便り 蔵興寺-静岡県浜松市南区 ・蔵興寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区新橋町1325-1山号を金剛山・寺号を密厳蔵寺と称し真言宗にして当時隆盛を極めたが、その後幾多の盛衰を経て後小松天皇の御代、応永三年(1396)記室禅師が入寺して臨済宗に転ずる。遠州、奥山、大本山方広寺派に属し山号を宝的山、寺号を蔵興寺と改称し、大通院塔頭、竜珠菴と合併し今日に至る.(通称、虚空蔵寺)(リンク先より) << 戻る 1396.01.01 便り年表
便り 昌運寺-京都府向日市 ・昌運寺 西山浄土宗 京都府向日市物集女町中条38当山は、応永3(1396)年、室町時代に中山道嘉和尚によって開山された西山浄土宗(本山:長岡京市 総本山 光明寺)末の寺院です。御本尊は阿弥陀如来ですが、脇佛に地蔵菩薩が安置されております。(リンク先より) << 戻る 1396.01.01 便り年表
便り 大通寺-岡山県高梁市 ・大通寺 臨済宗佛通寺派 岡山県高梁市備中町布瀬10711395(應永2年)開山 開祖 第一代 千畝周竹和尚臨済宗大本山天竜寺派渓林山大通寺 明治末期に臨済宗大本山佛通寺派(三原市)に属し現在に至(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 専称寺-福島県いわき市 ・専称寺 浄土宗 福島県いわき市平山崎字梅福山5梅福山・報恩院 専称寺。本尊は阿弥陀如来像。およそ600年前の応永2年(1395年)の開山。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 報恩寺-千葉県野田市 ・野田厄除大師大師山報恩寺 真言宗豊山派 千葉県野田市中野台651-1報恩寺は応永二年(1395)宥譽上人の開創と伝えられておりますが、下寺であった堤台地蔵尊の本尊の台座にその年代が彫られていることがその根拠となっております。もともと野田市堤台にあって堤台八幡神社の別当として、江戸時代には末寺二十四ヶ寺を有する本寺として、徳川幕府より御朱印状五石を拝領しておりました。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 龍眼寺-東京都江東区 – 萩寺 ・龍眼寺 通称萩寺 天台宗 東京都江東区亀戸3-34-2龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 青苔寺-山梨県上野原市 ・青苔寺 臨済宗南禅寺派 山梨県上野原市上野原鶴島611青苔寺は山号を飯盛山とする臨済宗南禅寺派の禅宗のお寺です。鎮守は青苔寺の上に位置する神明社の神明大明神としています。応永2年(1395)今から約600年前に敕謚法光圓融禅師(峻翁令山)に拠って開創されました。開基は小俣家とされています。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 圓通院-宮城県大崎市 ・圓通院 曹洞宗 宮城県大崎市三本木新沼字二又145-1当通龍山圓通院は第百代後小松天皇代の応永元年(一三九四年)上州(群馬県)白井村の最大山雙林寺三世曇英慧応大和尚によって開山された通幻派最乗寺系の寺院であり、御本尊は聖観世音菩薩であります。かつては鳴瀬川北岸に境内面積約二千坪を有する大伽藍でしたが、大正二年の鳴瀬川流域の大洪水の為、大正四年五月に現在地に移転し今に至るものであります。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 圓福寺-秋田県潟上市 ・圓福寺 臨済宗妙心寺派 秋田県潟上市昭和大久保槐川端22-1寺伝によれば、応永年中(1394-1427)、現在の阿弥陀堂地区の肝煎伊兵衛により阿弥陀如来の金銅仏を土中から発掘し、草庵を建て安置したのが開創の端緒である。文禄年中(1592-95)大久保村に移転、壽峰宗寿和尚を開山として、祿壽山圓福寺と称した。 