年表

年表

幕府がキリスト教徒の発見に踏み絵を用いる

1629年、幕府がキリスト教徒の発見に踏み絵を用いる。<< 戻る
便り

西徳寺-東京都台東区

・西徳寺 真宗佛光寺派 東京都台東区竜泉1-20-19西徳寺は寛永五年五月、当時新興都市であった江戸における佛光寺門徒の聞法道場として、 金助町(現在お茶の水に近い本郷近辺)に建立された。徳川幕府三代家光の時に当たる。初代の住職は新潟県寺泊の名刹「聖徳寺」住職の次男、釈善如法師が本山の命を受けて就任している。ところが建立されてからわずか五十年の間に三回の火災に見舞われてしまう。この三回の火災の中には八百屋お七 で有名な「振り袖火事」も含まれているが、そのたびごとの再建の為、すっかり疲弊してしまう。(リンク先より)※寛永五年 1628年 << 戻る
便り

正覚寺-青森県青森市

・正覚寺 浄土宗 青森県青森市本町1-1-12青森市本町( 旧寺町)に立ち並ぶ四ヵ寺の中では、その創立が最も古い寺院。善知鳥村が 青森村と改名され、ようやく街が出来始めた頃の寛永三年(1626年)、時の開港奉行森山 弥七郎が民心安定の為寺院設置の必要を津軽藩主信枚に懇願、寛永五年(1628年)建立。(リンク先より) << 戻る
便り

常仙寺-群馬県高崎市

・常仙寺 曹洞宗 群馬県高崎市並榎町331並榎山常仙寺は、一六二八年(寛永五年)徳川家光の時代に、水運業を営む飯塚常仙(光徳院心徹常仙居士)が藤岡市森の泉通寺の四世である松齢恕嶽大和尚を開山として創建したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
便り

丈六寺-大分県豊後大野市

・丈六寺 臨済宗妙心寺派 大分県豊後大野市三重町秋葉1274・古くは極楽寺と称し、一丈六尺の阿弥陀如来を安置していたことから、後に丈六寺になったといわれている。・天正年間の薩摩軍の侵攻により丈六仏と共に消失。・約40年後の寛永5年(1628年)実傳受眞が創建。(リンク先より) << 戻る
人物

義演(ぎえん)

戦国時代から江戸時代にかけての真言宗の僧。 父は二条晴良、母は伏見宮貞敦親王王女の位子。 室町幕府15代将軍・足利義昭の猶子となり、「義」の一字を与えられている。生誕 永禄元年8月20日(1558年10月1日)命日 寛永3年閏4月21日(1626年6月15日)<< 戻る
便り

忠綱寺-東京都台東区

・忠綱寺 真宗大谷派 東京都台東区池之端2-5-43寛永3年(1626年)3月22日開基 渡邉忠綱(忠七郎)寺号 向岡山 渡邉院 忠綱寺墓所 渡邉忠綱、方綱、豪綱、潔綱ら、渡邉家御代の墓を預かる(リンク先より) << 戻る
便り

蓮台寺-愛知県豊田市

・蓮台寺 浄土宗 愛知県豊田市上野町2-38住古から不動堂村(上野町内)に地蔵仏が祠られていたが、永禄(1558~20)の頃の兵火で付近の寺と共に堂宇は焼失した。寛永2年(1625)再建立され、地蔵菩薩を本尊として再興してから、同10年(1633)、近くの随応院中興の七世源蓮社然誉上人(地元の山内重但の次男)を開山に招じて浄土宗となり、地蔵院法然寺と寺号公称した。(リンク先より) << 戻る
便り

寛永寺-東京都台東区

・寛永寺 天台宗 東京都台東区上野桜木1-14-11寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。 後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。また関東大震災や太平洋戦争の被害もありましたが、戦後は新たに霊園を造営し一般のお檀家さまを受け入れるなど、...
便り

祥雲寺-大阪府堺市堺区

・祥雲寺 臨済宗大徳寺派 大阪府堺市堺区大町東4-2-7山号を龍谷山、俗称松の寺といい、豪商谷正安を開基、沢庵宗彭を開山とする。徳川時代の初め、沢庵に帰依する正安は、夭折した子供の菩提のため寺院創建を発願した。だがそのころ、新地での寺院建立は法で禁じられていた。折しも大坂夏の陣(元和元年=1615)で焼失した南宗寺の復興に尽力していた沢庵は、同じく夏の陣で焼失した海会寺を南宗寺山内に移転再建し、その跡地に新寺を建立することにした。寛永2年(1625)から同5年にかけて正安は海会寺跡地に方丈、庫裡などを造営、瑞泉寺と号して沢庵を勧請開山に迎えた。これに伴い南宗寺と法類の縁が結ばれた。その後、同9...
便り

智源寺-京都府宮津市

・智源寺 曹洞宗 京都府宮津市字京街道769寛永2年(1625)5月、宮津城主・京極丹後守高広公が、母堂・惣持院殿松渓智源大禅定尼追善のため建立し、心庵盛悦禅師を懇請して開山とした曹洞宗の寺院です。山号と寺号は、この松渓智源禅定尼より出ています。寛文元年(1661)、大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、丹後曹洞宗の諸寺を支配しました。(リンク先より) << 戻る
年表

