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知恩院、勢至堂の再興

勢至堂(せいしどう)の地は、法然上人がご終焉を迎えられるまでお念仏のみ教えを自ら広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地でもあります。堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰であり、知恩院の名の起源がここにあります。現在の勢至堂は享禄3年(1530)に再建されたもので、七間四面単層入母屋造本瓦葺、桁行21メートル、梁行20メートルの現存する知恩院最古の建造物です。ご本尊はもともと法然上人のご尊像(御影)でしたが、現在の御影堂が建立された折に移されたため、それ以降は上人の本地身(ほんじしん)とされる勢至菩薩像(重要文化財)をご本尊としておまつりしています。これが勢至堂と言...
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清谷寺-福岡県糟屋郡

・清谷寺 臨済宗妙心寺派 福岡県糟屋郡久山町山田651記録によると清谷寺の開山は大説和尚、中興開山は玉林和尚になります。享禄2年(1529年)博多の安国山 聖福寺の東部寺院として末寺になりました。(リンク先より) << 戻る
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妙福寺-福岡県粕屋郡

・妙福寺 浄土真宗本願寺派 福岡県糟屋郡篠栗町篠栗4253-21529年(享禄二年) 七里隼人が、蓮如上人の命により建立。備考 末寺70余の筑前国触頭となった。また、明治時代の住職七里恒順は、真宗の名僧と言われた。(リンク先より) << 戻る
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碩水寺-長野県東筑摩郡

・碩水寺 曹洞宗 長野県東筑摩郡筑北村坂北1044-1当寺は天明二年と文化十年の火災にあい、寺の由緒は詳かではないが、裏山に覚応阿闍梨法印の塔があったことから、もとは真言宗の寺であったことが知られる。現在の曹洞宗に改められたのは、享禄年中(1528~)、当時の領主青柳近江守清長、伊勢守頼長父子が勢力をはっていた頃のことで、頼長が開基となり、南安曇有明の青原寺二世天如桂樹和尚を請じて開山となし、天文元年(1532)、寺が創立された。(リンク先より) << 戻る
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勝胤寺-千葉県佐倉市

・勝胤寺 曹洞宗 千葉県佐倉市大佐倉1467-1勝胤寺は享禄元年(1528年)に創建されました。開山は華翁祖芳大和尚と申します。かって能登の祖院で典座職を務めたことがある、と伝えられる方です。1500年当時、開山を招ねかれた開基千葉勝胤公は下総を統括する立場にありました。(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-東京都町田市

・龍澤山 祥雲寺 曹洞宗 東京都町田市高ケ坂7-15-1当寺院は、山号を龍澤山、寺号を祥雲寺と称し、小田原大雄山最乗寺住職輪番ならびに一万石の格式にて、大永6年(1526)8月、現在の神奈川県伊勢原市石雲寺第三世寥堂秀郭大和尚を請して開山とし、小田原北條家が武運長久祈願のためと檀信徒の帰依のためとに因って建立され現在に至っております。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-広島県三原市

・光徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県三原市久井町和草970神辺の城主山名式部少輔美政の次男善宗は戦の明け暮れに生命を失っていく戦国の世に無常を感じ、明応五年に現在の地に草庵を結び、出家して好晴と名のりました。   そして、大永六年四月九日光徳寺を創立し、天文十年十月十五日に往生の素懐を遂げました。(リンク先より)※大永六年 1526年 << 戻る
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善重寺-愛知県知多市

・功徳山 善重寺 真宗大谷派 愛知県知多市八幡字荒古前110-1善重寺は、大永6年(1526年)岐阜県揖斐川町(旧久瀬村)に創建された天台宗寺院でありましたが、慶長5年(1600年)本願寺十二世教如上人のご教化により、阿弥陀如来を本尊とした、浄土真宗の寺院となりました。(リンク先より) << 戻る
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神恵院-香川県観音寺市

・神恵院・観音寺 真言宗大覚寺派 香川県観音寺市八幡町1-2-7・67番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第68番札所 七宝山 神恵院 ⇒ 69番札所 七宝山 観音寺 ⇒ 70番札所本堂は、観音寺金堂とも呼ばれ、元あった東・西・中の三金堂の内の中金堂であり、平安時代初期に建立されたが、幾度かの改築の後、大永五年(1525)十二月に、法印澄瑜が大檀那源(細川)氏信以下の寄進により再建したものが現在の建物であると、記録に残る。(リンク先より)<< 戻る
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知恩院にて御忌大会

