便り 海泉寺-大阪府大阪市浪速区 ・海泉寺 浄土宗 大阪府大阪市浪速区恵美須西1-6-15昔この当地がまだ海岸であった頃、作太夫(のちの海泉房)が1184年に海から引き上げた洒落木が観音像であったことがきっかけで剃髪した。1185年に法然上人が四天王寺を参詣された時、新別所と名付けられた今の一心寺のあたりにて念仏を唱えられた。その時に海泉房がお袈裟と阿弥陀三尊来迎図を法然上人より授かり念仏修行をしていた草庵が海泉寺の始まり、といわれています。(リンク先より) << 戻る 1185.01.01 便り年表
便り 放光寺-山梨県甲州市 ・放光寺 真言宗智山派 山梨県甲州市塩山藤木2438元暦元年(1184)源平合戦で功績をたてた安田義定が一ノ谷の戦いの戦勝を記念して創立しています。義定は平家追討の功によって遠江国守に任命されて、のちに遠江国守護、禁裏守護など勤め鎌倉幕府創業に貢献しておりますが建久5年(1194)8月19日梶原氏らの謀反の嫌疑を受け当山において自刃したと伝えています。(リンク先より) << 戻る 1184.01.01 便り年表
便り 蓮通寺-滋賀県長浜市 ・蓮通寺 単立(浄土真宗東本願寺派) 滋賀県長浜市西浅井町岩熊542源平争乱の寿永三年(1184年)、征夷大将軍源義仲は粟津ヶ原で敗死し、その室山吹御前は子息義隆・義順を伴い、北近江浅井郡の山中で世の浮沈を窺って暮らしていたが、義仲を破った頼朝・義経の兄弟も世を去り、琵琶湖にすぐ近い海津の荘に住まいを移したところ、本願寺御開山親鸞聖人、越後に流罪となり琵琶湖を舟で渡ってこられ海津にお着きになり、義隆・義順兄弟と師弟の約諾を交わしてくださり、兄の義隆は海津荘岩谷の地で願慶寺開基となり、弟の義順は浅井郡塩津荘岩熊に赴き蓮通寺の開基となった。(リンク先より) << 戻る 1184.01.01 便り年表
便り 福厳寺-栃木県足利市 ・福厳寺 臨済宗建長寺派 栃木県足利市緑町1-3270今から約830年前の寿永元年(1182年)に、藤姓足利又太郎忠綱が父俊綱と母の菩提(死後の冥福)を供養する為に理真上人を勧請開山として開創されたと寺伝に記録されております。(リンク先より) << 戻る 1182.01.01 便り年表
便り 皆福寺-愛知県豊田市 ・皆福寺 真宗大谷派 愛知県豊田市幸海町神田9皆福寺は、松平地区最古の寺院であり、創建については、諸説あるが、1181年(養和元年)又は1247年(宝治元年)と伝承されている。当時は、酒呑村梅上(現在地から北へ500m程の地区)を所在地とし、天台宗のお寺であったが、正和年間(1312~1316)の頃に、第4代住職光玄が本願寺第3代覚如上人(1270~1351)の直弟子となり、真宗に改宗した。(リンク先より) << 戻る 1181.01.01 便り年表
年表 親鸞聖人の得度 養和元(1181)年、9歳の春、伯父の日野範綱(ひののりつな)にともなわれて、京都青蓮院において、後の天台座主・慈円和尚(じえんかしょう)のもとで出家・得度し、範宴(はんねん)と名のりました。慈円和尚は歴史書『愚管抄』を記したことで知られ、また、後に専修念仏の法然聖人の教義を批判する一方で、その弾圧にも否定的で法然聖人や親鸞聖人を庇護しています。出家後、比叡山にのぼってからの20年間、主に横川の首楞厳院で不断念仏を修する堂僧として、ひたすら学問と修行に励みました。<< 戻る 1181.01.01 年表
便り 法台寺-埼玉県新座市 ・大平山法台寺ホームページ 単立 埼玉県新座市道場1-10-13源頼朝存命の治承4(1180)年、勅許に依り「館」が建てられた。その館を「清浄殿」と名づけた。それが当寺の原型となった「廣澤の清浄殿」である。執権職北條時宗の時、すなわち文永3(1266)年仲秋、宗尊親王の命に依り、源実朝の御台所久米御前(*5)(法名「廣澤院従二位承山寶臺禅定尼」)の菩提を弔うためにこの、清浄殿を「廣澤院寶臺寺」とした。寺院として建立したのである。(リンク先より) << 戻る 1180.01.01 便り年表
