数学教育者。「公文式」学習指導法の考案者。
高知県出身。土佐中学校を経て1933年に高知高等学校を卒業。1936年、大阪帝国大学理学部数学科を第1期生として卒業。高知県立高知小津高等学校数学教師を退職後、1958年に大阪数学研究会(現・日本公文教育研究会)を設立。
「数学のあれもこれもできるか。まずは、計算力を突破口にするのだ」というのが公文公の長年の主張であった。
公文式学習法が誕生した経緯や彼の考えは、『やってみよう-公文公自伝 子供の知的可能性を追求して』(くもん出版 1991年)という著書に詳しく書かれている。
数学教育について、水道方式の遠山啓とは長年のライバル関係にあった。
生誕 1914年3月26日
命日 1995年7月25日
<< 戻る