buddhism

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光太寺-栃木県鹿沼市

・光太寺 曹洞宗 栃木県鹿沼市西鹿沼町81【創建】天正元年(1573年)【開山】準室統均大和尚【沿革】一指燈和尚は北押原村字村井の岡坪(現鹿沼市村井町)に一庵を建て、準室燈均大和尚を請して開山とす。文禄元年(1592年)3月17日現地に移転す。(リンク先より) << 戻る
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満福寺-東京都国分寺市

・満福寺トップページ 臨済宗建長寺派 東京都国分寺市戸倉4-34-3満福寺は、元、東京都西多摩郡桧原村一等地吉祥寺の開山で、臨済禅師十八世の法孫である古先印元和尚(勅謚正宗広智禅師)五世の法孫秋波江和尚が開基となり、天正二年(1573年)永岳全嘉禅師を開山として、吉祥寺の隠居寺として桧原村に開創した寺であるが、五世中興開山無印宗達和尚の時になって、現在の地(国分寺市戸倉)に引寺して今日に及んでいるものである。従って吉祥寺の末寺に属している。(リンク先より) << 戻る
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良珊寺-群馬県渋川市

・良珊寺 曹洞宗 群馬県渋川市上郷2919如意山良珊寺の開創は天正年間(1573-1592)のことと伝えられている。貞享5年(1688)の「除地の覚」によれば、その発祥は、白井城主長尾昌賢の家来の佐鳥全徳(橋山全徳庵主、-1568、永禄11)が弘治3年(1557)11月24日に没した妻(繁慶嶺昌大姉)のために建立した伴松庵であるという。(リンク先より) << 戻る
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満行寺-山口県萩市

・満行寺 浄土真宗本願寺派 山口県萩市平安古町東区3-268上殿という古い寺のあった地を毛利輝元から下され、天正年間(1573~91)に一宇を建立した。自身の諱をもって寺号とし、土地の名を山号{後年、現在の山号(浄殿)に改める}とした。毛利輝元が広島へ移ったので寺を嫡子祐善に譲り、次男玄徳と共に広島へ移り小庵(現在、広島市東白島町万行寺)を結んだ。防長移封のとき祐伝・祐善は萩に移り、慶長十年(1605)今の地に建立したのが萩満行寺の始まりである。(リンク先より) << 戻る
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見性院-埼玉県熊谷市

・みんなのお寺見性院 曹洞宗 埼玉県熊谷市万吉797見性院は天正年間(1573~92)に開創した、曹洞宗の寺院でございます。緑豊かな熊谷市郊外の地、万吉(まげち)に在する当院境内では、春には梅や桜が咲き、夏は緑で溢れ、秋には銀杏が色づくといった溢れる自然があります。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-新潟県糸魚川市

・光徳寺 真宗大谷派 新潟県糸魚川市大字青海2761光徳寺開祖釈祐玄師は、天正 (1573~1592年) 年中、越中砺波郡水島村 (えっちゅうとなみぐんみずしまむら) (現在の富山県西部) より青海真砂に一旦 足をとどめ、門信徒を慕って、現在の大沢の地に移住しました。これが “青澤山光徳寺” の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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円道寺-愛知県名古屋市緑区

・円道寺 曹洞宗 愛知県名古屋市緑区鳴海町字根古屋18今から約400年前の天正年間(1573〜1592)に、瑞泉寺(ずいせんじ・名古屋市緑区相原町)第11世「仁甫良義(にんぽりょうぎ)和尚」によって「猿堂寺」という名で開かれました(江戸期の書物「尾張志」では円道寺となっています)。天正年間とは、織田信長が勢力を増すころから、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げるまでの時代です。円道寺のある場所は、鳴海砦(鳴海城)の端になります。この砦は、桶狭間の合戦後、廃城となったので、その一画にお寺を造ることになったとも考えられます。(リンク先より) << 戻る
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正徳寺-兵庫県明石市

・正徳寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県明石市大観町12-5寺伝によると、当山は室町幕府が滅亡した天正元年(1573年)、に創建されたとある。開基空圓法師については、二階堂出羽守入道三代の嫡流であったとも伝えられている。宮本武蔵が町割りをしたとされる(*2)明石城下の町屋の中心に堂宇を構え。寛永18年(1641年)に焼失するも後に再建。(リンク先より) << 戻る
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瑞岩寺-埼玉県所沢市

曹洞宗寺院の瑞岩寺は、祥雲山と号します。瑞岩寺の創建年代等は不詳ながら、室町時代の初期に山口氏の菩提寺として創建されたと伝えられ、照室(天正元年1573年寂)が開山したといいます。狭山三十三観音霊場6番です。(リンク先より)・瑞岩寺-埼玉県所沢市
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定秀寺-愛媛県松山市