本尊仏は華厳釈迦三尊佛 (釈迦、文殊、普賢)で、藤原成長作と伝えられている。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 常保寺-東京都青梅市 ・瀑布山常保寺 臨済宗建長寺派 東京都青梅市滝ノ上町1316当寺は、昭和39年発行の「稿本青梅市史第6集」によると、応永年間(室町時代・西暦1394年)天ケ瀬町の真言宗金剛寺の第2世により創建されましたが、西暦1400年代頃になり、山梨県の塩山恵林寺より吹峰宗陰禅師が赴き臨済宗に転宗となりました。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 本誓寺-岡山県新見市 ・本誓寺 臨済宗永源寺派 岡山県新見市大佐田治部3952当寺に記録はないが、大佐町史記載の本誓寺遠起によると開基応永年間(1394年~1428年)で「開基東郷左金吾・神応道安大居士」開山重雲大和尚となっている。その場所は、現在の新見市大佐田治部3885番地の1で、虎勢山裏山東方向に位置し、現在寺屋敷跡地は寺所有の山林となっています。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 浄珠院-愛知県岡崎市 ・浄珠院 浄土宗西山深草派 愛知県岡崎市上和田町字北屋敷55上和田浄珠院の濫觴は、人皇第三十一代用明天皇の遺勅により造立された、上宮太子(聖徳太子)直作の孝養像を安置し、慈覚大師(天台中興の祖、円仁)が人皇五十四代仁明天皇承和年中(834~848)に創建された道場で、清光山大海寺と号す。その後、星霜相遷り、堂宇廃絶せしを、応永年中(1394~1428)、開山教然良頓上人(松平二代泰親の長男)京都円福寺の会下より故郷に帰り、仏殿を造立し、元の天台を浄土と改宗して、浄珠院と号した。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 海蔵寺-広島県広島市西区 ・海蔵寺 曹洞宗 広島県広島市西区田方1-1-13応永年間(1394~1427年)中国の僧慈眼禅師が創建し、永正元年(1504年)曹洞宗に改宗したと言われている。ご本尊は十一面観音で応永時代の創建当時にお迎えしたらしく、仏師集団である印派(いんぱ)に属する仏師により造像されたと思われる。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 龍護寺-石川県羽咋郡 ・龍護寺 曹洞宗 石川県羽咋郡志賀町酒見門前67応永元年(1394)に開かれたお寺で總持寺五院の如意庵開基、実峰良秀禅師によって開かれました。開創にまつまる竜の伝説が残されていて、伝説に基づく湧き水「龍護水」が今でも境内裏の谷からこんこんと湧き出しています。古くより竜宮に通ずる霊場と云われ、ここからついた「りゅうぐうでら」と「りゅうごじ」が訛って、地元の人には「りゅうぐじ」と呼ばれています。<< 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 興正寺-茨城県常総市 ・興正寺 時宗 茨城県常総市本石下172後小松天皇の御代、南北朝合一の成った、明徳四年八月(西暦一三九三)臨済宗として、平田慈均禅師によって開かれた。後土御門天皇の御代、応仁の乱後、文明二年(一四七〇)五霞村六国山東昌寺開山、即庵宗覚禅師の弟子、能山寿聚芸禅師を迎い、曹洞宗に改め、能山を開山第一世とし現在に及んでいる。慶安元年八月(一六四八)徳川家光公の帰依するところ厚く、御朱印地三〇石を賜り、寺門興隆の資に充てられた。(リンク先より) << 戻る 1393.08.01 便り年表
