明治四年、妙香院と忠光院(心蓮院と法雲院の合併寺)が合併し俊光寺と改めた。
妙香院(華慶山)は慶安四年(1651)、林小左衛門元重が建立した。元重の祖父重真は備中冠山城の城主で、毛利家に属していたが、天正十年(1582)、秀吉に攻められ自刃した。その子宗重は高松城に寵って秀吉と戦ったが、城主清水宗治が切腹した後は小早川隆景に仕え、朝鮮にも出征した。その後毛利家の家臣となったが、嗣子がないので弟重氏の長子元重を婿養子とした。重氏は冠山城・高松城ともに戦功があったが、朝鮮に出征し戦死した。元重は祖父重真・実父重氏その他家臣の菩提を弔うために一寺を建立する志を長年もっていたが、元和八年(1622)、妻が病死したとき不思議なことが起こり、二男小三郎(一二歳)が出家を希望し、周慶寺(後の龍昌院)二世良呑の弟子となり、剃髪して円甫と号した。正保四年(1647)、元重は西尾豊後守の屋敷を求めて、円甫のために小庵を構え、慶安四年に寺を建立、妻の法名華慶妙香をとって山号院号とした。(リンク先より)
華慶山 俊光寺 (かけいざん しゅんこうじ)
投稿日:2015年11月17日 更新日: