buddhism

仏教を学ぶ

倶利伽羅不動寺-石川県河北郡

・倶利伽羅不動寺 高野山真言宗 石川県河北郡津幡町倶利伽羅リ-2倶利迦羅山不動寺は、今から約1,300年前の養老二年(718)、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿を彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まりと伝えられています。それから約100年後の弘仁三年(812)に、弘法大師が諸国を巡る途中で、不動明王を拝され、あまりの有難さに扉を閉められ、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として奉安されました。この時、別当山として長楽寺が開山されたといわれています。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

養老律令

718年、藤原不比等らが「養老律令」をつくる。<< 戻る
仏教を学ぶ

願慶寺-石川県白山市

・願慶寺 単立(東本願寺浄土真宗) 石川県白山市吉野タ25-1伝承によれば当寺の草創は極めて古く、養老年間、僧泰澄が白山を開く時に、当寺に立ち寄って一夜の宿としたという。また、古老の語る民話では、『昔吉野の地には大きな沼があり、そこに一匹の龍が住んで、絶えず雨を降らせ、村民は田畑を作ることができずに困っていたという。ある時、たまたまこの地を訪れた高僧(泰澄か?)が泊めてもらった家でこの話を聞き、一晩の恩義に報いるため、三日三晩の祈祷の末、この龍を退治し、白蛇に姿を変えて、小さな祠の中に閉じ込めたという。(リンク先より)※養老年間 717年から724年 << 戻る
仏教を学ぶ

那谷寺-石川県小松市

・那谷寺 高野山真言宗 石川県小松市那谷町ユ-122養老元年(717年)に泰澄が那谷寺を創建したと伝えられています。ここでは那谷寺の歴史に関わった人を紹介します。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

福通寺-福井県丹生郡

・福通寺 真言宗東寺派 福井県丹生郡越前町朝日7-61奈良時代の養老元年(西暦717年)、越の大徳(こしのだいとこ=越前のえらいお坊さん)泰澄大師により開かれたお寺です。言い伝えによれば、泰澄大師がこのあたりを巡錫(仏の教えを広め人々を救う修行をすること)していたところ、山に妖しい雲がただよい、ただならぬ気配が村をつつんでいるのに気がつかれました。村人にその理由を聞けば、この山に魔神が棲み、人々を苦しめているとのこと。人々は泰澄大師に魔神のたたりを鎮めてくれるように哀願しました。泰澄大師はその願いを聞きいれ、魔障うずまく山中に籠り、衆生済度(人々を救う)の仏である観音菩薩に祈りを捧げました。一...
仏教を学ぶ

平泉寺-福井県勝山市

・平泉寺 天台宗 福井県勝山市平泉寺町平泉寺66-2白山信仰の越前での拠点として、養老元年(717)に泰澄によって開かれたと言われているのが白山平泉寺です。一帯は、最盛期の戦国時代には8000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時の日本では最大規模の宗教都市となり繁栄します。しかし、天正2年(1574)に越前一向一揆勢に攻められ、全山焼失しました。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

大福寺-千葉県館山市

・大福寺 真言宗智山派 千葉県館山市船形835この観音堂の本尊は、十一面観世音菩薩で船形山の崖の中腹にある祠に刻まれています。この本尊は、養老元年(717年)に行基(668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。その後、慈覚大師(794~863年)が当地に来錫した折に堂宇が創建されたと言われています。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

大興善寺-佐賀県三養基郡

・大興善寺 天台宗 佐賀県三養基郡基山町大字園部3628奈良時代養老元年。高僧「行基菩薩」がこの地で草庵を結び、十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されております。(リンク先より)※養老元年 717年 << 戻る
仏教を学ぶ

大山寺-鳥取県西伯郡

・大山寺 天台宗 鳥取県西伯郡大山町大山9大山寺は、奈良時代養老年間(約一,三〇〇年前)金蓮上人に依って開山されました。 昭和の三年四度の火災に見舞われた本堂は昭和二十六年に再建されました。現在も尚、山内寺院十ヶ院、重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を初め、宝物類も数多く残され、実に山陰の名刹として、天台でいういわゆる鎮護国家の霊場として更に、中国地方一円の人々から御先祖様に会える寺として崇敬を集めています。(リンク先より)※養老年間 717年から724年<< 戻る
仏教を学ぶ

義淵の弟子玄昉が入唐

717年(養老元年) 入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も、ともに濮陽の智周に師事して法相宗を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝または北伝と言われる。<< 戻る
仏教を学ぶ