人物 俊寛(しゅんかん) 平安時代後期の真言宗の僧。僧位の「僧都」を冠して俊寛僧都(しゅんかん そうず)と呼ばれることも多い。 村上源氏の出身で、父は木寺(仁和寺院家)の法印寛雅、母は宰相局。姉妹に大納言局。後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。安元3年(1177年)、藤原成親・西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた(ただし、『愚管抄』によれば、信西の子・静賢の山荘で密談が行われたとされている)。だが、密告により陰謀は露見し、俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流された。(鹿ケ谷の陰謀)生誕 康治2年(1143年)命日 治承3年3月2日(1179年4月10日)<< 戻る 1179.03.02 人物年表
便り 西方寺-山梨県富士吉田市 ・西方寺 浄土宗 山梨県富士吉田市小明見2058当山とうざんは清和源氏せいわげんじの遠祖えんそ左中将さちゅうじょう新田大炊介義重にったおおいのすけよししげ公こう(大光院殿方山西公大居士だいこういんでんぽうさんせいこうだいこじ)を祀まつって 公こうの四男よんなん義季よしすえ(徳川とくがわの祖そ)の舎弟しゃてい五男ごなん経義つねよし(出家しゅっけして祖底襌師そていぜんし)が治承じしょう3年ねん(1179)に これより東南とうなん二キロ長老尾ちょうろうじり(当山とうざん旧跡きゅうせき)に庵いおりを結むすんで創はじまる。嘉禄かろく二に年ねん(1226)には本尊ほんぞん十一面観世音菩薩じゅういちめんかん... 1179.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 立教開宗(浄土宗) 承安5(1175)年の春、法然上人は宇治で『 観経疏 (かんぎょうしょ) 』『散善義』と出会い、称名往生に関する確信を得て専修念仏に帰す。比叡山の西塔黒谷を出て西山広谷に移り、しばらくして東山大谷に住房をうつす。(後の知恩院)。浄土宗「立教開宗」の年と言われる。<< 戻る 1175.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
年表 親鸞聖人誕生 親鸞聖人は、承安3(1173)年4月1日、京都の日野、現在の法界寺・日野誕生院付近(京都市伏見区日野)で誕生しました。父は藤原氏の流れをくむ日野有範(ひのありのり)、母は清和源氏の流れをくむ吉光女(きっこうにょ)と伝えられています。<< 戻る 1173.04.01 年表
便り 福應寺-長野県松本市 ・福應寺 高野山真言宗 長野県松本市大字神林1747草創は、寺伝によれば承安3年(1173)にさかのぼる。即ちこの地の地頭であった平野刑部が、相州鎌倉より当地の守護神として、鶴岡八幡宮を勧請したとき、その本地である阿弥陀如来を安置する為に、別当寺として穂屋野山曼荼羅寺を建立したことに始まるという。曼荼羅寺は現在の福應寺の地より南にあり、寺中六坊を数えた繁栄の密場であった。(リンク先より) << 戻る 1173.01.01 便り年表
便り 威徳寺-新潟県新潟市西区 ・威徳寺 真宗仏光寺派 新潟県新潟市西区黒島5002-11172年(承安2年)首城山 威徳寺 創建。真言宗、高野山、清浄心院、の末寺として創建されたと伝えられています。開基は招恵上人。所在は確定されませんが、頸城地方であったと思われます。山号の「首城(しゅじょう)」は蝦夷討伐の本部という意味で、「頸城」の元の字と言われています。後に、「中頸城郡美守荘(ひだのもりのしょう)尾沢村 僧誓賢」との記録があります。(リンク先より) << 戻る 1172.01.01 便り年表
