buddhism

人物

西堂智蔵(せいどうちぞう)

中国唐の時代の禅僧。馬祖道一に就いて嗣法。「正法眼蔵」虚空より抜粋撫州石鞏慧蔵禅師、西堂智蔵禅師に問ふ、汝還た虚空を捉得せんことを解脱する麼。西堂曰、捉得せんことを解脱す。師曰、儞作麼生か捉する。西堂、手を以て虚空を撮す。師曰、虚空を捉せんことを解脱せず。西堂曰、師兄作麼生か捉する。師、西堂が鼻孔を把りて拽く。西堂、忍痛の声を作して曰く、太殺人、人の鼻孔を拽いて、直得脱去す。師曰、直に恁地に捉することを得て始得ならん。生誕 735年命日 814年<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

金剛界結縁灌頂、胎蔵灌頂の開壇

弘仁3(812)年11月15日、空海上人は高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇し、12月14日には胎蔵灌頂を開壇しました。入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範のほか190名にのぼりました。<< 戻る
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仲福寺-三重県津市

・仲福寺 真言宗醍醐派 三重県津市大里窪田町2302弘仁三年二月上旬に、弘法大師が天照皇大神宮へご参詣の際、当寺の林の中が金色に光っていることに気付きました。そこへ立ち寄ってみると、大木の元に八枚からなる蓮花の上に十一面の尊像が現れ、弘法大師は大光普照観世音として礼拝し、その大木に十一面観音を彫刻し当寺のご本尊として日天八王子を御勧請なされました。(リンク先より)※弘仁三年 812年 << 戻る
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前山寺-長野県上田市

・前山寺 真言宗智山派 長野県上田市前山300独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間、奥行八間の木造萱葺。弘仁年中(812)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられている。当初古義真言宗として法相、三論両宗を兼ねていたが、元弘年中(1331)讃岐国善通寺より長秀上人が来止し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
人物

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。父は左京大夫・坂上苅田麻呂。官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度に渡り征夷大将軍を勤めて蝦夷征討に功績を残した。薬子の変では大納言へと昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後は嵯峨天皇の勅命により平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、「王城鎮護」「平安京の守護神」「将軍家の祖神」と称えられて武神や軍神として信仰の対象となる。現在は武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの田村語り並びに坂上田村麻呂伝説が創出された...
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円鏡寺-岐阜県本巣郡

・円鏡寺 高野山真言宗 岐阜県本巣郡北方町北方1345-1当山は弘仁2年(811年)嵯峨天皇の勅願により「弘法大師」が、創建せられた真言宗の古刹である。(リンク先より) << 戻る
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弘仁寺-新潟県佐渡市

・弘仁寺 真言宗智山派 新潟県佐渡市羽茂本郷四四四八乙佐渡国弘仁寺の開基は人皇五十二代嵯峨天皇の御代、弘仁二年(811年)の事である。この年の三月、空海は帝の「夷狄を教化し霊地を開いて欲しい」との御勅願により、北国へ布教の旅に出たのである。(リンク先より) << 戻る
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玉泉寺-静岡県駿東郡

・玉泉寺 曹洞宗 静岡県駿東郡長泉町南一色149嵯峨天皇の御代 平安初期弘仁2年(811)弘法大師の弟子(不詳)がこの地,長泉に開林し創建すると伝えられる。以後780年間は真言宗の寺であったが、慶長5年5月 裾野市定輪寺である分翁守在禅師が曹洞宗に改宗して開山となる。(リンク先より) << 戻る
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栄福寺-愛媛県今治市

・栄福寺 高野山真言宗 愛媛県今治市玉川町八幡甲200・56番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第57番札所 府頭山 無量寿院 栄福寺 ⇒ 58番札所名称は府頭山 無量寿院 栄福寺(ふとうざん・むりょうじゅいん・えいふくじ)。寺伝に嵯峨天皇、勅願寺と伝えられています。弘仁年間(810年〜824年)に弘法大師が、この地に立ち寄った際に、海上の安穏を祈願して、瀬戸内海を望む府頭山山頂で護摩法を修法しました。(リンク先より)<< 戻る
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医王寺-埼玉県秩父郡

・二十三夜寺(医王寺) 真言宗豊山派 埼玉県秩父郡皆野町三沢1960その昔、聖徳太子がこの地を巡訪された際、諏訪明神から夢の中でお告げを受けた。ここは仏法隆盛の地であると奇異な思いを感じた太子は、自ら薬師如来の像を彫刻して草庵に安置、医王善逝の寺とした。これが今の奥の院である。聖武天皇の時代には行基菩薩が巡訪され、勢至菩薩を安置し、師慶山観音院と名付けられた。弘仁元年(810年)に弘法大師が訪れ、この地が往古の霊場との念から坊舎仏閣を建立、大師が自ら馬鳴菩薩を彫刻し、これを安置した。(リンク先より) << 戻る
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大谷寺-栃木県宇都宮市

