1157年

人物

宏智正覚(わんししょうがく)

中国・宋時代の禅僧。隰州隰川県の出身。天童正覚(てんどうしょうがく)とも記述されます。丹霞子淳に就いて嗣法。弟子には自得慧暉がいる。多くの弟子を輩出したことから宏智派の祖とされています。臨済宗楊岐派のなかに大慧派を形成した大慧宗杲と、禅のあり方を巡り激しく対立しました。宏智正覚の主張は、仏性は本来的に有されていることから、坐禅すること自体が禅の姿で、その事実に気付くことこそが大事なことだと、公案を用いない曹洞宗の禅を擁護しました。しかし、大慧宗杲はこれを「黙照禅」と呼んで批判しました。対する大慧宗杲は、公案を用いることによって言語による思考を限界に追い詰めつつ坐禅し、言語を超越した悟りへと向か...
便り

常圓寺-栃木県那須郡

・常圓寺 浄土真宗本願寺派 栃木県那須郡那珂川町片平753保元2年(1157)照證法印成善阿闍梨(俗称は那須太郎資隆の弟、那須次郎資房)が片平字竹ノ内に再興。文治4年(1189)片平城主八郎義隆(那須与一宗隆の兄)が亡父資隆(法号佛光洞照)の法要を営む。建久元年(1190)後鳥羽天皇の時代に後白河法皇より勅願を賜り、佛光山東照院と号する。(リンク先より) << 戻る