・定秀寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県松山市神田町4-26定秀寺は、河野通定と河野通秀が、天正元年(1573年)に旧北条市、中西の地の「蓮華室」と名付けられた屋敷において、お念仏の「み教え」を風早の人々に教化することから始まったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-千葉県館山市

・西光寺トップページ 曹洞宗 千葉県館山市正木1930西光寺は里見氏第九代里見義康公より寄進を受けた十一面観音菩薩を御本尊として里見氏菩提を弔う寺として天正年間に創建されたお寺です。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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實相寺-香川県高松市

・實相寺 臨済宗妙心寺派 香川県高松市三谷町1811-1ご本尊は聖観世音菩薩をお祀りしています。創建は不明で、かつては天台宗で香川郡浅野村にありましたが、16世紀後半の天正年間に戦火にて焼失。その後、17世紀前半の寛永年間に讃岐十八万石四代藩主、生駒高俊公によって高松三番丁に移転再興され、浄土宗に改宗、寺号を法昌寺と改めたようです。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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善勝寺-埼玉県鴻巣市

・善勝寺 臨済宗妙心寺派 埼玉県鴻巣市境147善勝寺は山号を東光山と称し、天正年間(1573~1592)豊臣秀吉の時代に創建された禅寺で、開山は清庵祖銀禅師(~1595)です。臨済宗妙心寺派に属し、本山は京都花園妙心寺です。お釈迦様の正法を相承(うけつ)がれた初祖達磨大師、宗祖臨済禅師、さらに妙心開山無相大師に及ぶ一流の禅を宗旨および教義とします。(リンク先より) << 戻る
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善教寺-山口県岩国市

・善教寺 浄土真宗本願寺派 山口県岩国市錦町広瀬6682天正年間に平原に建立。寛永の大火により類焼し、現在の地に再建。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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浄国寺-広島県広島市中区

・浄国寺 浄土宗 広島県広島市中区土橋町2-4浄国寺は山号を無衰山、院号を古今院といい、善導大師の晨朝礼讃(じんちょうらいさん)の「浄国無衰変、一立古今然」から採られています。開山は真蓮社短誉文慶大和尚で、天正年間に高田郡吉田村に一寺を建て浄国寺と称していましたが(吉田町)慶長年間福島正則公のすすめにより広島に移住し、現在地を賜り浄国寺を建立し、山号・院号・寺名ともに吉田時代のものを踏襲したといわれています。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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明行寺-長野県長野市

・観勝山 明行寺 真宗大谷派 長野県長野市鶴賀腰巻2382長野市権堂町 開基 天正元年(1573年)(リンク先より) << 戻る
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凉善寺-鳥取県米子市

・凉善寺 浄土宗 鳥取県米子市岩倉町99珠慶山凉善寺は天正年間(1573~1593年)、城山に創建されました。その後1600年(慶長5年)に米子城初代城主中村伯耆守一忠の入国により、その妻の大賓院珠慶夫人が開基となり現在の岩倉町に1602年頃当寺を建立されました。(リンク先より) << 戻る
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金蔵院-栃木県佐野市

・金蔵院 真言宗豊山派 栃木県佐野市越名町426安土桃山時代初期(1570年代)天正年間初期安養坊法師と須藤六右衛門正行(唐沢城佐野家々臣)の尽力により「医王山金蔵院薬師寺」として開山され、「薬師如来」をご本尊として祀りました。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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潮見寺-徳島県徳島市

・潮見寺 浄土真宗本願寺派 徳島県徳島市西二軒屋町2-31潮見寺  亦北濱西山の麓に在り興正寺に隷す初め大瓶浦に在り天正中沒て海と爲る因て福島の南岸に移す寛永中此に移すこれによると、はじめ大瓶浦にあった潮見寺は、天正年間(1573~1592年)に海に沈み、その後、現在の徳島市福島付近に移ったようです。(リンク先より) << 戻る
年表

室町幕府の滅亡。織田信長が足利義昭を追放

1573年、室町幕府の滅亡。織田信長が足利義昭を追放。<< 戻る
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廣慶寺-東京都町田市

・三輪山 廣慶寺 曹洞宗 東京都町田市三輪町1609廣慶寺は西暦1572年の安土桃山時代に、神奈川県川崎市高津区下作延の、円福寺第二世「最安慶初大和尚」さまによって開かれました。当時は現在の墓地の窪地に本堂がありましたが、焼失したため、文政4年(1821年)1月28日に現在の地に移転し、茅葺きの本堂が檀信徒の力で再建されたと、棟札に記されており今なお健在です。(リンク先より) << 戻る
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嶺松院-鳥取県東伯郡