関所・駅伝の制

1625年、関所・駅伝の制を定める。<< 戻る
便り

最勝院-千葉県船橋市

・最勝院 facebook 浄土宗 千葉県船橋市本町3-35-5当山は、寛永年間(1624~1643)の初頭、浄勝寺住職大超(潮?)上人により塔頭として創建されたと伝えられる。慶安年間、中興開山但譽了受大徳により堂宇の再建がなされた。明治20年頃、浄勝寺塔頭から独立寺院となり、尋蓮社聲譽察音上人(明治25年12月13日没)の手により、堂宇の改修が行われ、その後、昭和34年、正蓮社覚譽上人(千野定戒)、昭和49年、中興圓蓮社融譽上人(千野定勝)により堂宇の整備がなされると共に教線の拡張が図られた。(リンク先より) << 戻る
便り

照源寺-三重県桑名市

・照源寺 浄土宗 三重県桑名市大字東方1308寛永元年(1624年)桑名藩主であった松平隠岐守定勝公(徳川家康公の異父弟)の御逝去に際し、二代将軍徳川秀忠公の台命により 御父菩提の為、御子の松平隠岐守定行公が新規に一寺を建立し、当地に埋葬しました。すなわち当山は松平家菩提の為に建立されたお寺です。(リンク先より) << 戻る
便り

法泉寺-岩手県盛岡市

・法泉寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-16-8盛岡の法泉寺は、江戸時代前期(1624年~44年)、東禅寺の住職・東岩和尚によって開かれました。それから数十年を経て寛文十一年(1671年)、南部第二十九代重信公が、第三十代行信公の母堂の菩提のために建立(再興)して、法泉寺と称したとされます。(リンク先より) << 戻る
便り

徳玄寺-岩手県盛岡市

・徳玄寺 真宗大谷派 岩手県盛岡市名須川町15-8徳玄寺は室町時代から戦国時代に代わる頃、青森県五戸で開山しました。それから南部氏が三戸から盛岡に移るにおよび、江戸時代前期(1624~1644年)玄海の時に現在地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
便り

壽徳寺-福島県耶麻郡

・壽徳寺 真言宗豊山派 福島県耶麻郡猪苗代町山潟字村上2540「永正年中、雲の間から熊野本宮の牛王が飛びこみ、随喜のあまり薬師の像を彫った。牛王を薬師の胎内の中に封じ、寺を建てて安置し、時宗の僧金蔵を住持とした。寛永年中、真言の僧秀海が来て田子山寿徳寺と号し、若松台町(現在の会津若松市内)延寿院の末山となった」とされる 『新編会津風土記』より(リンク先より)※寛永年中 1624年から1645年 << 戻る
便り

専徳寺-山口県岩国市

・専徳寺 浄土真宗本願寺派 山口県岩国市通津2764厳島合戦に勝利した毛利元就は一族の吉川広家を、弘中氏(当時の岩国城主)に代わって岩国地方を領有させた。広家公は、16年の間岩国の領主となったが、元和2年(1616)に家督を嫡男広正公に譲ると、次男彦次郎君を帯同して、玖珂郡通津村本呂尾に隠居所を構えた。当時、高照山にあった常福寺という真言宗の寺院を改宗し、広正公に対して浄土真宗の一寺建立を願い出た。開基に高森正蓮寺開基了善法師(弘中氏の血統)の3男善超師を迎え、寛永元年(1624)年、光照寺(のち専徳寺)が誕生した。(リンク先より) << 戻る
便り

玉雲寺-静岡県島田市

・玉雲寺 曹洞宗 静岡県島田市伊太584玉雲寺には寺伝もなく開創当初の事やその後の寺歴も伝わらないため、詳しいことは不明ですが、郷士歴や「山西洞家明細鑑」(大房暁著 昭和38年)では、寛永年間の開創とされています。最初は現在の場所より1キロほど北の山中、田代という地に建立され、正保年間(1644~1648年)に現在の地に移転したと伝えられています。(リンク先より)※寛永年間は1624年から1645年 << 戻る
便り

徳勝寺-香川県さぬき市

・徳勝寺 浄土真宗本願寺派 香川県さぬき市寒川町石田東甲618寛永年中(1624-1643)住職通教、老体をおして最後の上洛本山参拝へ向かう。良如上人、忠勤に感じ入り寺号「徳勝寺」をお授けになる。第10代住職恵證、老齢の通教に変わり上洛し以下の物を賜る(リンク先より) << 戻る
便り

即応寺-大阪府大阪市阿倍野区

・即応寺 真宗大谷派 大阪府大阪市阿倍野区阪南町1-23-13寛永元年(1624)、東区難波別院内に長順坊として発足。寛永2年(1625)1月に即応寺となり、以来御堂内に在所をおき廃藩置県に至るまで宗藩寺として大坂町民の戸籍を預かりました。(リンク先より) << 戻る
年表

