高野山真言宗

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高家寺-岐阜県各務原市

・高家寺 高野山真言宗 岐阜県各務原市那加北洞町1-390高家寺の縁起には二つの系統があります。一つ目は江戸時代初期 寛永十六(1639)年譜代大名として初めて松平の姓を認められた戸田松平家の姫(二の丸姫)の発願、播州明石の蓮台寺住職の祐加上人の開基岐阜加納の地に創建された高家寺(こうけじ)です現在の高家寺はこの系統を直接受け継いでいます 二つ目は岐阜県飛騨地方で最も古い寺院高家寺(たきへでら:たきへじ)です白鳳時代に創建されましたが何らかの理由で廃寺になりました(壽樂寺廃寺)高家寺は銀杏大師を始め現在も飛騨と縁が深いお寺ですそれ故に飛騨最古のお寺の復興の意味も込めています(リンク先より)<<...
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千光寺-岡山県都窪郡

・千光寺 高野山真言宗 岡山県都窪郡早島町早島1179千光寺は建立当初、奥坂(現在のコンベックス岡山周辺)にありましたが、寛永八年(1631)に現在の早島の地に移されました。御本尊は聖観世音菩薩で、慈覚大師の作と言われています。(リンク先より) << 戻る
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実際寺-岡山県倉敷市

・実際寺 高野山真言宗 岡山県倉敷市中島516中島山実際寺は、元和2年(西暦1616年)に、当時の中大道城主だった建部民部慰政喜によって中興されました。建部氏は、慶長9年11月(西暦1604年)西阿知の遍照院に身を寄せながら、現在実際寺のある中島地区の干拓などを手掛け、1616年に松山藩の検地を受けて中島が誕生しました。(リンク先より) << 戻る
人物

木食応其(もくじきおうご)

安土桃山時代の真言宗の僧で、出家前は六角氏に仕える武将、出家後は外交僧・勧進僧・連歌学者として活動した。法名を応其、字を順良、房号を深覚と云い、深覚坊応其と称す。木食は木食行を修めた者への称で、木食応其は通称。天正元年(1573年)に38歳で高野山において出家し、宝性院の勢誉から受戒、名を応其と改めた。小瀬甫庵の『信長記』では出家は25~6歳の頃であるとしている。また高野山入山のおり、十穀を絶つ木食行を行うことを発願している。応其は「客僧」という立場であり、学侶や行人、高野聖とも異なる存在であった。また密教大辞典では天下人から厚遇を受けた政遍からも戒を受け、仁和寺宮仁助法親王より三部の大法を受...
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觀音寺-徳島県板野郡

・觀音寺 高野山真言宗 徳島県板野郡松茂町長岸120四国三郎のひとつ、吉野川河口にできた自然の中洲を開拓して発展した土地です。吉野川の支流は、決壊することも多く、觀音寺の境内も流されたようです。1602年に開基されましたが、境内地が洪水より流されたため150年ぐらい前に現在地に移転されたと記録が残っています。(リンク先より) << 戻る
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高野寺-和歌山県和歌山市

・高野寺 高野山真言宗 和歌山県和歌山市元寺町北ノ丁18当山は慶長年間、興山寺勢誉法印の開基にして初代紀州藩主 浅野幸長公の命により保田の庄梁瀬の里より現在の地にうつす。高野山行人方と紀州藩との国交拠点になった寺院で、高野山輪番所として紀伊国名所図会に伝わる。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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福泉寺-神奈川県横浜市緑区

・福泉寺 高野山真言宗 神奈川県横浜市緑区長津田町3113寺伝によると文禄年間~慶長の頃(西暦1592~1600年)徳川家康に仕えた千五百石取りの旗本で、長津田初代の領主岡野房恒という殿様が開基となり、村の鎮守として勧請した王子権現の別当寺として開創、僧栄存の開山と伝えられます。領主岡野家の祈願所でもあり、江戸時代を通じ岡野家の庇護の下に田畑山林などの寄進を受けました。慶安二年(西暦1649年)、徳川三代将軍家光より四石五斗の朱印を賜りました。この朱印状は将軍が変わる毎に書き換える事になっており、最後のものは十四代将軍家茂のものである。(リンク先より) << 戻る
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金剛院-埼玉県さいたま市北区

