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法輪寺-和歌山県田辺市

・法輪寺 曹洞宗 和歌山県田辺市新屋敷町85当山は元和元年(1620年)田辺住まいの与力三十六人衆の一人である西郷孫右衛門が盟主となって創建されたものです。孫右衛門は遠江(静岡県)森の領主、大須賀五郎兵衛胤高公(徳川家康公に仕え五千石を拝領)に寵愛された人物で、主人である胤高公が慶長十四年に死去し、与力衆として田辺に移住した孫右衛門は、旧主の菩提を弔う為に胤高公(鷄足院殿傳誉法輪大居士)を開基とし、衣宗廣傅大和尚を招いて開山として創建され、現在末寺は十三ヶ寺を有りしています。(リンク先より) << 戻る
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興福寺-長崎県長崎市

・興福寺 黄檗宗 長崎県長崎市寺町4-32興福寺の由来は、中国・明の商人が長崎に渡来しはじめた頃の元和六年(1620)、中国僧真円が航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。江戸時代初期の長崎は、幕府の朱印船、唐船貿易の奨励により、ヨーロッパ諸国、イスラム、アジアなどの冒険商人や物資が集まる国際都市となりましたが、なかでも中国からの来航者は圧倒的に多く、市民の6人に1人は中国人というほどで、出身地別に寺を建立したのが興福寺をはじめとする崇福寺、福済寺などの長崎唐寺(とうでら)の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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台林寺-栃木県小山市

・台林寺 天台宗 栃木県小山市飯塚1582信祐法印の開山で創建は元和年間(1620年頃)と伝えられております。当、寺院の本尊は阿弥陀如来です。大乗仏教の如来の一つ、梵名「アミターバ」といい「阿弥陀」と音写します。阿弥陀如来は、無限 の光を持つもの、無量の寿命をもつものを意味します。(リンク先より) << 戻る
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林昌寺-愛知県春日井市

・薬師山 林昌寺 臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市林島町105約400年続く文化的資産として地域に根差し、ご縁ある皆さまとのつながりを大切にしていきます。設立日 元和5年(西暦1619年)(リンク先より) << 戻る
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大雲寺-兵庫県宍粟市

・大雲寺 浄土宗 兵庫県宍粟市山崎町上寺169当山は元和5年(1619) 専誉上人によって開山されたお寺です。開山 称蓮社専誉上人天樹大和尚は、姓は千葉氏と言い、文禄2年(1593)下総国千葉に誕生されました。佐倉清光寺森誉玄愚上人に就いて、剃髪・出家・檀林附法の後、大坂大雲寺に住し、姫路幡念寺を経て、播磨山崎の地に赴き、当地において元和5年(1619)8月15日に、入仏法要が行われました。(リンク先より) << 戻る
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恵運寺-和歌山県和歌山市

・恵運寺 曹洞宗 和歌山県和歌山市吹上3-1-66創建:1619年~1621年 開山:天厳(岩)玄達開基:山本弥三郎茂成(長昌公)牟呂城城主 天眞院星安長昌居士初代藩主徳川頼宣公と紀州徳川家の武運長久、廣厳無窮の安泰と山本家の顕祖長昌公の菩提を供養する為、紀州藩重臣山本圖書正春が禅寺を建立。(リンク先より) << 戻る
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知恩院、三門、経蔵を造営

1619年(元和5年)、江戸幕府が知恩院の三門、経蔵を造営、2年後に竣工しました。【三門】1619年(元和5年)、徳川二代将軍秀忠公の命を受け建立されました。平成14年には国宝に指定されました。構造は入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、我が国現存の木造建築として最大級の二重門で、外に掲げられている「華頂山」の額は、大きさは畳二畳以上にもなります。一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」とい...
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金泉寺-埼玉県比企郡

・大龍山 金泉寺 曹洞宗 埼玉県比企郡嵐山町越畑1122当初東方山上の寺台に開祖南叟玄寿(なんそうげんじゅ)大和尚により元和四年(1618年)三月に建立されと伝えられています。その後、火災に遭い正徳五年(1715年)現在の地に再建されたと伝えられています。本尊に釈迦牟尼佛を安置(リンク先より) << 戻る
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観音寺-広島県広島市佐伯区

・観音寺 臨済宗 広島県広島市佐伯区坪井町736観音寺は佐伯区坪井町観音寺と南区元宇品町観音寺から成り立っています。元和四年(1618年)浅野氏入封の際に一緒に来られた桂雲禅師が中興され、広島新四国第五十一番の霊場であります。ご本尊十一面観世音菩薩は大同年中(806~810)常勝将軍と言われた坂上田村麻呂公の守本尊で、身丈僅か一寸八分の秘仏であります。(リンク先より) << 戻る
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慈眼院-沖縄県那覇市

・慈眼院 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里山川町3-1寺院の創立縁起は、琉球王朝時代、佐敷王子(のち尚豊王)が人質として薩摩に連れて行かれた際、父・尚久王は息子が無事帰国できたら首里の地に「観音堂」(観音様をお祀るお堂)を建てることを誓願されました。その後、無事帰郷したので、1618年、首里の萬歳嶺という丘(高台)に観音堂を建て、その南に、慈眼院を建立しました。(リンク先より) << 戻る
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西琳寺-千葉県夷隅郡