スペイン船の来航を禁止

1624年、スペイン船の来航を禁止する。<< 戻る
便り

天徳院-石川県金沢市

・天徳院 曹洞宗 石川県金沢市小立野4-4-4元和九年(1623年)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩提のため、金沢城の東、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳院を創建した。寛永元年(1624年)初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉滴和尚を千葉県長安寺よりお招きし、天徳院第一世開山とした。(リンク先より) << 戻る
便り

祥雲寺-東京都渋谷区

・祥雲寺 臨済宗大徳寺派 東京都渋谷区広尾5-1-21祥雲寺は、大本山が特賜興禅大燈国師開山の京都紫野大徳寺で、山号を瑞泉山という。筑前福岡城主黒田忠之の開基で、開山は龍岳宗劉。はじめ忠之の父・長政は、龍岳の道徳を崇敬し、しばしばその法話を聞いていた。長政が元和9年(1623)に歿すると、忠之は父の冥福を祈るために、赤坂溜池の邸内に一寺を建立。 長政の法名・興雲をとって龍谷山興雲寺と号し、龍岳和尚を請じて開山としたのが、当山の起立である。(リンク先より) << 戻る
便り

改観寺-新潟県新潟市秋葉区

・改観寺 真宗大谷派 新潟県新潟市秋葉区川口145元和9(1623)年 川口の名主田中新左衛門(第一世)は、広く念仏の教えが流布されることを願い、菓城寺から僧宗玄を迎えたのを改観寺の開基とする。第七世暁貞は、天明3(1783)年より、現新潟市濁川から本堂を移築再建し、天明7(1787)年に旧本堂が完成する。(リンク先より) << 戻る
便り

因速寺-東京都江東区

・因速寺公式ホームページ 真宗大谷派 東京都江東区東砂1-4-10因速寺は、江戸時代の初め元和9年(1623年)に釋定玄法師によって、江戸・京橋竹町に建立されました。その後、寛永2年に江戸・木挽町八丁堀に移転しましたが、類焼により、江戸・黒江町(現在の江東区永代2丁目)に寺基を移しました。大正12年(1923年)の関東大震災により寺は炎上してしまいましたが、昭和2年(1927年)に第10世・釋定因法師が現在の江東区東砂1丁目に再建されました。(リンク先より) << 戻る
便り

大英寺-長野県長野市

・大英寺 浄土宗 長野県長野市松代町松代1314皓月山大英寺は松代藩初代の藩主 真田信之公が、その奥方であった小松姫(大蓮院殿)の菩提を弔うために建立した寺です。小松姫の戒名は「大蓮院殿英誉皓月大禅定尼」で、大英寺の名前もここからいただいております。元和8年(1622)、信之公は松城(松代)へ転封になり松城に大蓮院殿の寺を移しました。それが現在の大英寺となります。(リンク先より) << 戻る
便り

徳源寺-滋賀県甲賀市

・徳源寺-facebook 浄土宗 滋賀県甲賀市信楽町下朝宮462㭝牛という僧が元和8(1622)年に法泉寺として開山した。その後、領主山口源助が浄土宗に改め、京都黒谷金戒光明寺に末属した。正保4(1648)年源助が亡くなった時に白龍という住職が源助の法号から寺名を徳源寺と改めた。本尊阿弥陀如来立像(木造、漆箔、古色、像高93.3cm)は、原材の丸太を彷彿とさせるような体系が特徴である。現在は、一度前後に割り放して内部にえぐった痕があるが、これは後世の所為と考えられている。10世紀後半の作品だと目されている。現在は来迎印を結んでいるが、当初は異なった施無畏・与願印だった可能性が示唆されている。...
便り

円満寺-山形県新庄市

・円満寺 真言宗智山派 山形県新庄市五日町5914昔は、秋田県西仙北郡小杉村にありました。初代新庄藩主戸沢政盛公の国替えにより、常州松岡(茨城県高萩市)から、元和八年(1622年)に新庄に移ってきました。(リンク先より) << 戻る
便り

定泉寺-東京都文京区

・東光山 定泉寺 浄土宗 東京都文京区本駒込1-7-12元和七年(1621)本郷弓町にあった「太田道灌の矢場跡」を旗本蜂屋九郎次郎善遠が拝領し堂宇を建立、増上寺定誉随波上人を開山に迎え、東光山見性院定泉寺と号しました。明暦の大火のあと現在地に移転。(リンク先より) << 戻る
便り

地蔵寺-徳島県小松島市

・地蔵寺 真言宗大覚寺派 徳島県小松島市松島町11-26弘法大師開基、元和7年(1621)中興。本尊は地蔵菩薩(藤原期)。寺宝に室町期の遺風を伝える平島公方の館を移築した本堂、大曼荼羅(県文化財)がある。(リンク先より) << 戻る
年表

シャム、インドシナ、ルソンなどに日本人町が栄える。

1621年、このころ、シャム、インドシナ、ルソンなどに日本人町が栄える。<< 戻る