1703年

人物

吉良義央(きら よしひさ/よしなか)- 吉良上野介義央

江戸時代前期の高家旗本。赤穂事件で浅野長矩により刃傷を受け、隠居後は赤穂浪士により邸内にいた小林央通、鳥居正次、清水義久らと共に討たれた。同事件に題材をとった創作作品『忠臣蔵』では敵役として描かれる場合が多い。幼名は三郎、通称は左近。従四位上・左近衛権少将、上野介。一般的には吉良上野介と呼ばれる。生誕 寛永18年9月2日(1641年10月5日)命日 元禄15年12月15日(1703年1月31日)霊性寺殿実山相公大居士<< 戻る
人物

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)

江戸時代前期の武士。播磨国赤穂藩の筆頭家老。元禄15年、赤穂四十七士を率いて吉良邸に討ち入り、吉良義央ほか二十余名を斬殺した。大石らは自ら出頭し(寺坂信行を除く)、公儀の裁きに処分を委ねた。翌16年、幕府の処断により四十六士は切腹となった(赤穂事件)。 良雄は諱で、通称(仮名)は内蔵助。一般にはこのの名で広く知られる。本名は大石良雄(おおいしよしお/よしたか)。生誕 万治2年(1659年)命日 元禄16年2月4日(1703年3月20日)忠誠院刃空浄剣居士<< 戻る