年表

便り

如来寺-栃木県日光市

・如来寺 浄土宗 栃木県日光市今市710文明年間(1469~87年)に常福寺(茨城県那珂市瓜連)の第5世・昇蓮社超譽聖欽上人の高弟であった金蓮社暁譽最勝大和尚によって開かれました。(暁譽上人の経歴は明らかではありません。永正13年(1516年)4月16日寂し、お墓は当寺の歴代上人の墓地にあります)(リンク先より) << 戻る
便り

常光寺-富山県下新川郡

・常光寺 真宗大谷派 富山県下新川郡朝日町泊283寺院明細帳や下新川郡史稿や寺院規則の沿革によると、「祖先は松厳といって前は真言宗で魚津の鹿熊に住んでおり、寺号を常光寺といったが、応仁の乱に戦争のため焼かれて、石川県大聖寺へ寓居(かりずまい)し、文明年間に蓮如聖人が吉崎で布教された時、真宗に帰依し明譚という法名を貰い相変らず常光寺といった。(リンク先より)※文明年間 1469年から1487年 << 戻る
便り

安福寺-茨城県つくば市

・安福寺 真言宗豊山派 茨城県つくば市西大橋459寺伝によると当山は鎌倉時代中期に創建され、中興第一世は永国大聖寺住職第六世の弟子、良栄が文明元年に再興し大伽藍を建立したが元禄年間に焼失、のちに再建し大師信仰の中心地として今に至る。当山名称は金剛山無量寿院安福寺と申し真言宗豊山派に属する古刹であります。(リンク先より)※文明元年 1469年 << 戻る
便り

照光寺-滋賀県蒲生郡

・照光寺 真宗大谷派 滋賀県蒲生郡日野町内池655應仁二年(1468年)近江源氏の始祖、源扶義卿より十九世の子孫である、花木吉成によって創立された寺院です。鎌倉時代の宝治元年(1247年)に佐々木信治が戦功によってこの地に住み、北條時頼公の上洛の途次に、信治の館舎(當寺)に停留の時、庭前の櫻花を愛観され、自ら扇子に櫻花を載せ、信治に与えてこれを家紋とし、また佐々木を改めて花木を姓とすべきと命じられました。(リンク先より) << 戻る
便り

教蓮寺-愛知県西尾市

・教蓮寺 ホームページ 浄土真宗本願寺派 愛知県西尾市吉良町荻原川中24-1教蓮寺は応仁2年(1468年)に本願寺8代門主蓮如上人の教化を受け、当時吉良家の士族であった小野氏が出家してお弟子となり、法名釋明源をいただき、明源山教蓮寺を建立しました。寺号は蓮如上人より教えを受けたと言うことで、教えの「教」と、蓮如上人の「蓮」をいただき、「教蓮寺」となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

瑞雲院-岐阜県岐阜市

・瑞雲院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19開山は天縦宗受(てんしょうそうじゅ)大和尚。金寶山瑞龍寺は1468年(応仁2年)後土御門天皇の御代にときの守護代斉藤妙椿(みょうちん)が主君の美濃守護、土岐成頼の菩提所として建立、悟渓宗頓(ごけいそうとん)国師を迎えて開山とした(瑞龍寺誌)。(リンク先より) << 戻る
便り

瑞龍寺-岐阜県岐阜市

・瑞龍寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19応仁二年(一四六八)美濃の国守斉藤利藤公(妙椿大居士)が、主君・土岐成頼公菩提の為当時大徳とあおがれた、悟渓宗頓禅師を迎え開いた。古く飛鳥時代より中林寺、厚見寺などと称した天台宗の寺が在り、その後廃寺となっていた由緒のあるところであった。妙心寺四派中の東海派の祖、悟渓宗頓禅師は荒廃していた寺域を修し、文明二年(一四七〇)に七堂伽藍を完成した。(リンク先より) << 戻る
便り

本宗寺-愛知県岡崎市

・本宗寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 愛知県岡崎市美合町字平地50応仁2年(1468年) 本願寺第八世の法主蓮如上人が、三河御巡化の折り、真宗繁昌の中心たるべき寺院として、額田郡土呂の郷に創建されました。蓮如上人につづき、第九世実如法主も本宗寺を拠点として三河門徒教化につとめられ、四男実円上人を本宗寺の初代住職に任ぜられました。(リンク先より) << 戻る
便り

聞名寺-富山県富山市

・桐野山聞名寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町今町1662聞名寺がはじめて越中に入ったのは応仁二年(1468)、本格的に拠点を移したのは大永四年(1524)であったと伝えます。八尾南部の山間地(乗峰や倉ヶ谷など)を経て、福島の台地に一旦寺域を構えましたが、越後上杉勢の来襲に備え、天文二十年(1551)、三方を崖に囲まれた旧い砦の址、「八尾前山」(現在地)に移りました。その後寛永十三年(1636)境内に八尾町建てがなされ、当寺は町そのものの母胎として今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
便り