善興寺-富山県高岡市

・善興寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市中田4500-1善興寺は、もともと後亟(ごぜ:小矢部市)に在りました。現在もその旧地には石碑が建っています。善興寺に伝わる古文書には、開基について「飛鳥法興寺七世慧乗禅師によって建立」された、と記されています。飛鳥朝の欽明天皇13年(552)に仏教は百済より伝えられました。仏像を天皇より賜った蘇我氏の菩提寺、法興寺の第7世慧乗法師が、諸国を巡錫するなかで越中国を訪れ、石動山の麓に勝地を選んで一宇を建立したことが始まりとされます。霊亀2年(716)のことです。のちに天台宗の勅願所として「飛鳥山善興寺」の号を賜り、石動山の三分一を功徳田としました。(リンク先...
仏教を学ぶ

岩屋寺-愛知県知多郡

・岩屋寺 尾張高野山 愛知県知多郡南知多町大字山海字間草109草壁皇子と元明天皇【阿閇皇女(あへのひめひこ)】の娘である元正天皇が即位された霊亀元年(715)に勅使として押小路中納言実直卿が都より派遣され、 後に東大寺建立に尽力され日本で最初に大僧正になられた行基菩薩が導師となり聖観音の開眼供養が行われたのが始まりと伝わっています。 創建当時は堂塔伽藍十二ヶ坊、大門、楼門、多宝塔が建立され荘厳であったとの記録が残っています。(リンク先より) << 戻る
人物

大鑑慧能(たいかんえのう)

中国唐の時代。范陽郡涿県(河北省保定市涿州市)出身。中国禅宗の六祖(南宗)。大満弘忍に就いて嗣法。弟子には青原行思、南嶽懐譲、南陽慧忠、荷沢神会、永嘉玄覚、司空本浄がいる。諡は大鑒真空普覚圓明禅師。曹渓大師。大鑑慧能。六祖慧能。曹渓山宝林寺。師の大満弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めると言い、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書くが、その詩を弘忍は認めない。それを聞いた慧能は、神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたことで六祖になったといわれている。・神秀の詩身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有...
人物

義浄(ぎじょう)

義浄は、唐(中国)の僧侶。671年、広州から海路でインドにおもむき、695年に約400部の仏教経典をもって海路で帰国しました。その翻訳のほか、旅行記『南海寄帰内法伝(なんかいききないほうでん)』と、インド求法僧(ぐほうそう)の伝記『大唐西域求法高僧伝(だいとうせいいきぐほうこうそうでん)』をのこしました。生誕 635年(貞観9年)命日 713年2月16日(先天2年1月17日)<< 戻る
仏教を学ぶ

国ごとに「風土記」の編さんを命じる

713年、国ごとに「風土記」の編さんを命じる(日本最古の地理書)。<< 戻る
仏教を学ぶ

本明寺

国道175号を東勅使で右折し、少し行った所に佇む古刹である。道路から少し入っただけで、道路の騒音が途絶される静かな雰囲気の寺である。ここは浄土真宗本願寺派に属し、「古事記」が完成した和銅5年(712)に開祖された由緒ある寺院である。本堂正面の向拝を見上げる。梁間はそれほど広いものではないが、竜の彫り物がしつらえられている。左前方を威嚇するように睨んでいる。どういうわけか目が白く、銅線の髭が纏わりついている。口を大きく開け、舌を立てている。何といっても狭い空間からはみ出す、“いらか”の迫力が素晴らしい。宝珠を右爪でしっかり握っている。木鼻には、鑿の切れ味鋭い大きな造りの唐獅子と獏がいる。手挟みの...
仏教を学ぶ

古事記ができる

712年、古事記ができる。稗田阿礼、太安万侶らによる日本最古の歴史書。<< 戻る
仏教を学ぶ

蓮光院-新潟県柏崎市

・蓮光院 真言宗豊山派 新潟県柏崎市米山町2260寺伝によれば、和銅四年(711) 越前の修験行者・泰澄の開山と伝えています。泰澄は米山伝説に登場する人物で、日本海を通る北前船に米の托鉢を乞うたところ拒否されたため、神通力をもって米山山頂に米を飛来させた、という行者でした。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

宝蔵寺-愛媛県喜多郡

・宝蔵寺 曹洞宗 愛媛県喜多郡内子町中川773-1当寺由来記によると、和銅4年(711年)天明天皇の勅願により、大和国東大寺の智乗上人によって開基されたと伝えられている。その後、兵火、失火等により長年に渡り無住職時代があった。天保13年(1842年)祥岩和尚(大洲家老二男)の時、豁源和尚を開山とし、京都東福寺の直末を許可され、臨済宗誓願寺となった。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

福石観音清岩寺-長崎県佐世保市

・福石観音清岩寺 真言宗智山派 長崎県佐世保市福石町24-5元明天皇の和銅三年(西暦710年)名僧行基(ぎょうき)が諸国行脚の途中、福石山の霊境を訪ねて嘆賞し、しばしの間草庵を結んだと伝わっております。この時たまたま東乃浦の海に霊光を放つ仏木を発見して、これで三体の仏像を刻んだとのことです。世に言う、行基一刀三霊の作で、その中の「十一面観世音菩薩像」をここの岩窟に安置しました。これが福石観音の始まりで、ご本尊を安置してある内殿を、行基岩と呼んでおります。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