・大谷寺 天台宗 栃木県宇都宮市大谷町1198大谷寺本尊千手観音(高さ4m)は、平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられています。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に坂東19番の霊場となり、多くの人々から尊崇されてきました。(リンク先より) << 戻る
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東円寺-山梨県南都留郡

・東円寺 天台宗 山梨県南都留郡忍野村忍草38弘仁年間(810年〜824年)、空海上人関東巡錫の砌、富士北麓の地に霊温泉の湧いている所(現在の湯の元の地)を見つけ、一宇を建立。湖畑山南泉寺と号したのが始まりです。 古くは富士山を修験とする真言宗のお寺でした。現存する忍草浅間神社(忍草朝日浅間宮)の国指定重要文化財のご神像の台座には、「正和4年(1315年)、別当東円寺」の墨書があることから、鎌倉期には既に天台宗となり、忍草山大日院東円寺と寺号が改まっていたようです。(リンク先より)<< 戻る
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大統寺-福島県白河市

・大統寺 臨済宗妙心寺派 福島県白河市字馬町26大統寺の起源は弘仁の年間(西暦810ー823)に遡ることが出来ます。当初は現在の金勝寺の近傍にありました。その後、白河法皇の時世にこの地を京の都に似ており、京の都を学ぶべしとし、「白河」の名が相応しいとしたことは良く知られていますが、法皇は勅願を以て大統寺を創建された。(リンク先より) << 戻る
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笹野寺-山形県米沢市

・笹野寺 真言宗豊山派 山形県米沢市笹野本町5686-5昔、坂上田村麿呂が国家鎮護を願って観音菩薩を勧請しまた、旅の僧が霊木を刻み鎮守として村人に祀らしめ背後の笹野山(斜平山・なでらやま)の中腹に観音堂と羽黒権現の社があったと伝えられている。弘仁元年(810)七月、現在の地に観音堂が落成し観音菩薩と羽黒権現をお祀りし、会津の高僧徳一上人により入仏供養が行われた。(リンク先より) << 戻る
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宝泉寺-東京都新宿区

・宝泉寺 天台宗 東京都新宿区西早稲田1-1-2宝泉寺は「和漢三才図会」(江戸時代の百科事典)や「吾妻鏡」などによると、西暦810年頃の草創と伝えられます。また承平年間(931-938年)平将門の乱を平定した藤原秀郷(俗称、俵藤太) の草創とも伝えられ、そのどちらをみても千年以上の歴史を持つ古寺であることがわかります。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-群馬県前橋市

・西光寺 天台宗 群馬県前橋市上佐鳥町289-1平安時代初めの弘仁年間(810-824)に法相宗の徳一和尚の開基。その後南北朝時代の応安3年(1370)に天台宗となる。江戸時代の天保15年(1844)4月7日夜八つ時に客殿常香盤より出火。客殿、庫裏、十王堂、表門、土蔵、長屋など全山を焼失したが、本尊と朱印状は焼失を免れて現存している。(リンク先より) << 戻る
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永福寺-群馬県前橋市

・永福寺 天台宗 群馬県前橋市朝倉町46-1平安時代初めの弘仁年間(810-824)に法相宗の徳一和尚の開基。その後南北朝時代の応安3年(1370)に天台宗となる。江戸時代の天保15年(1844)4月7日夜八つ時に客殿常香盤より出火。客殿、庫裏、十王堂、表門、土蔵、長屋など全山を焼失したが、本尊と朱印状は焼失を免れて現存している。(リンク先より) << 戻る
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持福寺-徳島県吉野川市

・持福寺 真言宗御室派 徳島県吉野川市鴨島町飯尾623名西郡神山町上河内に弘仁年間、弘法大師の御手により阿弥陀如来を本尊とする、山岳寺院として建立されました。延徳三年、寺院は火災のために焼失し、当地徳島県吉野川市鴨島町飯尾に移住し、慶長年間、中興開山晴雲上人を経て、再興いたしました。(リンク先より)※弘仁年間 810年から824年 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

真言宗の開宗

弘仁元(810)年、空海上人は嵯峨天皇から書を奉り、「真言宗」という宗旨を開く許しを得ました。<< 戻る
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香積寺-愛媛県東温市

・香積寺 高野山真言宗 愛媛県東温市田窪1504瑠璃山 医王院 香積寺です。また、通称隻手薬師(かたでやくし)と呼ばれています。香積寺は、大同四年に弘法大師様によって創建されました。(リンク先より)※大同四年 809年 << 戻る
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菩薩寺-新潟県佐渡市

・菩薩寺 真言宗智山派 新潟県佐渡市新穂田野沢383田野沢地区に大同四年開基の菩薩寺と天福元年開基の圓蔵坊があったが、明治十一年合併となる。大正年間、本堂・庫裡とも火災に遭い全焼となり復興する。平成二十年檀家の厚い御寄附により本堂の増築・客間の新築を行った後、境内の造園にもとりかかり、現代に到っている。(リンク先より)※大同四年 809年 << 戻る
年表