便り 平等寺-京都府京都市下京区 ・平等寺 真言宗智山派 京都府京都市下京区松原通烏丸東入因幡堂町728承安元年(一一七一)には、高倉天皇により「平等寺」と命名され、勅額を贈られました。(リンク先より) << 戻る 1171.01.01 便り年表
便り 金剛寺-群馬県前橋市 ・金剛寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市苗ヶ島町1147開山は承安年間(1171~1175)赤城山大通庵に創建し、山号を霊松山、院号を歓喜院と号した。 次いで寺山と呼ばれる地に移り、慶長、元和の頃(1596~1624)第4世円義上人の代になり、現在地に建立されたと伝えられる。 宝暦年間火災の為灰燼に帰したが、7世智海阿闍梨和尚再建現堂宇は当時のものである。 創建時は京都醍醐寺派報恩院末寺であったが、明治になって奈良県長谷寺の末寺になった。(リンク先より) << 戻る 1171.01.01 便り年表
便り 増全寺-神奈川県海老名市 ・増全寺 浄土宗 神奈川県海老名市中新田1578開山は因公学円上人で、嘉応元年7月15日寂(1169)、開基は鎌倉末期の領主・海老名源八衛広綱とされ、法名の無量院殿龍池増全大居士から山院寺号が付けられ、龍池山無量院増全寺と号す。 開山当時は密教系寺院であったようであるが、浄土宗へ改宗した時期・経緯等は伝えがなく不明である。(リンク先より) << 戻る 1169.07.15 便り年表
便り 芳蘚寺-静岡県浜松市中区 ・芳蘚寺 真宗大谷派 静岡県浜松市中区池町225-18天台宗としての開創は平清盛が太政大臣(ダジョウダイジン)に就任して、その3年目の嘉応元年(1169)である。(リンク先より) << 戻る 1169.01.01 便り年表
便り 慈光寺-岩手県久慈市 ・慈光寺 時宗 岩手県久慈市大川目町22-62過去数度の火災や戦乱により、当山の歴史を証明する資料を失っておりますが、次のような縁起・由来が今に伝わっております。当山は仁安3年(1168)に、もともとは天台宗として開山します。その後、時宗の二祖上人である真教上人の勧めにより、時宗に転宗しました。(リンク先より) << 戻る 1168.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 中国の五山 ~五山制度と臨済宗~ こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1168.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 法界寺-石川県小松市 ・法界寺 浄土宗 石川県小松市東町92小松の内府と称された内大臣、平 重盛が、諸国に小松寺を建立し始めた、一一六七年、龍真法印鎮華院が開祖となり、真言宗新義派に属する小松寺を小寺に建てました。安元元年三月、法然上人(源空)が京都・吉水に浄土宗をお開きになるや直に改宗し、佛徳院 小松寺と号し、弘安年中には、北国鎮護安全の道場勅願所として定められました。天正五年、柴田勝家のため灰燼に帰し、後、小松山 佛徳院 法界寺と称しました。(リンク先より) << 戻る 1167.01.01 便り年表
便り 聖代寺-香川県高松市 ・聖代寺 真言宗善通寺派 香川県高松市屋島東町1332僧西行(俗名 佐藤義清)は、その晩年かつて思いをはせた旧主家徳大寺家の姫君の忘形見、崇徳上皇の菩提を弔うため当地に一宇を建立されました。(崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃州に配流され1164年におかくれになられています。)(リンク先より) << 戻る 1164.01.01 便り年表