buddhism

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妙音院-千葉県館山市

・安房高野山妙音院(公式ホームページ) 高野山真言宗 千葉県館山市上真倉1689当院は、正式名称「光照山醫王寺妙音院」通称「安房高野山妙音院」 といい、南房総唯一の高野山真言宗であります。鎌倉期に源頼朝公第三男、鎌倉法院・貞暁(じょうきょう)が紀州高野山、一心院谷にご開基されました。天正七年(1579)大名里見義頼公の発願により、高野山別院・里見家の祈願寺として安房国へ開山され、 里見氏より破格の寺領161石を与えられ、保護されておりました。(リンク先より) << 戻る
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浄満寺-大分県日田市

・浄満寺 真宗大谷派 大分県日田市大字東町3-31当寺は、その昔、天台宗 近祜山 長龍寺と号した後、渡辺綱の子孫、明源が天正七年(一五七九)に真宗に帰依し、 龍宮山 浄満寺と改称し、寺地を石井川下村から隈町に移したとされます。(リンク先より) << 戻る
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学成寺 開創

開創  天正7年開山  成就院日賢上人学成寺は、天正7年(1579 年)邑美郡馬場町(今の鳥取市馬場町)に建立されました。<< 戻る
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上杉謙信(うえすぎけんしん/輝虎/てるとら)

戦国時代の越後国の大名。関東管領。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。 越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景の四男として生まれ、初名は長尾景虎。生誕 享禄3年1月21日(1530年2月18日)(グレゴリオ暦1530年2月28日)命日 天正6年3月13日(1578年4月19日)不識院殿真光謙信<< 戻る
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荒村寺-兵庫県伊丹市

・荒村寺 曹洞宗 兵庫県伊丹市伊丹1-15-2城山庵は、越後国(現在の新潟)の一妙法國尼を招き、その尼僧さんによって守られていました。後に伊丹の有岡城跡に移されました。その昔、有岡城は戦国武将であった荒木村重を城主としていました。しかし、戦国時代(1578年)に織田信長に謀反の疑いをかけられ滅ぼされました。庵室は有岡城跡に場所を移したのを機に、この荒木村重の古城跡の由緒により、城山庵から荒村庵へと名を改めました。これが現在の寺号、荒村寺の元となりました。(リンク先より) << 戻る
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浄心寺-長野県安曇野市

・一佛山光明院浄心寺 浄土宗 長野県安曇野市三郷小倉3360-ヘ創建 天正6年(1578年)開山 存蓮社唯称泉譽上人開基 光明院殿一譽脱叟浄心大居士 小笠原但馬守貞政(リンク先より) << 戻る
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法蔵院-大阪府大阪市天王寺区

・法蔵院 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区城南寺町7-4「慈光山 法藏院 徧照寺(じこうざん ほうぞういん へんじょうじ)」と号し、天正5年(1577年)3月15日に「常蓮社住譽慶公和尚(じょうれんじゃじゅうよけいこうかしょう)」によって開山させました。(リンク先より) << 戻る
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桂昌寺-岐阜県郡上市

・桂昌寺 曹洞宗 岐阜県郡上市美並町大原5791.創建  天正5(1577)年2.開山  久山是桂大和尚(リンク先より) << 戻る
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織田信長が安土に楽市の制をしく

1577年、織田信長が安土に楽市の制をしく。<< 戻る
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酉谷寺-山口県下関市

・酉谷寺 浄土宗 山口県下関市南部町6-11酉谷寺(ゆうこくじ)は浄土宗(総本山知恩院)の法流にて開山。安土桃山時代、天正四年(1576)に創建された寺です。(リンク先より) << 戻る
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玉圓寺-大阪府堺市堺区

・玉圓寺 浄土宗 大阪府堺市堺区甲斐町東5-2-10玉圓寺は、天正四年(1576年)に馨蓮社光譽臺現祐德上人の開基であります。祐德上人は俗名を眞田八郎と称し、第二世涼譽清久上人に至り開基祐德と清久の各一字を取って山号を德清山と称しました。(リンク先より) << 戻る
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順光寺-島根県松江市

