1860年

人物

徳川斉昭(とくがわなりあき)

江戸時代後期の大名(親藩)。常陸水戸藩の第9代藩主。江戸幕府第15代(最後)将軍徳川慶喜の実父である。藩政改革に成功した幕末期の名君の一人。しかし将軍継嗣争いで大老・井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり、そのまま死去した。生誕 寛政12年3月11日(1800年4月4日)命日 万延元年8月15日(1860年9月29日)<< 戻る
人物

飯田忠彦(いいだただひこ)

幕末の徳山藩出身の国学者・歴史家。諱は初め恒憲、後に持直、忠彦と改名し、出家して黙叟と名乗る。通称は要人、刑部、左馬。字は子邦。号は環山、野史氏、夷浜釣叟。『大日本野史』の著者として知られる。生誕 寛政10年12月18日(1799年1月23日)命日 万延元年5月27日(1860年7月15日)志信院黙叟理現居士<< 戻る
人物

井伊直弼(いいなおすけ)

井伊直弼は、幕末の譜代大名。近江彦根藩の第15代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国・近代化を断行した。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。 幼名は鉄之介、後に鉄三郎。諱は直弼。生誕 文化12年10月29日(1815年11月29日)命日 安政7年3月3日(1860年3月24日)宗観院柳暁覚翁<< 戻る
年表

西光寺、全国で唯一の殿号で呼ばれる寺院となる

万延元年(1860)、関白九條兼実から直筆の「石田殿」の額を下賜されてから、それまでは「石田山 西光寺」としていた名称を「石田殿 西光寺」としました。寺院としては全国で唯一の殿号で呼ばれる寺院となりました。<< 戻る