蓮乗寺-大阪府大阪市城東区

・蓮乗寺 真宗大谷派 大阪府大阪市城東区永田4-4-7応仁2年(1468年)に蓮如上人が叡福寺(南河内郡太子町)に参詣する途中、永田村の宮木久兵衛方に立ち寄り、その庭先の石に腰掛けて村人に説法されました。その後、上人の説法が数年に及び、信者の願いによって草庵を建立したのが蓮乗寺のはじまりとのことです。縁起によれば蓮如上人が説法されるとき、池の蛙が鳴くのをやめて上人の教えに聞き入ったとされています。今でも、かえるが鳴くのをやめたという不鳴池(なかずのいけ)や、上人が腰を掛けたという腰掛け石など、当時をしのばせるものが残っています。<< 戻る
便り

蓮華寺-京都府京都市右京区

・蓮華寺 真言宗御室派 京都府京都市右京区御室大内20藤原康基は、御冷泉天皇の御願により蓮華寺を建立。1467年応仁の乱の兵火にあい、蓮華寺は鳴滝音戸山の山上に移される。(リンク先より) << 戻る
便り

洞松寺-山形県長井市

・洞松寺 曹洞宗 山形県長井市草岡1367洞松寺は室町時代、応仁(1467-1468)の開基で、すでに500年を超える長い歴史をもったお寺です。とはいえ昔から大きな寺ではなく、むしろ化け物も出たことがあるというくらいのひっそり閑とした山寺です。檀家数も周りの寺と比べてそれほど多いわけではなく、現在200件を数える程度です。(リンク先より) << 戻る
便り

専通寺-福井県福井市

・専通寺 浄土真宗本願寺派 福井県福井市荒木別所町8-351応仁元年 1467年 開基 専隆、専通院創建(天台宗) 室町時代、応仁の乱起こる寛文四年 1664年 三世大隆、浄土真宗に転宗し専通寺と改称する(リンク先より) << 戻る
年表

応仁の乱

1467年、応仁の乱がおこる。<< 戻る
年表

公家や僧侶が戦乱をのがれて地方に下り、京都文化が地方に広がる

1467年、応仁の乱がおこったことで、公家や僧侶が戦乱をのがれて地方に下り、京都文化が地方に広がる。<< 戻る
年表

比叡山の衆徒により本願寺壊滅

1465(寛正六)年1月、比叡山の衆徒により本願寺壊滅。<< 戻る
便り

慶崇寺-福井県吉田郡

・慶崇寺 浄土真宗本願寺派 福井県吉田郡永平寺町松岡神明3-22平安時代中期(西暦950~970年頃)に安楽三十坊が建立されたことによる。安楽三十坊は現在の福井市堅達町にあって、長い間天台仏教の寺院集団として隆盛をきわめていた。堅達町の名前の由来も、天台宗の経文の中にある仏教用語だといわれている。また、1390年頃、比叡山の論争が数年におよび、安楽三十坊も衰微したが、主領寺である安楽院や地蔵院は残ったという。 天台宗の寺院として維持されていた安楽院(慶崇寺の前身)だったが、1464年頃、加賀山中において蓮如上人の高徳に帰依し、浄土真宗に改宗した。この時の住職が、初代了正である。三年後の1467...
便り

圓勝寺-兵庫県姫路市

・圓勝寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路市網干区宮内204.205圓勝寺の開創は1464(寛正5)年です。時は室町、八代将軍足利義政の時代に、現在地より100メートルほど東に建立されたことに始まります。足利義政といえば銀閣寺で有名ですが、当圓勝寺も赤松氏家臣の菩提寺として創建されたと伝えられています。 (リンク先より) << 戻る
便り

広徳寺-千葉県松戸市

・金龍山 広徳寺 曹洞宗 千葉県松戸市中金杉4-3境内からは寛正三年(1462)の開山伝承よりも古い、十四世紀前半の板碑(供養碑)が二基出土しました。当時から宗教的霊場として人々の尊崇の地であったことがうかがわれます。(リンク先より) << 戻る
便り

常楽寺-栃木県下都賀郡

・常楽寺 曹洞宗 栃木県下都賀郡壬生町本丸1-1-30常楽寺は、室町中期寛正三年(西暦一四六二年)壬生初代城主壬生筑後守胤業公が、寺領二十六石を寄進して創建した曹洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて十世の法孫一州正伊禅師であり、壬生氏一門の氏寺として栄えました。(リンク先より) << 戻る
便り

長慶寺-山梨県都留市

・長慶寺 臨済宗妙心寺派 山梨県都留市夏狩240当山は最初、寛正三年、(西暦一四六二)天台宗の行者、大淵阿闍梨様により開かれ、長慶庵という小さな寺でした。 その後元亀元年、(西暦一五七〇)鎌倉建長寺の僧、五峯東源禅師が堂宇を造営し庵を寺と改め天台宗を臨済宗に改宗して出来たのが現在の長慶禅寺です。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