金剛院は天正十九年(1591年)徳川家康公より河越内に寺領四石を賜り、慶安二年(1649年)八月ニ十四日には、徳川家光公より下加村内に十石四斗の朱印地を拝領し、下加村(日進一丁目)西谷村(日進三丁目)の菩提寺となりました。今でも金剛院には十通の御朱印状が残されています。(リンク先より)・金剛院<< 戻る
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平等寺-石川県鳳珠郡

・平等寺 高野山真言宗 石川県鳳珠郡能登町字寺分2字116和住山平等寺は、十世紀の中頃荘園の宮寺として創建され、以後千年余り法燈が守られてきた高野山真言宗のお寺です。武士の台頭により、荘園の衰退と共に平等寺は和住の本郷(能登町字上町)を追われ、天正十一年(1583)に応清法印が現在地に再興されました。(リンク先より) << 戻る
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妙音寺-神奈川県三浦市

・花山曼荼羅 妙音寺 公式サイト 高野山真言宗 神奈川県三浦市初声町下宮田119「新編相模国風土記稿」によれば、当山は今から400年ほど前(天正年間、1580年代)に中興の祖、賢栄法印により、「昔の寺地、妙音寺原(現在地より北へ二キロの台地)より移し、建設されたもの」とある。当時は戦国大名の一人である小田原北条氏の雨乞いの祈願所として庇護を受けていた。(リンク先より)※天正年間 1573年からグレゴリオ暦1593年 << 戻る
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妙音院-千葉県館山市

・安房高野山妙音院(公式ホームページ) 高野山真言宗 千葉県館山市上真倉1689当院は、正式名称「光照山醫王寺妙音院」通称「安房高野山妙音院」 といい、南房総唯一の高野山真言宗であります。鎌倉期に源頼朝公第三男、鎌倉法院・貞暁(じょうきょう)が紀州高野山、一心院谷にご開基されました。天正七年(1579)大名里見義頼公の発願により、高野山別院・里見家の祈願寺として安房国へ開山され、 里見氏より破格の寺領161石を与えられ、保護されておりました。(リンク先より) << 戻る
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大徳寺-高知県南国市

・大徳寺 高野山真言宗 高知県南国市大桶乙2194戦国時代初頭、天正三年に長宗我部元親公の熊野権現勧請に際し、別当として吾岡山の東端に吾岡山延寿院吾岡寺として創建される。(リンク先より)※天正三年 1575年 << 戻る
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弘法寺-広島県呉市

・弘法寺 高野山真言宗 広島県呉市安浦町大字中畑132野路山 伊音城・弘法寺は弘法大師空海が御年19歳49歳と2度に渡り登山され、岩屋で修業に専念された地として伝えられる霊山です。伝えられるところによると『川尻海上に漁人あり、毎夜野路山上に火光を認め、奇異の思いをなして登り見れば弘法大師の像と梵鐘の破片散乱せり』中切地区の住民が相はかりて岩窟に堂を建て弘法大師を祀り毎月21日の大使の命日に御影供養の法要をするようになり、現在に連綿として続けられおる地区の伝統祭事です。大師堂の堂字の起源は、明應年間(1492年~1500年)と思われ、村民2名が燈明供養する古例があり、その後 度々の補修・再建・改...
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長谷寺-徳島県鳴門市

・長谷寺 高野山真言宗 徳島県鳴門市撫養町木津1037-11480 文明12年 船戸左衛門尉次正(ふなどさえもんのじょうつぐまさ)によって長谷寺が創建されました。寺伝によると船戸次正は、細川の家臣とされています。主君の仇を討つべく、大和の長谷観音を信仰し、願を立てていました。(リンク先より) << 戻る
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清眼寺-岡山県津山市

・清眼寺 高野山真言宗 岡山県津山市院庄779当山は、もと極楽山雲清寺と号し、淳和天皇の御代、高祖弘法大師が開山したと伝わる。元弘二年、後醍醐天皇 隠岐に御遷幸の砌、御駐輦になられたと伝わる古刹 山名時氏の祈願所 後年災禍にあい諸堂焼失せるも長禄年間(1457~1460)に今の地に宥尊上人が再興し、極楽山清眼寺と改号。(リンク先より) << 戻る
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護国寺-沖縄県那覇市