便り 心光院-東京都港区 心光院 浄土宗 東京都港区東麻布1-1-5明徳4年(1393)、江戸の「貝塚」(現在の千代田区麹町付近)の地に酉誉聖聰上人が増上寺を開山し、山内に学寮として庵を結んだことからと伝わります。 慶長3年(1598)、増上寺は徳川家の菩提寺に定められ、現在地である芝への移転に心光院も随行しました。将軍の霊廟や子院学寮をいただく芝増上寺は、浄土宗の東国の要として発展します。やがて心光院は、元禄8年(1695)、徳川二代将軍秀忠公(台徳院殿)菩提のため、増上寺の別院・念仏道場となりました。(リンク先より)<< 戻る 1393.01.01 便り年表
人物 細川頼之(ほそかわよりゆき) 南北朝時代から室町時代初期にかけての守護大名、室町幕府管領。官位は従四位下、始め武蔵守、相模守。細川氏の祖義季から直系で数えて6代目に当たる。 観応の擾乱では将軍(足利尊氏)方に属し、四国に下向して阿波・讃岐・伊予などの南朝方と戦った。生誕 元徳元年(1329年)命日 元中9年/明徳3年3月2日(1392年3月25日)永泰院殿桂巌常久大居士<< 戻る 1392.03.02 人物
便り 宗鏡寺-兵庫県豊岡市 ・宗鏡寺 臨済宗大徳寺派 兵庫県豊岡市出石町東條33開基は、当時の出石城主で山名陸奥守氏清公であり、寺名は氏清公の法名「宗鏡寺殿」を以って名づけたと伝えられ、1392年に建てられました。山陰唯一の伽藍を誇っていましたが、織田信長の但馬征伐で山名家が滅び、寺もまた荒廃しました。(リンク先より) << 戻る 1392.01.01 便り年表
便り 円泉寺-東京都世田谷区 ・円泉寺 真言宗豊山派 東京都世田谷区太子堂3-30-8聖王山法明院円泉寺の草創は、遅くとも 南北朝時代 末期(~1392)のころには、太子堂ならびに小堂(円泉寺前身・円泉坊)が結ばれていたものと推察され、 文禄4年(1595)、 賢惠(けんけい)大和尚によって中興がなされました。(リンク先より) << 戻る 1392.01.01 便り年表
年表 南北朝の合一 1392年、南北朝の合一。次第に北朝・幕府側の力が強まり、南朝側の武士は少なくなり、3代将軍足利義満は南朝と講和して京都で一つの朝廷になるようにした。<< 戻る 1392.01.01 年表
仏教を本気で学ぶ 相国寺派(本山相国寺(京都))の開派 南朝 : 元中9・北朝 : 明徳3(1392)年、夢窓疎石禅師により始まる。臨済宗相国寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る 1392.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 廣見寺-埼玉県秩父市 ・秩父虹寺 廣見寺 曹洞宗 埼玉県秩父市下宮地町25-29廣見寺は、明徳2年(1391)天光良産てんこうりょうさん禅師によって開かれた、秩父地方の曹洞宗最古の寺であります。天光良産てんこうりょうさん禅師は、曹洞宗第三の本山と言われる岩手県奥州市にある正法寺しょうぼうじ二世 月泉良印げっせんりょういん禅師の弟子で、その縁によって正法寺しょうぼうじ を本寺としています。(リンク先より) << 戻る 1391.01.01 便り年表
便り 常念寺-愛知県一宮市 ・柳星山 常念寺 西山浄土宗 愛知県一宮市大江1-11-26後小松天皇の御代、明徳元年(1390年)初代将軍 足利尊氏公の甥である空遄召運上人が真清田神社へ参拝の折、光厳法皇御追福のため、浄利建立を祈願し、一百日の参籠が満ちた暁に『当地に柳樹あり、彼の地 清浄なれば 連夜三星相舎(やど)る、汝 訪ふて願望を果たせ』との霊夢がありました。上人は歓喜され、所々を探しまわると、ある柳樹に星三体降り、それを拝むと弥陀・観音・勢至の三尊が光々と示現しました。上人は、これを末世において凡愚有縁の霊佛であると礼拝し、謹んで三尊を安置し、真清田神社の鬼門にあたる現在の寺島町に堂塔を建立しました。その柳樹および... 1390.01.01 便り年表