・順光寺 浄土真宗本願寺派 島根県松江市石橋町44順光寺所蔵の「順光寺史」によると、約800年前、現松江市上大野町に教音法師が天台宗の草庵をむすんだのが順光寺の開基とされています。その後、1576(天正4)年、川津村菅田(現松江市菅田町)に移転しました。浄土真宗に改宗したのは、この頃です。(リンク先より) << 戻る
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金宝寺-新潟県新潟市中央区

・金宝寺 真宗大谷派 新潟県新潟市中央区上所上1-11-5天正元年(1573年)7月18日、織田信長による浅井・朝倉攻めが行われた。多くの者が殺されてしまったが、祖先の玄宗は僧侶であったために逃れ、越中国石動村に隠れ住んだ。その後、赤曽部村に移り住んだが、天正4年に織田信長が本願寺を攻めるにあたっては、本願寺の救援に駆けつけた。顕如上人はその功を誉め、「金寶寺」の号を送った。その子である法正は越後に帰り、蒲原郡所島村(亀田町)に家を建てて住んだ。これが金寶寺の開基である。(リンク先より) << 戻る
年表

織田信長が安土城を築く

1576年、織田信長が安土城(滋賀県)を築く。<< 戻る
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良泉寺-長野県上田市

・良泉寺 曹洞宗 長野県上田市殿城1363寺伝によると天正3年(1575年)3月、矢沢薩摩守綱頼(真田幸隆の弟)が当寺を創立、寺領10貫文を寄付し 大安山良泉寺と号し、菩提所とした。そして天正8年9月、桂昌寺五代の住僧玄廓大和尚を迎えて開山とした。 これより先、 当地に十貫山広沢寺と称せし小字があり綱頼がこれを拡充整備して当寺を創せしともいう。(リンク先より) << 戻る
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大徳寺-高知県南国市

・大徳寺 高野山真言宗 高知県南国市大桶乙2194戦国時代初頭、天正三年に長宗我部元親公の熊野権現勧請に際し、別当として吾岡山の東端に吾岡山延寿院吾岡寺として創建される。(リンク先より)※天正三年 1575年 << 戻る
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真福寺-広島県呉市

・真福寺 浄土宗 広島県呉市川尻町久俊2-5-33真福寺は、往古より禅宗であったと伝えられるが、開基年代、由来等は、天正三年(1575)火災のため旧記等を焼失し詳細を知ることが出来ない。(リンク先より) << 戻る
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薬王院東光寺-群馬県伊勢崎市

・薬王院東光寺 天台宗 群馬県伊勢崎市安堀町708東光寺の過去帖によると享保二年(1717年)「第五世住職大阿闍梨堅者法印智官」と記されているが、それ以前の古いものについては「伊勢崎風土記」で「天正三乙亥(1575年)寺再建祐尊、原理山薬王院東光寺」と記載されている。文化三年(1806年)権大僧都法印春定の後は伝承される者なく不明である。(リンク先より) << 戻る
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見性寺-長野県千曲市

・見性寺 曹洞宗 長野県千曲市大字新山629天正3年(1575)真言宗の僧侶盛巖佑昌庵主が遷化(他界)し、上山田町城腰の普携寺第4世、繁室玄昌大和尚が入寺して以来曹洞宗の禅寺として歴史を刻んでおります。(リンク先より) << 戻る
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長全寺-千葉県柏市

・戸張山 長全寺 公式サイト 曹洞宗 千葉県柏市柏6-1-9長全寺は天正3年4月25日、松戸市広徳寺5世、巧室梵藝大和尚を勧請し、曹洞宗寺院として開山しました。その後15世紀以来この地域で勢力を張っていた戸張氏の菩提寺として栄え、寛永年間頃に戸張村の香取神社近くから現在地へ移転しました。(リンク先より)※天正3年 1575年 << 戻る
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長篠の戦い

1575年、長篠の戦い。織田信長が武田勝頼をやぶる(足軽の鉄砲隊が活躍)。<< 戻る
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高法寺-高知県高知市

・高法寺 浄土真宗本願寺派 高知県高知市神田2421-3高法寺は天正2年(1574年)に第1代住職、玉城龍順が京都の桃山から、土佐にやって来たことに始まります。日本は当時戦国時代で、四国では長宗我部氏が勢力を拡大しようとしており、各地の大名と争いが絶えなかったそうです。さらに、天災からの飢饉、疫病などによって人々の生活は困窮し疲弊していました。(リンク先より) << 戻る
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阿弥陀寺-福島県郡山市