・護国寺 高野山真言宗 沖縄県那覇市若狭1-25-51368年に創建され、開山は薩摩の国(鹿児島県)坊津の一乗院より来琉された頼重法印(らいじゅうほういん)とされております。当時の琉球国王察度(さっと)の尊信を得て勅願寺として建立され、天下泰平、鎮護国家、五穀豊穣、万民豊楽を祈願し、県内で最初の密教道場となりました。(リンク先より) << 戻る
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弘法寺-青森県つがる市

・弘法寺 高野山真言宗 青森県つがる市木造吹原字屏風山1-244開創などは、一時天災により寺が消失しており記録が残されていないため不明である。唯一現存する7代目住職の位牌が、貞和4年(1347年)7月6日の年号があることから開創から900年ほどの歴史があると思われる。(リンク先より) << 戻る
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大楽寺-大分県宇佐市

・大楽寺 高野山真言宗 大分県宇佐市大字南宇佐2077元弘3年(1333)、後醍醐天皇の勅願寺、宇佐神宮大宮司到津家の菩提寺として創建された。開基は宇佐八幡宮大宮司 宇佐宿祢到津公連公、開山に奈良西大寺の道密上人を招請した。翌元弘4年(1334)、建武と年号を改めた後醍醐天皇は、宇佐神宮の神威に叡感あって鎮護国家を記念され、 この時到津家の菩提寺であった大楽寺を勅願寺に定められた。(リンク先より) << 戻る
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金胎寺-富山県射水市

・金胎寺 高野山真言宗 富山県射水市戸破3315護国山金胎寺は文応元年(1260)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡業の折、越中に滞在し、当地に金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を安置し、加茂社の神宮寺として草創されました。本堂の天井中央には、周囲に菊華紋をあしらった、墨絵の竜眼図が描かれています。この寺は北陸で一番最初に前田利家の兄である前田安勝公により西国三十三観音に習い越中一国三十三観音の十五番札所(本尊秘仏千手千眼観音菩薩像)に定められた寺でもあります。(リンク先より) << 戻る
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家原寺-大阪府堺市西区

・家原寺 高野山真言宗 大阪府堺市西区家原寺町1-8-22「智恵の文殊さん」として知られ、別名「落書き寺」としても有名。行基菩薩が誕生した所で、行基37歳の時(慶雲元年)「もとの生家を掃き清めて仏閣となす」と「行基年譜」に記される。行基建立寺院の第一号であるが、いわゆる行基建立四十九院には含まれず、特別扱いされている。叡尊が寛元三年(1245)再興し、行覚が正和五年(1316)菅原寺(大和)の本記をもとに「行基菩薩行状絵伝」(絹本着色、三幅、重要文化財)を描かせて行基を顕彰し行基信仰を推進した。(リンク先より) << 戻る
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東昌寺-神奈川県逗子市

・青龍山 東昌寺 高野山真言宗 神奈川県逗子市池子2-8-33東昌寺は、鎌倉時代に北条泰時により執権家歴代の菩提寺として鎌倉の西ケ谷(鎌倉市小町)に建立された東勝寺に由来すると伝えられています。東昌寺は、当時、青龍山東勝寺と呼ばれていました。一方、後に東昌寺の境内に移されることになった丈六阿弥陀如来を祀った阿弥陀堂が、承久2年(1221年)に池子の大上阿弥陀ヶ谷(おおがみあみだがや: 現在の県立逗子高校の奥)に建立されました。この阿弥陀堂は、源実朝の非業の死を弔うために母親の政子刀自(とじ: 年輩の女性を敬意を添えて呼ぶ語)が、仏師・運慶に依頼して丈六阿弥陀如来像を彫らせ祀ったと伝えられていま...
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成就院-神奈川県鎌倉市

・鎌倉 成就院 公式ホームページ 真言宗大覚寺派 神奈川県鎌倉市極楽寺1-1-5護摩修法が行われていたこの地に、鎌倉幕府<三代執権北条泰時>が<1219年>成就院を建立。 1333年新田義貞の鎌倉攻めで焼失し西ヶ谷に移ったが、1688年元禄元年江戸時代ににより元の地に再建され、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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福應寺-長野県松本市

・福應寺 高野山真言宗 長野県松本市大字神林1747草創は、寺伝によれば承安3年(1173)にさかのぼる。即ちこの地の地頭であった平野刑部が、相州鎌倉より当地の守護神として、鶴岡八幡宮を勧請したとき、その本地である阿弥陀如来を安置する為に、別当寺として穂屋野山曼荼羅寺を建立したことに始まるという。曼荼羅寺は現在の福應寺の地より南にあり、寺中六坊を数えた繁栄の密場であった。(リンク先より) << 戻る
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聖代寺-香川県高松市