1524年(大永4年)、御忌鳳詔の詔勅が下り御忌大会が知恩院で始まる。<< 戻る
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善興寺、天台宗から浄土真宗に宗旨を改める

大永3年(1523)6月16日、本願寺第9世の実如上人から阿弥陀如来のご絵像を下附され、天台宗から浄土真宗に宗旨を改めました。<< 戻る
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善了寺-大分県中津市

・善了寺 真宗大谷派 大分県中津市大字全徳378室町時代、大永3年(1523)に釈正誓により開かれました。江戸期、寛永10年(1633)に東本願寺の末寺となり、真宗寺院として阿弥陀如来像を安置し、善了寺を寺号とすることを許可されました。(リンク先より) << 戻る
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妙蓮寺-山口県下関市

・妙蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県下関市蒲生野町415大内義隆の家臣に原田右衛門之尉道信が大永三(一五二三)年仲秋京に上り本願寺九代實如上人に竭し剃髪して法名釋道信を賜り、實如上真筆六字の尊号を頂き、この蒲生野の地に一字を創草する。(リンク先より) << 戻る
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柳徳寺-宮城県栗原市

・柳徳寺 曹洞宗 宮城県栗原市若柳字川南町浦96大永三年の開山にして、柳徳寺殿青含緑葉大居士の開基なり、実に500年近い歴史を持つ。三世天山存長和尚代に新山(栗原市若柳新山地区)より現在の地に移転すと伝えられる。依って中興の祖となったものと思われる。(リンク先より)※大永三年 1523年 << 戻る
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安住寺-新潟県柏崎市

・安住寺 曹洞宗 新潟県柏崎市石曽根3216開山 北条普広寺三世曇芳文誉大和尚 大永3年(1523)示寂開基 石曽根帯刀公(リンク先より) << 戻る
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養命寺-静岡県藤枝市

・養命寺 浄土宗 静岡県藤枝市本町3-6-35大永三年( 1523年 )に 小田 市郎兵衛という在家の信者が、財や土地を布施し、小田家先祖の供養の為に建立したのが始まりと言われています開山上人 : 長蓮社春譽上人文公)大和尚(リンク先より) << 戻る
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長念寺-神奈川県川崎市多摩区

・長念寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県川崎市多摩区登戸1416長念寺は、1522年(大永2年)法専坊によって当地に草庵が築かれたことに始まります。当初は、真言宗の寺院であったようですが、後に真宗門徒であり徳川家に仕えていた中根家が帰依していることから、草案創設後あまり時代を開けずに真宗寺院としての基盤が確立されていたことが考えられます。山号は、開基の年に因んで「大永山」と名付けられましたが、長念寺の東側に多摩川の支流の名残である三日月湖があったことから「永池山(えいちざん)」と改称されました。(リンク先より) << 戻る
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顕法寺-福島県二本松市

・顕法寺 浄土真宗本願寺派 福島県二本松市竹田1-198当山は、開基長察律師の創立です。本願寺第九世教恩院実如上人の代に得度し、特に直筆の御書を拝受し、大永二年(1522年)奥州塩松の郷に一寺を建立して、聞法衆生に努めました。その後、二本松市小浜新町に移りました。顕法寺の開基長察律師は、天文八年(1539年)に往生しました。(リンク先より) << 戻る
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西楽寺-島根県大田市

・西楽寺 浄土真宗本願寺派 島根県大田市温泉津町温泉津イ727-1もとは禅宗。覚兆庵と称す。大永元年(1521) 本願寺第9世実如宗主の教諭に由って浄土真宗に改宗。法名を正慶と頂戴。(リンク先より) << 戻る
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光明寺-山口県下関市

・光明寺 浄土真宗本願寺派 山口県下関市細江町1-7-10 延徳年中(1489~92)に、京都 本願寺の八代目 蓮如上人の弟子となった、常陸の国の釈正善が、長門国に下って、大永年間(1521~28)に豊浦郡西市に堂を建てたことに始まるとされています。(リンク先より) << 戻る
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伽藍諸堂、焼失する

大永元年(1521年)、伽藍諸堂、焼失する。<< 戻る
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蓮光寺-埼玉県川越市

・鷲嶽山 蓮光寺 曹洞宗 埼玉県川越市渋井248当寺は、下野国足利郡山川村の長林寺の末寺です。創設の年代は、不詳で正確ではありませんが、開山僧の慶庵惣与は永正17年(1520)11月に寂す。と、新編武蔵風土記稿に記されています。永正年間に惣与大和尚が存在していたことから、蓮光寺創建は、室町時代中期にほぼ間違いないと推定されます。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-大分県大分市

