蔵菩薩像を彫刻し小さな庵を建ててこれを祀り里人に仏の教えを説きかたわら十王倶生神 五道の冥官 三途の河の老婆 我造罪刹鬼悪是等を彫刻し地蔵菩薩像と共に安置した(695頃)その後四十五代聖武天皇(724 即位)はこの地蔵尊の霊験殊勝なるを知りて勅願寺とされて天平13年(741)堂宇を建立し当時聖武帝の教僧行基(ぎょうき)に落慶法要の導師を命ぜられた。勅命をうけた行基は堂の... 0695.01.01 便り年表
便り 大谷寺-福井県丹生郡 ・大谷寺 天台宗 福井県丹生郡越前町大谷寺40-4-1奈良佛教の盛期に、我国古来の神を尊崇し佛の信仰を併せて行う、本地垂迹神佛習合の説を流布して、山野を跋渉し、大いに道路を開拓して、民衆の教化に専念された越の大徳・泰澄大師が、本拠の地として苦修練行された処で、ここに越知山三所大権現の御本地佛・地主大聖不動明王を自ら彫んで安置し、威験無双の廟社を創建されました。時に持統天皇6年(692年)と伝えられ、故に北陸佛法最初の霊場と称されます。(リンク先より) << 戻る 0692.01.01 便り年表