・阿弥陀寺 真言宗室生寺派 福島県郡山市富久山町久保田52現在地の東方(旧郡山中央卸売市場付近)にあった天台宗正覚寺から始まり。その後、天正2年(1574)に真言宗の寺として中興開山、その後二度の火災に遭いながらも、そのたびごとに難を免れて、今日に至り法灯を伝えております。(リンク先より) << 戻る
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海蔵寺-三重県桑名市

・海蔵寺 曹洞宗 三重県桑名市北寺町10当山は、天正2年(1574)ごろに創建され、ご本尊は「十一面観世音菩薩」で、宗派は曹洞宗(禅宗)に属し、本山は福井の永平寺・横浜の総持寺であります。旧伝によれば、昔は西方村にあって現在地に移りましたが、その時期は明らかではありません。(リンク先より) << 戻る
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海岸寺-愛知県名古屋市緑区

・海岸寺 天台宗 愛知県名古屋市緑区大高町字田中14◆創建/織田信長の命より1574年(天正2年)◆開基/珍慶法印◆本尊/聖観世音菩薩・一光三尊阿弥陀如来◆寺宝及び文化財/聖観世音菩薩像・金比羅天像・大黒天像・一光三尊阿弥陀如来像(リンク先より) << 戻る
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正念寺-広島県尾道市

・正念寺 時宗 広島県尾道市西久保町1-5山号: 来迎山(らいごうさん)院号: 引接院(いんじょういん)開基:天正二年 遊行三十一世・同念上人(リンク先より) << 戻る
人物

浅井長政(あざいながまさ)

戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井氏の3代目にして最後の当主。 浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、北東部に勢力をもっていた。妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、後に信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害。浅井氏は滅亡した。官位は贈従二位中納言。生誕 天文14年(1545年)命日 天正元年9月1日(1573年9月26日)養源院天英宗清<< 戻る
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朝倉義景(あさくらよしかげ)

戦国時代の武将。越前国の戦国大名。越前朝倉氏第11代の当主。天文17年(1548年)3月、父の孝景が死去したため、16歳で家督を相続して第11代当主となり、延景と名乗る。9月9日には京都に対して代替わりの挨拶を行っている(『御湯殿上日記』)。生誕 天文2年9月24日(1533年10月12日)命日 天正元年8月20日(1573年9月16日)松雲院殿太球宗光大居士<< 戻る
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武田信玄(たけだしんげん/晴信/はるのぶ)

戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化して国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野および遠江、三河、美濃、飛騨などの一部を領した。次代の勝頼期にかけて領国をさらに拡大する基盤を築いたものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃への帰還中に病没した。生誕 大永...
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浄満寺-福岡県福岡市中央区

・浄満寺 浄土真宗本願寺派 福岡県福岡市中央区地行2-3-3浄満寺を開いた初代「浄心」は、姓を「井浦いのうら」といい、筑前糟屋郡かすやのこおり(現粕屋町)原上はるがみ在の橘家士分たちばなけしぶんであったと伝えられています。元亀げんき4年3月15日(1573年7月に天てん正しょうと改元かいげん―438年前)二十有余歳のとき、剃髪ていはつして一寺を建立こんりゅうして小庵しょうあんを結び浄満寺と号しました。(リンク先より) << 戻る
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龍谷寺-宮城県大崎市

・龍谷寺 曹洞宗 宮城県大崎市三本木伊場野字舘崎16天正元年、大崎市古川中の目 万年寺七世 卓山良逸大和尚により開山。境内には、樹齢 約350年になる大銀杏、種まき桜など四季折々の美しい景色を見せてくれます。(リンク先より)※天正元年 1573年 << 戻る
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二尊寺-福岡県三潴郡

・二尊寺 浄土宗 福岡県三潴郡大木町蛭池1319当山は正式名称 大司山檡在院二尊寺といい、開山は天正年間(西暦1573年~1592年)ご本尊は阿弥陀如来・釈迦如来の二尊。開山より浄土宗を宗旨とします。(リンク先より) << 戻る