・西琳寺 曹洞宗 千葉県夷隅郡御宿町高山田1553西琳寺は、今から約700年前、鎌倉時代の中期に真言宗の寺院として開山された後、浄土宗時代を経て、江戸時代初期の1618年、現在の千葉県いすみ市万木の海雄寺の4世嶽應義賢大和尚により、海雄寺を本寺とする曹洞宗の寺院となりました。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-愛媛県大洲市

・西方寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県大洲市西大洲甲1979元和3年、大洲城主・加藤貞泰公によって城下裏町3丁目山根(現在・町の駅あさもや)に入城記念として開基され、 本堂五間四面、庫裡五十坪、山門、長屋等が建てられた。(リンク先より)※元和3年 1617年 << 戻る
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常敬寺-東京都新宿区

常敬寺 真宗大谷派 東京都新宿区市谷山伏町1−7地下鉄牛込柳町駅から神楽坂へ上がったところにあるます。境内には親鸞上人像を見ることが出来ます。元和3年(1617)八丁堀に建立されたものが、明暦2年(1656)にここに移転されました。 << 戻る
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宗英寺-神奈川県横浜市青葉区

・宗英寺ホームページ 曹洞宗 神奈川県横浜市青葉区鉄町1783新編武蔵風土記稿によると、除地、2町8段4畝、村の西にあり、禅宗曹洞派、江戸渋谷長谷寺末、一抽山と号す、開山仁嶺寅怒元和3年5月21日寂す、開基は此の村の地頭加藤権右衛門景正なり、法名を大樹院一抽宗英と云、寛永7年8月卒す、客殿7間半に5間半未、坤の方に向かう、本尊釈迦木の座像にして長一尺ばかり、と書かれている。(リンク先より)※元和3年 1617年 << 戻る
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常栄寺-東京都世田谷区

・常栄寺 浄土真宗本願寺派 東京都世田谷区北烏山4-13-1寺伝の過去帳によると、寛永16年(1639年)6月8日に示寂した正教法師を第一世とします。寺は創建当初、浅草烏越の地にありましたが、元和3年(1617年)、本願寺十二代宗主・准如上人が築地本願寺の前身・浅草御堂を浅草横山町に創建したとき、当寺もこれに従って浅草へ移転しました。(リンク先より) << 戻る
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臨川寺-岐阜県関市

・臨川寺 黄檗宗 岐阜県関市小屋名957-11617年に小屋名村の豪族であった「喜多嶋きたじま(亀山)惣右衛門そうえもん 雅利まさとし」が、小屋名村の領主であった「池田図書政長いけだずしょまさなが」の菩提寺として創建しました。当初は臨済宗でしたが、1660年に潮音道海禅師を迎え、黄檗宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る
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真英寺-東京都新宿区

・真英寺 真宗大谷派 東京都新宿区若葉2-1-3開基 祐眞(三河出身の僧侶)元和 3年(1617年) 麹町清水谷貝塚村(現在の千代田区紀尾井町)創立天保12年(1841年) 現住所へ移転(リンク先より) << 戻る
人物

徳川家康(とくがわいえやす)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康。戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任せられ江戸幕府を開く。三英傑のひとり。家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元より偏諱を受けて元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが、今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していた。従五位の叙位に際し藤原氏と称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるが、天正16年(1588年...
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本念寺-秋田県秋田市

・本念寺 浄土宗 秋田県秋田市広面字赤沼98本念寺は元和2年(1616)良無文廓上人が開基されました。 しかし本念寺には縁起(建立理由)が残されておりません。​ですが歴代の住職のお戒名から察せられることがあります。(リンク先より) << 戻る
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心行寺-東京都江東区

・双修山 心行寺 浄土宗 東京都江東区深川2-16-7双修山養源院と号し、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立。開山は観智国師の高弟、光蓮社団誉一路屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室養源院殿である。寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転した。(リンク先より) << 戻る
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清昌寺-岐阜県多治見市

・清昌寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県多治見市笠原町3546清昌寺の創建は、元和二年(1616年)と伝えられています。開基である笠原の陶祖、加藤治郎太夫は、窯業の繁栄と子孫の幸せを願って、虎渓山永保寺より白嶺清公禅師をお招きして小庵を建て「白雲山清昌寺」と称し、念持仏であった十一面観世音菩薩をお祀りして祈願せられました。(リンク先より) << 戻る
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実際寺-岡山県倉敷市

・実際寺 高野山真言宗 岡山県倉敷市中島516中島山実際寺は、元和2年(西暦1616年)に、当時の中大道城主だった建部民部慰政喜によって中興されました。建部氏は、慶長9年11月(西暦1604年)西阿知の遍照院に身を寄せながら、現在実際寺のある中島地区の干拓などを手掛け、1616年に松山藩の検地を受けて中島が誕生しました。(リンク先より) << 戻る
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龍岸寺-京都府京都市下京区