空海上人、高雄山寺に入る

大同4(809)年、空海上人は上京の勅宣(ちょくせん)により和気氏の私寺であった京都高雄山寺(たかおさんじ、後の神護寺))に入りました。<< 戻る
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冷泉寺-滋賀県近江八幡市

・冷泉寺 曹洞宗 滋賀県近江八幡市千僧供町252大同三年(八〇八年)行基菩薩開創の七堂伽藍を備えた巨刹「蔓陀羅坊」(千僧供廃寺)遺跡を継承由来する。御本尊十一面千手観世音菩薩立像をはじめ、 薬師如来坐像、地蔵菩薩像、多聞・持国・増長・広目の四天王立像の七体は平安時代の仏像で 国の重要文化財に指定され、(昭和二十六年)この蔓陀羅坊の尊像であったものである。(リンク先より) << 戻る
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塩澤寺-山梨県甲府市

・塩澤寺 真言宗智山派 山梨県甲府市湯村3-17-2大同三(八〇八)年、真言宗の祖、弘法大師(空海上人)衆生救済のため諸国行脚されたおり、当地にて厄除地蔵大菩薩の霊験感ぜられて、大師自ら、六寸(二十センチ)あまりの座像を彫刻され、その尊像をご開眼されたのが、当山の始まり(開創)です。(リンク先より) << 戻る
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明源寺-三重県いなべ市

・明源寺 浄土真宗本願寺派 三重県いなべ市東禅寺562平城天皇の大同3年(808年)、比叡山・延暦寺を建立され、天台宗の開祖である伝教大師・最澄法師が、仏法を広げられるため、当地に御逗留となり、薬師如来を本尊とし観音菩薩を脇侍として、一寺を建立され、足下山(たしたさん)円頓院(えんどんいん)東禅寺と名付けられました。明源寺の根本資料である『明源寺由緒書』によれば、東禅寺の規模は、七堂伽藍を完備した寺院で有ったとあります。(リンク先より) << 戻る
人物

天皇道悟(てんのうどうご)

中国唐の時代の禅僧。婺州東陽県の出身。石頭希遷無際大師に就いて嗣法。弟子には龍潭崇信、慧真、文賁がいる。荊州当陽紫荊山ならびに荊州城東の天皇寺の住持を勤める。生誕 天宝7載(748年)命日 元和2年4月30日(807年6月9日)<< 戻る
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修禅寺-静岡県伊豆市

・修禅寺 曹洞宗 静岡県伊豆市修善寺964大同2年(807年)、弘法大師に依って開創され、その後約470年間は真言宗として栄えました。鎌倉時代になり、中国から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が入山して臨済宗に改宗。臨済時代は二百数十年間続きました。(リンク先より) << 戻る
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宗安寺-高知県高知市

・宗安寺 臨済宗妙心寺派 高知県高知市宗安寺598当寺由緒に、昔鏡川上流領家郷の横矢から洪水に流された不動尊が、現住地の大藤に掛かり安置された、との伝承から川上不動の名があります。開基は古く平安時代とされ大同二年(807年)と比定されています。(リンク先より) << 戻る
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観自在寺-愛媛県南宇和郡

・観自在寺 真言宗大覚寺派 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1・39番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第40番札所 平城山 薬師院 観自在寺 ⇒ 41番札所大同2年(807)、弘法大師が人皇五十一代平城天皇の勅願に奉じてこの地を訪れ、本尊薬師如来、脇仏阿弥陀如来、十一面観音の三体の尊像を自作なさり、堂宇に安置し、開基されました。(リンク先より) << 戻る
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円通寺-福島県いわき市

・円通寺 真言宗豊山派 福島県郡山市田村町守山字滑津39この寺は、真言宗に属し平安時代に開宗した弘法大師空海上人の教えのもと大同二年(807年)初代住職徳一上人によって開創となり永享十二年2月、(1440年)宥徳上人の代に再興開山(リンク先より) << 戻る
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清水寺-岩手県花巻市

・清水寺 天台寺門宗 岩手県花巻市太田21-10当寺は、大同2年(807年)に征夷大将軍坂上田村麻呂公の勧請により創建されたと伝えられ、古くからその名を知られた古刹で,日本三清水の一つとも言われています。奥州三十三所観音霊場の一つであり、また、当国三十三所観音霊場(南部藩の和賀、稗貫、紫波三郡)の第一番札所でもあります。(リンク先より) << 戻る
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医王寺-福島県いわき市

・医王寺 曹洞宗 福島県いわき市平上荒川字五郎内157見瀧山医王寺は、大同二年(807)東国に下向した徳一大師によって開山されたと伝えられている。その頃の寺名は、天津山蔵勝寺、又は阿命寺といわれ、現存する三十五菩薩・如来像図に墨書されてある。(リンク先より) << 戻る