便り 称名寺-富山県黒部市 ・含暉山称名寺 浄土真宗本願寺派 富山県黒部市荻生2711結城称名寺七代耀佛の次男、寂照が法師武者として越中に来て、明徳元年(1390)に朝日町道下に一宇を創建、布教に従事、当寺の開基となりました。その後、旧荻生地区辺(現在の一宿、青木等含む)を始め所々に道場を建て教勢を拡張していったのが、含暉山称名寺の由来であります。第5代(住職名不明)の時、信証の生まれた地名と結城の寺号から、芳賀称名寺と名のり、現在の地に建立(年代不詳、現境内にそのころの古木有り)、しかし、越後の長尾氏領内における一向宗禁令の余波により衰微の一路をたどります。(リンク先より) << 戻る 1390.01.01 便り年表
便り 崇福寺-岐阜県岐阜市 ・崇福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市長良福光2403-1太白真玄の『峨眉鴉臭集』の一文により、明徳元年(1390)春に、壇越土岐満康が 太清宗渭たいしんそうい (京都・相国寺 塔頭たっちゅう 雲頂院開祖)の直弟、 竜潭宗濬りゅうたんそうえい を住持に詔請した。しかし、多忙のため、その師弟太白真玄にその地位を譲ったため、 太白真玄が赴任し開山となり、大寿山崇福寺が整備されていったことがわかる。(リンク先より) << 戻る 1390.01.01 便り年表
便り 地蔵院-静岡県浜松市南区 ・地蔵院 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区高塚町4516護法山 地蔵院(臨済宗方広寺派大通末)は明徳元年(1390)に元道円密和尚により創建されました。元道円密和尚は、後醍醐天皇の子 宗良親王と共に遠州に入った公家出身の武士であり、親王が元中二年(1385)に亡くなると出家して当地高塚に庵を結んだとされています。(リンク先より) << 戻る 1390.01.01 便り年表
便り 称讃寺-奈良県橿原市 ・称讃寺 浄土真宗本願寺派 奈良県橿原市和田町15-25当寺は南北朝時代の終期・明徳元年(1390年)に惣道場として建立されました。 以来、地域のご門徒方と共にお念仏の声を現在まで受け継いで参りました。(リンク先より) << 戻る 1390.01.01 便り年表
便り 法蔵寺-栃木県日光市 ・法蔵寺 浄土宗 栃木県日光市大桑町270法蔵寺は、正式には「真命山 心光院 法蔵寺」といいます。宗旨は浄土宗です。開創は、康応元年(1389年)10月です。日本国を二分した南北朝の戦いの折、南朝方に味方して敗れた「新田義貞公」の孫(義宗の子)良徳という方が、一族の菩提を弔うために仏門に帰依し僧侶となり、はるかに下向して下野国倉ヶ崎村(現在の日光市倉ヶ崎)に寺院「心光院」を建立したのが始まりと伝えられます。(リンク先より) << 戻る 1389.10.01 便り年表
人物 善如(ぜんにょ) 南北朝時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第4世宗主・真宗大谷派第4代門首。大谷本願寺住職。諱は俊玄。法印権大僧都。父は従覚(第3世覚如の次男)。第5世綽如は子。生誕 正慶2年2月2日(1333年2月24日)命日 康応元年2月29日(1389年4月4日)<< 戻る 1389.02.28 人物年表
人物 義堂周信(ぎどうしゅうしん) 義堂周信とは、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧侶です。「義堂」は道号、「周信」は法名であり、別に「空華道人」とも号します。著作に『義堂和尚語録』『空華集』『空華日用工夫略集』など多数あります。高知県高岡郡の生まれで、1338年(14歳)、剃髪し、はじめ台密を学びます、後に禅宗に改宗し上京し夢窓疎石の門弟となり、このとき「周信」と安名されました。1359年(延文4年)に幕府が関東地方の統治のために設置した鎌倉公方の足利基氏に招かれて鎌倉へ下向し、1380年(康暦2年)まで滞在しました。基氏や関東管領の上杉氏などに禅宗を教え、基氏の没後に幼くして鎌倉公方となった足利氏満の教育係も務めました。この... 1388.04.04 人物仏教を本気で学ぶ年表