・西福寺 真宗大谷派 大分県大分市寒田557永正17年(1520年)春、大友家家人「釋道因」がこの地に一宇を建立したことに始まり、爾来五百年、ご門徒の方々に護持されてまいりました。(リンク先より) << 戻る
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林正寺-新潟県新潟市南区

・林正寺 真宗大谷派 新潟県新潟市南区根岸45開山:1520年(約500年)ご本尊:阿弥陀如来初代:寛寿(浄土真宗中興の祖・本願寺8代法主「蓮如上人」の孫が開祖)宝物:蓮如上人直筆御絵像・実如上人直筆御手紙等々本堂:昭和25年建立(リンク先より) << 戻る
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光明寺-愛媛県西条市

・光明寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県西条市大町5501520年頃 永正年間 釈智雲(入江主計)によって開基。入江主計は、讃岐国多田郡広田(現在の香川県仲多度郡)の城主で、入江兵庫守の次男。(リンク先より) << 戻る
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龍谷寺-愛知県日進市

・雲興山 龍谷寺 曹洞宗 愛知県日進市藤島字寺下29龍谷寺は、開基は、藤原則武と伝えられ、1520年ごろに、三州篠原永沢寺3世心月宋光大和尚が三州の城主・渡辺守綱の助力を得て、伽藍を整備し、開山されました。現在38世に至るまで約500年に渡り、お釈迦さまの教えを受け継いでいます。また當寺の36世は、曹洞宗管長として横浜市鶴見にある曹洞宗大本山総持寺の貫首を務めました。(リンク先より) << 戻る
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西往寺-佐賀県神埼郡

・西往寺 浄土宗 佐賀県神埼郡吉野ケ里町大曲1539浄蓮社純誉恵秀上人(天文七年 1538年没)の創建で、開基は1520年頃と思われます。当時は戦乱が続き、開山恵秀上人が死没後衰退の一途であったが、天正十四年(1586年)大木知光がこの地を領することになり、大木家菩提寺となって息を吹き返しました。その後、大木庄右衛門朝貞を大檀那とし、大庄屋小宮善右衛門の肝入りで大蓮社鏡誉上人を中興開山上人として再興されました。(リンク先より) << 戻る
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寳泉寺-神奈川県藤沢市

・玉雄山 寳泉寺 曹洞宗 神奈川県藤沢市遠藤6094永正16年、小田原北条氏の家臣 仙波土佐守によって相模国高座郡小出村字遠藤(現藤沢市遠藤)に開創されました。開創当時の寳泉寺は敷地境内も広大で、17棟の建物からなる大寺院でしたが、大正12年の関東大震災で全ての建物が倒壊してしまいました。(リンク先より)※永正16年 1519年 << 戻る
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本興寺-千葉県長生郡

・一松山 本興寺 法華宗(本門流) 千葉県長生郡長生村一松丙301当地域は元々真言宗であったと伝えられていますが、大本山鷲山寺第八世日幡(にちばん)上人の折伏(しゃくぶく)により、永正十五年(1518)四月二十八日、法華宗に帰信し一カ寺を建立、一松山(いっしょうざん)本興寺と称します。(リンク先より) << 戻る
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善称寺-和歌山県和歌山市

・善称寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県和歌山市本町5-32善称寺の創建は永正15年(西暦1518年)です。和歌山大空襲で本堂が焼失した時期もありましたが、ご門徒さま方の尽力のもとに立派に再建されました。本尊の阿弥陀如来像は土中に埋めて戦火を免れました。そして平成30年には創建500年の節目をむかえました。(リンク先より) << 戻る
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知恩院、火災にあう

1517年(永正14年)8月、火災がおこったが、影像、勅伝など災いを免れた。<< 戻る
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少林寺-岡山県津山市

・少林寺 曹洞宗 岡山県津山市中北上1150小森山圓福寺(中北上1319番地)と称していたが、後醍醐天皇が隠岐島を脱出、船上山の名和長年に身を寄せられた1333年頃兵火によって焼失。その後180年程そのままになっていたが、1516(永正13)年11月に幻住寺六世大網愚溪大和尚が、当時の岩谷城主大河原弾正の懇請を容れて、後に少林寺末寺となる観音寺の地(中北上1161番地)に小庵を建立し、山号を山形臥龍に似たるを以て澤龍山とし、1525(大永5)年10月10日に「澤龍山小林庵」と称し開堂。(リンク先より) << 戻る