・龍岸寺 浄土宗 京都府京都市下京区塩小路通大宮東入八条坊門町564寺史によれば龍岸寺は僧・三哲によって、元和2年(1616)に創建されたとされる。龍岸寺の山門前の通りは、いまは塩小路通と呼ばれるが、かつては三哲通だった。(リンク先より) << 戻る
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西岸寺-東京都文京区

・東光山荘厳院 西岸寺 浄土宗 東京都文京区春日1-12-12創 建 元和2年(1616年)開山上人(初代住職) 単称長察和尚開 基(お寺の創建者) 内藤家と小田切家本 尊 阿弥陀如来 木立像2尺 恵心僧都作と伝えられている(リンク先より) << 戻る
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ヨーロッパ船の来航を平戸と長崎に制限する。

1616年、ヨーロッパ船の来航を平戸と長崎に制限する。<< 戻る
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傑山寺-宮城県白石市

・傑山寺 臨済宗妙心寺派 宮城県白石市南町2-7-20山号 常英山(じょうえいざん)寺号 傑山寺(けっさんじ)宗派 臨済宗妙心寺派開基 初代片倉小十郎景綱公 元和元年(1615)10月14日没第四世住職 泰巌宗哦和尚禅師 戒名 「傑山常英大禅定門」諡(おくりな)「傑山寺殿俊翁常英大居士」開山 臨済宗妙心寺派 天心智寛大和尚 慶長13年(1608年)本尊 拈華釈迦如来立像脇本尊 迦葉尊者(本尊に向かって右側)阿難尊者(本尊に向かって左側)四天王 東方に持国天 南方に増長天 西方に広目天 北方に多聞天(毘沙門天)(リンク先より) << 戻る
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江巖寺-宮城県仙台市青葉区

・江巖寺 曹洞宗 宮城県仙台市青葉区柏木3-7-40政宗43歳、晩年に近づいていた政宗は、落ち着いた人情味を持ち、子供を思う気持ちが一段と強くなっていた。7歳といえば可愛い盛りである。そういう時に竹松丸君は夭折した。1615(元和元年)年3月18日のことである。 江巖寺開山鱗庵光 金大和尚(輪王寺十世)の導師にて慇勤に葬儀を営み「江巖寺殿惠春大禅定門」と法諡(おくりな)したが、政宗その死をいたく悲しんでいとけなき 人は見果し ゆめかとよ うつつに残る 老の身のうきと詠じ、竹松丸の菩提を弔うため一寺を創建して、微笑山江巖寺と号した。(リンク先より)<< 戻る
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慈眼寺-愛媛県新居浜市

・慈眼寺 曹洞宗 愛媛県新居浜市西の土居町2-16-47口碑によれば当時、金子備後守元宅は東予全軍の指揮をとるため高尾城(西条市氷見)に行き、兄に代わって金子城を守っていた弟の対馬守元春は、落城後戦で亡くなった人達の菩提を弔うため仏門に入り、奥州(福島県いわき市)の長源寺へ行き卓眼和尚の下で修行を積み、後に故郷の地に帰って生残りの者や戦死した子孫と力を合わせ、この戦で亡くなった将士の菩提を弔うため、金子城の館跡に一寺を建立し、松樹林正法山慈眼寺と呼びました。時は元和年間と伝えられており、また関庵本微和尚は対馬守元春の後身といわれております。(リンク先より)※元和年間 1615年から1624年 ...
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緑泉寺-東京都台東区

・浅草・湯島山 緑泉寺 浄土真宗東本願寺派 東京都台東区西浅草1-8-5当山は、初代覺春法師が越前の国より江戸に下り、元和元年(1615年)本郷湯島(現在の文京区湯島)に湯島山緑泉寺として興したことによりはじまりました。しかし明暦3年正月、俗に言う振袖火事により類焼、当山もことごとく焼失しました。その後浅草に遷り、今日まで連綿と法燈を継いでまいりました。(リンク先より) << 戻る
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高音寺-宮城県亘理郡

・高音寺 曹洞宗 宮城県亘理郡亘理町逢隈十文字字牛頭190紅梅山 高音寺(こうばいさん こうおんじ)開創 1615年(元和3年)開山 大雄寺5世仲巖文堂大和尚(リンク先より) << 戻る
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宗禅寺-東京都羽村市

・宗禅寺 臨済宗建長寺派 東京都羽村市川崎2-8-20歴史開創1615年(元和元年)。現在の川崎会館、玉川上水付近にあったと思われます。(リンク先より) << 戻る
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盛岩寺-新潟県新潟市秋葉区

・盛岩寺 曹洞宗 新潟県新潟市秋葉区大安寺815元和元年(1615年)開山。2015年に開山400年を迎えた曹洞宗の古刹。本寺は五泉市の(旧村松町滝谷)慈光寺で末寺一寺を持つ。先代英鳳紀典和尚が新潟市江南区の(旧横越町沢梅)大榮寺の住職になり(リンク先より) << 戻る