・手長山 二尊教院 法光寺 浄土宗 長野県諏訪市岡村1-16-5
戦国時代、諏訪の中心として栄えた諏訪氏の居城上原城の城下町(茅野市上原)には、鎌倉五山になぞられて上原五山と言われる寺院がありました。永明寺・金剛寺・光明寺・法(報)明寺・極楽寺がこれです。この中、法(報)明寺と光明寺の二ヶ寺が後日合併して、現在の法光寺(諏訪市岡村)にいたっています。 「起立記」によると、謝徳山報恩寺は永禄三年(1560年)、明蓮社賀譽岌興上人(京都百萬遍知恩寺第二十六世)の開山であり、遍照山新光明寺は、然蓮社貞譽良記上人(鎌倉光明寺第十二世)の開基であり、 第八世生蓮社岌往上人がこの二ヶ寺を合併、二仏を一緒に安置し、徳照山二尊教院報光寺と称し、現在の法光寺の基礎をつくり中興開基となりました 。(リンク先より)
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