・嶺松院 曹洞宗 鳥取県東伯郡琴浦町槻下493光徳寺七世 釣雪祖厳大和尚の開山で、元亀三年(1572年)に示寂した。その後、当寺十三世 戒本智光大和尚の住職中、光格天皇時代の文化七年(1810年)四月十三日に出火し、諸堂及び記録が焼失して、詳細は不明である。(リンク先より) << 戻る
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龍泉寺-静岡県浜松市東区

・龍泉寺 曹洞宗 静岡県浜松市東区半田山4-18-5開創は不詳。奈良時代、現在の地域に大きな集落があり祈願所が設けられていたことで、およそその頃の開創と推測される。元亀3年(1572年)12月、三方原合戦に敗れた徳川家康公が境内の阿弥陀堂に身を隠し難を逃れたという記録から、それより以前から堂宇が存在していたと思われる。(リンク先より) << 戻る
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西蓮寺-島根県浜田市

・西蓮寺 浄土真宗本願寺派 島根県浜田市三隅町岡見3673武士であった栗山七郎左衛門が、茶臼山城陥落により、僧となり庵を開いた。これが西蓮寺開基慶養(没1571年、元亀2年、10月27日)となったと伝えられている。この時は、真言宗であったと伝えられている。(リンク先より) << 戻る
人物

北条氏康(ほうじょううじやす)

戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退け、後世につながる民政制度を充実させるなど、政治的手腕も発揮した。後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第4代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。生誕 永正12年(1515年)命日 元亀2年10月3日(1571年10月21日)大聖寺殿東陽宗岱大居士<< 戻る
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島津貴久(しまづたかひさ)

戦国時代の武将。薩摩の守護大名・戦国大名。島津氏の第15代当主。生誕 永正11年5月5日(1514年5月28日)命日 元亀2年6月23日(1571年7月15日)南林寺殿大中良等庵主<< 戻る
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毛利元就(もうりもとなり)- 三本の矢

戦国時代の武将・大名。毛利氏の第12代当主。 安芸吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。元就は用意周到かつ合理的な策略および危険を顧みない駆け引きで、自軍を勝利へ導く策略家として知られている。家督を継いだ時点では小規模な国人領主に過ぎなかった毛利家を、一代で山陽・山陰10か国を領有する戦国大名の雄にまで成長させた。子孫は長州藩の藩主となったことから、同藩の始祖としても位置づけられる人物である。三本の矢死ぬ間際の元就が、3人の息子(隆元・元春・隆景)を枕元に呼び寄せて教訓を教えたという逸話がある。元就は最初に、1本の矢を...
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宝城庵-大阪府三島郡

・宝城庵 臨済宗大徳寺派 大阪府三島郡島本町桜井3-11-1臨済宗 大徳寺派 補陀山と号す。本尊 聖観世音菩薩 創立年月不詳。往古天台宗応塔寺(小字応堂寺山が現存)の寮舎であったが、天文年間(1532~54)兵火にかかり全焼したとされます。当時の住職宗安僧正の徒弟明宕は、再興の志を継ぎ、禅門に入って修学し、元亀(げんき)2(1571)年、現在地に庵室を立て宝城庵と称し、禅宗に改めました。(リンク先より)・宝城庵-山崎観光案内所
仏教を本気で学ぶ

織田信長 比叡山延暦寺の焼き討ち

1571年、織田信長が比叡山延暦寺の焼き討ちを行い、一向一揆をしずめる。<< 戻る
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徳証寺-石川県白山市

・徳証寺 真宗大谷派 石川県白山市美川北町ソ127元亀2年(1571年)浄栄が創建。<< 戻る
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長源寺-千葉県佐倉市

龍澤山長源寺は、浄土宗千葉小弓、大源寺末弁長の鎮西派で増上寺一世、西誉聖聡の白旗流、創建は元亀元年(1570)12月。開基は千葉氏一族の生実城主、原式部大輔胤栄。開山は道誉上人(貞把)、本尊は阿弥陀如来です。(リンク先より)・長源寺-千葉県佐倉市
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自性院-山梨県甲斐市

・自性院 曹洞宗 山梨県甲斐市下今井2339以前旧塩崎村山本坊沢百坊の中にあり、真言宗のお寺で慈勝院と称したと伝えられていましたが、二度の水害にあった為現在地に移し、新たに曹洞宗のお寺として元亀元年(1570年)9月19日に関刹界翁禅師が開山されました。(リンク先より) << 戻る