興福寺に改称

和銅3年(710年)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。<< 戻る
仏教を学ぶ

平城京遷都

710年、平城京に都を遷す。元明天皇が唐の長安(今のシーアン)にならい、現在の奈良市の西に平城京をつくる。<< 戻る
仏教を学ぶ

国上寺-新潟県燕市

・国上寺 真言宗豊山派 新潟県燕市国上1407新潟県燕市国上に位置します当山は、元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された、越後最古の古刹です。 格式としては、孝謙天皇より御宇にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のより所とされてきました。御本尊は上品上生の阿弥陀如来であり、縁起等によれば、行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられ、現在は、子年(12年に1度)の開帳としています。(リンク先より)<< 戻る
仏教を学ぶ

萬福寺-岡山県津山市

・萬福寺 高野山真言宗 岡山県津山市東田辺1596和銅元年(西暦708年)、正月十三日、黒沢山の檜の梢に虚空蔵様が来臨された。その霊瑞に居合わせた、惣薪太夫という猟師(のちに僧となる)によって堂が結ばれたのが萬福寺の始まりとされている。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

善水寺-滋賀県湖南市

・善水寺 天台宗 滋賀県湖南市岩根3518奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号した。霊水を桓武天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒された。この縁に依って岩根山善水寺の寺号を賜わったという。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

松尾寺-京都府舞鶴市

・松尾寺 真言宗醍醐派 京都府舞鶴市松尾532・第二十八番 ⇒ 西国三十三所 第二十九番 青葉山 松尾寺 ​⇒ 第三十番慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(七〇八年)と伝えられる。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

若松寺-山形県天童市

・若松寺 天台宗 山形県天童市大字山元2205-1「鈴立山若松寺」は今から約1300年前、奈良時代の和銅元年(西暦708年)に行基菩薩が開山した霊場です。 その後、平安時代の貞観二年(同860年)山寺の立石寺を開山された慈覚大師(円仁和尚)が当山の山頂付近にあった御堂を現在の地に移し、 造営工事をし大規模な伽藍配置をしました。 この時期に奈良仏教の法相宗から平安仏教の天台宗となり、開山が行基菩薩、中興の祖が慈覚大師として祀られています。(リンク先より)<< 戻る
仏教を学ぶ

和同開珎がつくられる

708年、和同開珎がつくられる。<< 戻る
仏教を学ぶ

蓮華寺-兵庫県豊岡市

・蓮華寺 高野山真言宗 兵庫県豊岡市竹野町轟366蓮華寺は但馬西国の札所として幽すい静寂なる山のたたずまいは、その形ち蓮の花に似たるより山号を八葉の峰山と称し、奈良時代(慶雲四年)の開創にして四明光賀律師、中興の祖となりて堂塔を整え、更に鎌倉時代東密教学大成の学匠杲宝(ごうほう)僧正京都東寺より来たりて山内に七堂伽藍塔頭八坊を整備(リンク先より)※慶雲四年 707年 << 戻る
人物

大通神秀(だいつうじんしゅう)

中国唐の時代。汴州尉氏県(河南省開封市尉氏県)出身。中国禅宗の六祖で北宗としては開祖。大医道信に就いて嗣法。弟子には普寂がいる。諡は大通禅師。彼の禅法は段階的に悟りを進める「漸悟」であり、弟弟子の六祖慧能の直下に悟りに至る「頓悟」思想と対極を為した。・「神秀は帝師なり。簾前に講法す、箔前に説法す。しかのみにあらず、七百高僧の上座なり。黄梅のむかし、盧行者あること、信ずべし。樵夫より行者にうつる、搬柴をのがるとも、なほ碓米を職とす。卑賤の身、うらむべしといへども、出俗越僧、得法伝衣、かつていまだむかしもきかざるところ、西天にもなし、ひとり東地にのこれる希代の高躅なり。」(「正法眼蔵」仏経)生誕 ...
仏教を学ぶ

医座寺-愛媛県松山市

・医座寺 天台宗 愛媛県松山市東大栗町甲656当山は、慶雲三年(706)奈良の大仏建立に尽力された、行基菩薩によって開基されました。天長六年(829)伊予の国風早〈北条〉出身の高僧、別当大師光定(べっとうだいしこうじょう〉によって天台宗に帰属。法灯連綿1300年の歴史を護り、現在は、伊予十二薬師第二番札所として、広く人々に親しまれております。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

大徳寺-富山県魚津市

・慈興院大徳寺 真宗大谷派 富山県魚津市持光寺定籍706年(慶雲3年) 大徳寺の建立 文武天皇の勅願所として建立される。1330年(元徳2年) 浄土真宗寺院へ およそ1330年頃、本願寺3代目覚如上人の引導により天台宗を改め浄土真宗の寺院となる(リンク先より) << 戻る