明治44年(1911年)11月5日に曹洞宗大本山總持寺が能登の總持寺祖院から神奈川県横浜市の鶴見に移転した時の中心人物の一人として總持寺監院を務めた黒田鉄巌師が挙げられる。大本山總持寺は能登にあって古くから人々の信仰を集めてきたが、明治31年(1898年)、不慮の火災により伽藍の大部分が焼失したのを契機として、時代の推移と宗門の発展を願い神奈川県横浜市鶴見に移転することになった。遷祖式当日の記録には次のようにある。(リンク先より)
・明治44年(1911年)11月5日 曹洞宗大本山總持寺御移転(曹洞宗 正伝の仏法)