こうした感覚というものは、私たちが、特定の価値観や方向性を持つ集団の中だけに安住しようとする限り、出てこないものかもしれません。限られた場に身を置きながらも、その場を通じて、あくまでも、あらゆる人びとと共に歩もうという精神が、自分の上にどう実現するのか、と、確かめようとした時、親鸞聖人は、仏教界というグループに属する一員ではなく、一人の人間として、これまで歩んできた仏道という道を、このまま進むべきかどうか、という問いに、初めて向き合うことになったのです。(リンク先より)
投稿日:2018年12月15日 更新日:
こうした感覚というものは、私たちが、特定の価値観や方向性を持つ集団の中だけに安住しようとする限り、出てこないものかもしれません。限られた場に身を置きながらも、その場を通じて、あくまでも、あらゆる人びとと共に歩もうという精神が、自分の上にどう実現するのか、と、確かめようとした時、親鸞聖人は、仏教界というグループに属する一員ではなく、一人の人間として、これまで歩んできた仏道という道を、このまま進むべきかどうか、という問いに、初めて向き合うことになったのです。(リンク先より)
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