人物 幸田露伴(こうだろはん) 小説家。本名は成行。別号に蝸牛庵、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸下谷生まれ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。生誕 1867年8月22日(慶応3年7月23日)命日 1947年(昭和22年)7月30日露伴居士<< 戻る 1947.07.30 人物
便り 神田寺-東京都千代田区 ・神田寺 浄土宗 東京都千代田区外神田3-4-10明治以降、神田の地に寺院が無かったため、第二次大戦後の昭和22年(1947)に故友松圓諦師によって地名を名のる寺院として創建されました。寺の前身は南北朝時代の至徳元年(1384)品川に創建されたのち深川に移転した「法禅寺」と江戸時代初期、万治元年(1658)創建の「安民寺」が前身となっています。(リンク先より) << 戻る 1947.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 鞍馬弘教の成立(鞍馬寺) 千二百余年前、鞍馬寺を開創した鑑禎上人は律宗に属し、藤原伊勢人は、鎮護国家の毘沙門天と慈悲の観音を一体として併せて祀りました。中興の祖、峯延上人は真言宗の十禅師とも言われています。後に天台宗の影響が強まり、天台法華・天台密教・天台浄土が取り入れられました。鞍馬山には、神代以前からの古神道や陰陽道、修験道等の山岳宗教の要素も含まれています。宗派に捉われない懐の深さは鞍馬寺の宗教伝統となっています。 昭和22年、初代管長信楽香雲は、このような多様な信仰の歴史を統一して鞍馬弘教と名付け、昭和24年、鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山となりました。(歴史 鞍馬寺 より)<< 戻る 1947.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 徳証寺の梵鐘 梵鐘は太平洋戦争の金属供出で失われていたが昭和22年(1947年)新鋳され、鈴木大拙の手になる銘文The Bell of Peace & Liberty(自由と平和の鐘の意)が刻まれる。<< 戻る 1947.01.01 便り
便り 雲祥院-秋田県秋田市 ・雲祥院 臨済宗妙心寺派 秋田県秋田市飯島穀丁9-48第二次世界大戦終戦前夜 昭和二十年八月十四日 土崎の日本石油がアメリカ軍のB29の爆撃にあい、雲祥院は県内でただ一ヶ寺の戦災寺院となりました。(リンク先より)※昭和二十年 1945年 << 戻る 1945.08.14 便り年表
人物 西田幾多郎(にしだきたろう) 哲学者。京都大学名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。「西田哲学」と呼ばれる独創的哲学を打ち立てた哲学者である。また京大教授として、中村元、和辻哲郎など優れた学者を育成したことでも知られている。明治44年刊の『善の研究』など多数の著作を残す。生誕 1870年5月19日(明治3年4月19日)命日 1945年(昭和20年)6月7日曠然院明道寸心居士<< 戻る 1945.06.07 人物
人物 アドルフ・ヒトラー アドルフ・ヒトラーは、ドイツの政治家。ドイツ国首相、および国家元首であり、国家と一体であるとされた国家社会主義ドイツ労働者党の指導者。1933年に首相に指名され、1年程度で指導者原理に基づく党と指導者による一極集中独裁指導体制を築いたため、独裁者の典型とされる。生誕 1889年4月20日命日 1945年4月30日<< 戻る 1945.04.30 人物年表
年表 京浜地区南部の空襲によって池上本門寺大伽藍のほとんどを焼失 1945年4月15 日、京浜地区南部の空襲によって、池上本門寺大伽藍と厳重に格護されてきた御霊宝のほとんどを失いました。しかし、猛火のなか身命を賭した寺僧の活動によって、日蓮聖人御真蹟を中心とする特に重要な御霊宝は焼失を免れ今に伝わっています。<< 戻る 1945.04.15 年表
人物 アンネ・フランク アンネ・フランクは、『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女である。反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、一家で故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。隠れ家には、アンネがオランダ語でつけていた日記が残されていた。隠れ家住人の生活を支援していたミープ・ヒースがこれを発見し、戦後まで保存した。8人の隠れ家住人の中でただ一人戦後まで生き延びたオットー・フランクはミープからこの日記を手渡された。オットーは娘・アンネの戦争と差別のない世界になってほしいという思いを全世界に伝えるため、日記の出版を決意した。生誕 1929... 1945.03.05 人物
便り 歓喜山光明寺-兵庫県神戸市兵庫区 ・歓喜山光明寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県神戸市兵庫区中道通9-1-17歓喜山光明寺は、港町神戸の下町にある、浄土真宗本願寺派(西本願寺が本山です)のお寺です。先々代の頃、昭和20年3月の神戸大空襲で、寺は焼け、現在の地に移りました。先代が、昭和36年に保育園を始め、子どものにぎやかな声と共に歩んでまいりましたが、平成7年の阪神淡路大震災により、またまた、甚大な被害を受けました。(リンク先より) << 戻る 1945.03.01 便り年表
人物 河口慧海(かわぐちえかい) 黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。 中国や日本に伝承されている漢語に翻訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意。日本人として初めてチベットへの入国を果たした。『西蔵旅行記』『在家仏教』をはじめとして数多くの著作を残している。生誕 1866年2月26日(慶応2年1月12日)命日 1945年(昭和20年)2月24日<< 戻る 1945.02.24 人物仏教を本気で学ぶ年表
人物 野口雨情(のぐちうじょう) 詩人、童謡・民謡作詞家。多くの名作を残し、北原白秋、西條八十と共に、童謡界の三大詩人と謳われた。「しゃぼん玉」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「船頭小唄」「波浮の港」など多数の作詞をしている。生誕 1882年(明治15年)5月29日命日 1945年(昭和20年)1月27日<< 戻る 1945.01.27 人物
人物 沢村栄治(さわむらえいじ) 三重県出身のプロ野球選手。 日本プロ野球史上に残る伝説の選手の一人でもあり、戦前のプロ野球界で、NPB史上初の最多勝利を獲得し、NPB史上初の最高殊勲選手も受賞。史上2人目のシーズン防御率0点台や、史上初の投手5冠に輝き、史上初のノーヒットノーラン達成など、様々な記録を打ち立てた。生誕 1917年2月1日命日 1944年12月2日<< 戻る 1944.12.02 人物
人物 島崎藤村(しまざきとうそん) 詩人、小説家。本名は島崎 春樹。信州木曾の中山道馬籠生まれ。 『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。生誕 1872年3月25日〈明治5年2月17日〉命日 1943年〈昭和18年〉8月22日文樹院静屋藤村居士<< 戻る 1943.08.22 人物
人物 山本五十六(やまもといそろく) 日本海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。生誕 1884年(明治17年)4月4日命日 1943年(昭和18年)4月18日大義院殿誠忠長陵大居士<< 戻る 1943.04.18 人物
人物 新美南吉(にいみなんきち) 児童文学作家。本名は新美正八。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。生誕 1913年7月30日命日 1943年3月22日釈文成<< 戻る 1943.03.22 人物
人物 森下博(もりしたひろし) 実業家、森下仁丹の創業者。広告宣伝を積極的に行って商品の名を広め、日本の広告王と称された。生誕 1869年12月5日(明治2年11月3日)命日 1943年(昭和18年)3月20日<< 戻る 1943.03.20 人物
人物 大谷光演(おおたにこうえん) 明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧、俳人、画家。法名は「彰如」(しょうにょ)。俳号は「句仏」。東本願寺第二十三代法主。真宗大谷派管長。伯爵。妻は、三条実美の三女・章子。『夢の跡』『我は我』『句仏句集』などの句集を残している。生誕 1875年(明治8年)2月27日命日 1943年(昭和18年)2月6日<< 戻る 1943.02.06 人物年表
便り 活禅寺-長野県長野市 ・活禅寺 単立 長野県長野市箱清水3-29-60昭和18年2月11日、徹禅無形大師により開山。当初は無形庵という小さな庵でしたが、第二次大戦後の混乱した日本を背負って立つ青少年の育成を主眼に青年錬成参禅道場として発足。(リンク先より) << 戻る 1943.01.01 便り年表
便り 惠光寺-栃木県宇都宮市 ・惠光寺 浄土真宗本願寺派 栃木県宇都宮市下栗町2255惠光寺の建立は、株式会社ミツトヨ創業者の故・沼田惠範師が、一人でも多くの方に仏法に出遇って頂きたいと発願(ほつがん)されたことに始まります。昭和18(1943)年に三豊製作所宇都宮工場(旧横川村下栗)を設立した頃、近くには寺院がありませんでした。ミツトヨは創業以来、先祖に感謝する集い「祖先祭」を毎月行っていますが、その際に、ご導師をお願いできる寺院もありませんでした。その為、「いつかは一寺院を建立したい」と惠範師は決意されたのです。(リンク先より) << 戻る 1943.01.01 便り年表
人物 中島敦(なかじまあつし) 小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。生誕 1909年(明治42年)5月5日命日 1942年(昭和17年)12月4日<< 戻る 1942.12.04 人物
人物 北原白秋(きたはらはくしゅう) 詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉。 詩、童謡、短歌以外にも、新民謡の分野でも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を代表する詩人である。生誕 1885年(明治18年)1月25日命日 1942年(昭和17年)11月2日<< 戻る 1942.11.02 人物
人物 与謝野晶子(よさのあきこ) 歌人、作家、思想家。 戸籍名は与謝野志やう。旧姓鳳。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹。雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった。代表作『みだれ髪』(1901年)、『君死にたまふことなかれ』(1904年)生誕 1878年(明治11年)12月7日命日 1942年(昭和17年)5月29日白桜院鳳翔晶耀大姉<< 戻る 1942.05.29 人物
便り 興願寺-香川県高松市 ・興願寺 真宗興正派 香川県高松市亀水町1157当寺は亀水の地に村人の心の拠り所として、数百年来守り続けてこられた「亀水のお薬師さん」が「亀水の説教所」に発展し、更に昭和十七年には「紅峰山興願寺」として生まれ変わり、昭和二十八年に至って先々代正潤法師の発願の許、地区の皆様の懇念により、現在の立派な本堂がこの地に建立されました。(リンク先より)※昭和十七年 1942年 << 戻る 1942.01.01 便り年表
人物 南方熊楠(みなかたくまぐす) 博物学者、生物学者、民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学を早くから日本に導入したことが注目される。生誕 1867年5月18日(慶応3年4月15日)命日 1941年(昭和16年)12月29日智荘厳院鑁覚顕真居士<< 戻る 1941.12.29 人物