1199年

人物

源頼朝(みなもとのよりとも)

平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家。鎌倉幕府の初代征夷大将軍。 清和源氏の一流たる河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると北条時政、北条義時などの坂東武士らと平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平家を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼす。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。生誕 久安3年4月8日(ユリウス暦1147年5月9日、先発グレゴリオ暦1147年5月16日)命日 建久10年1月13日(ユリウ...
便り

西光寺-長野県長野市

・西光寺 浄土宗 長野県長野市北石堂町1398正治元年(1199)、善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建立。御本尊は、開祖苅萱道心とその子信照 坊道念上人(幼名石童丸)が刻んだ二体の親子地蔵尊です。(リンク先より) << 戻る
便り

新豊院-静岡県富士市

・新豊院 曹洞宗 静岡県富士市岩淵328正治元年(1199年)真言宗 光明山 心包院として創立されまた。天文4年(1535年)藤枝市 金龍山 心岳寺三世学叟昌文大和尚により曹洞宗に改宗、延宝7年(1679年)六世海印道空大和尚の代になり伽藍整備のうえ 光福山新豊院と改めました。(リンク先より) << 戻る
便り

西方寺-長野県長野市

・西方寺 浄土宗 長野県長野市西町1019安養山極楽院西方寺の開山は正治元年(1199)に浄土宗の開祖法然上人が善光寺を訪れた時に、現在の権堂の往生院の地に開創したと伝えられています。また、弘法大師が大同二年に建立した宝乗寺がその時に浄土宗に変わったとも言われます。(リンク先より) << 戻る
年表

源頼朝が亡くなる

1199年、源頼朝が亡くなり、実権が北条氏に移る。<< 戻る