蓮如、はじめて『御文』を書く

1461(寛正二)年3月、蓮如、はじめて『御文』を書いて門徒を教化(47歳)。<< 戻る
便り

本福寺-滋賀県大津市

・本福寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県大津市長等3-3-351461(寛正2)年 大津・本堅田の本福寺第3代住職である法住は、布教伝道の拠点として各地に本福寺の支坊(支院)を建立した。その支坊のひとつである「外戸(せと)道場」として、大津・大門通に建立される。1468(応仁2)年 堅田に攻め入ってきた衆徒から親鸞聖人の御像をお守りするため、堅田から当寺へ御像をお移ししてお守りする。(翌年、大津・近松御坊へ御動座)1605(慶長10)年 外戸道場が手狭になったため、現在地である大津市長等3丁目(旧・東今颪町)に移転する。(リンク先より) << 戻る
便り

光受寺-岐阜県大垣市

・光受寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市墨俣町墨俣211光受寺は元濃州安八郡柴間郷二ツ木圧、 天台宗法蔵寺として義兼(泉 智庵)によって創建される。その後、法弟正圓が法蔵寺を継ぎ、正龍、正善に至る。寛永年間(室町1460年~1465年頃)正善は、天台宗から浄土真宗に改宗。深く蓮如上人に帰依し、寺号を廣受寺と改める。(リンク先より) << 戻る
便り

西教寺-広島県呉市

・西教寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市下長ノ木町16-10西教寺は、その昔は「華峰山光浄院と号」した真言宗の小刹(小さなお寺)であったと申します。その創立は不明でありますが、寛正(1460~1464)の頃より諦念阿闍梨が住して、当地方一帯を教化されましたが、1531(享禄4)年春遷化せられたのであります。そこで空き寺となったのであります(リンク先より) << 戻る
便り

神宮寺-沖縄県宜野湾市

・神宮寺 東寺真言宗 沖縄県宜野湾市普天間1-27-11当山は一四五九年に尚泰久王(しょうたいきゅうおう)の勅願(ちょくがん)により住民の祈願所として建立されました。史実は定かではありませんが、当時は首里から中部方面の視察の際に、御休み処がこの普天間にあり徐々に整備され、尚泰久王の勅願により開山になったと言われています。(リンク先より) << 戻る
便り

龍谷院-茨城県東茨城郡

・龍谷院 曹洞宗 茨城県東茨城郡城里町下阿野沢1509龍谷院は、曹洞宗の寺院として、長禄三年(1459年)八月十四日に時の大山城主・佐竹義成公によって開基されました。開山は、秀峰宗岱大和尚です。本尊は、釈迦牟尼仏で、明応八年(1499年)巳未八月彼岸鎌倉の仏師・法眼秀林の作とされています。(リンク先より) << 戻る
便り

瑞雲寺-宮城県伊具郡

・瑞雲寺 曹洞宗 宮城県伊具郡丸森町金山字鬼形92金龍山瑞雲寺は室町時代の長禄二年(1458年) 瑚海仲珊禅師(こかいちゅうざんぜんじ、新潟県村上市、耕雲寺四世)が金山の地に足を踏まれ、新潟県村上市の耕雲寺の末寺として金龍山中腹を整地して寺院を建立したのに始まります。(リンク先より) << 戻る
年表

蓮如、本願寺留守職となる

1457(長禄元)年6月、蓮如、本願寺留守職となる(43歳)。<< 戻る
便り

正光寺-兵庫県尼崎市

・正光寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県尼崎市東大物町1-3-7天台宗の寺院であったが長禄年間、教専住職の時代に浄土真宗本願寺に帰依し、改宗したと伝えられています。その後、正光寺は大阪 天満の定専坊の末寺であったと記録されています。(リンク先より)※長禄年間 1457年から1460年 << 戻る
便り

清眼寺-岡山県津山市

・清眼寺 高野山真言宗 岡山県津山市院庄779当山は、もと極楽山雲清寺と号し、淳和天皇の御代、高祖弘法大師が開山したと伝わる。元弘二年、後醍醐天皇 隠岐に御遷幸の砌、御駐輦になられたと伝わる古刹 山名時氏の祈願所 後年災禍にあい諸堂焼失せるも長禄年間(1457~1460)に今の地に宥尊上人が再興し、極楽山清眼寺と改号。(リンク先より) << 戻る
便り

安國寺-沖縄県那覇市

・安國寺 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里寒川町1-2文永年間の頃何国の僧とは不相知、禅鑑と申僧小船より那覇へ漂着いたし寺を浦添間切に創建、極楽寺と名付侯由、是寺の始めの由御座候。(琉球一件帳〈仏寺ノ初〉雍正拾五年〔西暦一七三二年〕読み下し文)より、この文章が沖縄仏教の始まりであり(英祖六年〔西暦一二六五年〕)これより二百年の後に太平山安國寺は首里の地に創建(天順元年〔西暦一四五七年〕)(リンク先より) << 戻る