・聖代寺 真言宗善通寺派 香川県高松市屋島東町1332僧西行(俗名 佐藤義清)は、その晩年かつて思いをはせた旧主家徳大寺家の姫君の忘形見、崇徳上皇の菩提を弔うため当地に一宇を建立されました。(崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃州に配流され1164年におかくれになられています。)(リンク先より) << 戻る
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善住寺-兵庫県美方郡

・善住寺 高野山真言宗 兵庫県美方郡新温泉町熊谷1286善住寺は長保元年(999年)2月、覚増上人が開かれたとされています。覚増上人がこの地方を行脚した時、土地の様子が紀州熊野三山に似ていることから、山号を熊野山、寺号を那智院善住寺と名付けたと謂われています。(リンク先より) << 戻る
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正暦寺-京都府綾部市

・正暦寺 高野山真言宗 京都府綾部市寺町45天慶5年(942)に空也上人が観音様を彫られお祀りしたのがそもそもの始まりとされ、寺号は正暦2年(991)、雨乞祈願の効験によって一条天皇より当時の年号が賜与されたものです。歴代綾部藩主も当寺を祈願寺として厚く外護したと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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法泉寺-愛媛県新居浜市

・法泉寺 高野山真言宗 愛媛県新居浜市垣生4-9-12法泉寺の創立年代と創立者等は不詳なれど延長年間(923~931)宇高古土居(富留土居)城主の菩堤所として開創されたとつたえられている。(リンク先より) << 戻る
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真照院-山口県山口市

・真照院 真言宗御室派 山口県山口市秋穂二島5106当山は、寛平8年(896年)近江国石山寺観賢僧正の開創と伝えられています。朝日山正観寺千光院と号し、七堂伽藍整った真言秘密伝法灌頂の道場でした。ところが天正14年(1586年)火災に遭い堂宇消失し、天正16年(1588年)真善坊に合併されました。(リンク先より)・真照院
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大安寺-奈良県奈良市

・大安寺 高野山真言宗 奈良県奈良市大安寺2-18-1大安寺は、聖徳太子が平群郡額田部に熊凝道場を創建したことに始まります。やがて百済大寺、高市大寺、大官大寺と名と所を変え、平城京に移って大安寺となりました。この間の事情を『三代実録』元慶四年(880年)冬十月の条には次のように記します。 「昔日、聖徳太子平群郡熊凝道場を創建す。飛鳥の岡本天皇、十市郡百済川辺に遷し建て、封三百戸を施入し、号して百済大寺と曰う。子部大神、寺の近側にあり、怨を含んで屡々堂塔を焼く。天武天皇、高市郡の夜部村に遷し立て、号して高市大官寺といい、封七百戸を施入す。和銅元年平城に遷都し、聖武天皇詔を下して律師道慈に預け、平...
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影現寺-奈良県葛城市

・影現寺 高野山真言宗 奈良県葛城市柿本161当山は大和葛城山のふもとに位置し、西暦858年お大師様の高弟柿本紀真済僧正の開基で、当山と並び位置する柿本人麻呂を祀る柿本神社を護持する神宮寺として創建されました。(リンク先より) << 戻る
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豊乗寺-鳥取県八頭郡

・豊乗寺 高野山真言宗 鳥取県八頭郡智頭町大字新見73宇谷山豊乗寺(ぶじょうじ)はの本尊は阿弥陀如来。平安時代の嘉祥年間(845年~851年)、空海の法弟である真雅による開基と伝えられる。<< 戻る
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熊谷寺-和歌山県伊都郡

・熊谷寺 高野山真言宗 和歌山県伊都郡高野町大字高野山501当寺は圓光大師(法然上人)・見真大師(親鸞上人)・熊谷蓮生法師(熊谷直実公)の御旧跡、法然上人二十五霊場の番外札所です。当寺は桓武天皇(737~806)の皇子、葛原親王(786~853)の御願により、承和4年(837年)に建立せられ、宗祖弘法大師(774~835)の法孫、真隆阿闍梨が初代住職です。(リンク先より) << 戻る