静岡県

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可睡斎-静岡県袋井市

・萬松山 可睡斎 曹洞宗 静岡県袋井市久能2915-1創立 応永八年(1401年)開山 如仲天誾禅師(じょちゅうてんぎんぜんじ)本尊 聖観世音菩薩を本尊とし、高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と太祖常済大師(たいそじょうさいだいし)を両祖とします。さらに宗派を越えて古来より火伏せの神とあがめられて全国津々浦々に奉祀 されている秋葉様の日本唯一のご真躰を安置されている秋葉総本殿三尺坊大権現の道場である。(リンク先より) << 戻る
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蔵興寺-静岡県浜松市南区

・蔵興寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区新橋町1325-1山号を金剛山・寺号を密厳蔵寺と称し真言宗にして当時隆盛を極めたが、その後幾多の盛衰を経て後小松天皇の御代、応永三年(1396)記室禅師が入寺して臨済宗に転ずる。遠州、奥山、大本山方広寺派に属し山号を宝的山、寺号を蔵興寺と改称し、大通院塔頭、竜珠菴と合併し今日に至る.(通称、虚空蔵寺)(リンク先より) << 戻る
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地蔵院-静岡県浜松市南区

・地蔵院 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区高塚町4516護法山 地蔵院(臨済宗方広寺派大通末)は明徳元年(1390)に元道円密和尚により創建されました。元道円密和尚は、後醍醐天皇の子 宗良親王と共に遠州に入った公家出身の武士であり、親王が元中二年(1385)に亡くなると出家して当地高塚に庵を結んだとされています。(リンク先より) << 戻る
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甘露寺-静岡県駿東郡

・甘露寺 曹洞宗 静岡県駿東郡小山町菅沼681寺伝によると、甘露寺が菅沼のツウジハナの地に建立されたのは、嘉慶かけい元年(1387)といわれています。この年は、南北朝統一の5年前、南北朝分裂の時代【建武2年(1335)~元中9年(1392)の57年間】の末期にあたります。開基は、大楠公楠木正成くすのきまさしげ公の孫に当る、楠木正勝まさかつ公と伝えられています。正勝公は若く血気盛んな頃に、南朝方の武将として吉野山の西部十津川方面で戦いました。その敗色のこい戦いで、人間の運命のはかなさを知り、仏門に帰依きえし、正巌徳勝和尚しょうがんとくしょうおしょうとなり、ここ駿河国御厨みくりや郷菅沼ツウジハナの...
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西福寺-静岡県浜松市浜北区

・西福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区平口523至徳二年1385年の棟札が有ったことから、その頃にはこの地に開かれていたと思われます。その後文安元年1444年 浜松市北区、大本山方廣寺開山 無文元選禅師円明大師を開山に請じ現在に至ります。(リンク先より) << 戻る
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方広寺-静岡県浜松市北区

・方広寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市引佐町奥山1577-11371年、無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)は、当地を治めていた豪族奥山六郎次郎朝藤(おくやまろくろうじろうともふじ)の招きにより、奥山家の治めていた所領のうちから60町歩の土地と建物を寄進され、ここに方広寺を開かれました。無文元選禅師を御開山と称し、奥山六郎次郎朝藤を開基と称します。(リンク先より) << 戻る
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法雲寺-静岡県富士市

・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県富士市今泉5-6-48創建は室町時代初期の文和2年(西暦1353年)、鎌倉 建長寺の僧 用堂和尚がこの地を訪れた際、岩石が重畳し清水が湧き希に見る素晴らしい景観であったことに魅せられ、錫を留めて寺を建て、法雲寺と称したとされています。その後、この地を治めていた戦国武将の今川家・徳川家の庇護を受け、寺運は盛んとなりました。(リンク先より) << 戻る
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宝珠寺-静岡県磐田市

・宝珠寺 臨済宗妙心寺派 静岡県磐田市豊島668創立は観応元年(一三五〇)。初めは鎌倉の円覚寺派に属していましたが、江戸時代初期に妙心寺派となりました。天正十八年十二月二十三日太閤秀吉公より寺領三十二石九斗五升御配分御判物を賜ります。 (リンク先より) << 戻る
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西光寺-静岡県磐田市

・西光寺 時宗 静岡県磐田市見付3353-1文永2年(1265)4月8日に、真言宗の傾木和尚が、この地にお堂を建立されました。その後、12年の年月を経てようやく寺院の形が整い、ご本尊の開眼を迎えるだけになりました。傾木和尚は、ご本尊の開眼を当時一切衆生の済度を志し、全国を遊行されている一遍上人にお願いしたいとお考えになりました。(リンク先より) << 戻る
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新豊院-静岡県富士市

・新豊院 曹洞宗 静岡県富士市岩淵328正治元年(1199年)真言宗 光明山 心包院として創立されまた。天文4年(1535年)藤枝市 金龍山 心岳寺三世学叟昌文大和尚により曹洞宗に改宗、延宝7年(1679年)六世海印道空大和尚の代になり伽藍整備のうえ 光福山新豊院と改めました。(リンク先より) << 戻る
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芳蘚寺-静岡県浜松市中区

・芳蘚寺 真宗大谷派 静岡県浜松市中区池町225-18天台宗としての開創は平清盛が太政大臣(ダジョウダイジン)に就任して、その3年目の嘉応元年(1169)である。(リンク先より) << 戻る
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広渡寺-静岡県田方郡

・広渡寺 浄土宗 静岡県田方郡函南町間宮193開基 義延上人(ぎえんしょうにん)。石箏阿闍梨(せきそうあじゃり)と称し、下野国(しもつけのくに、今の栃木県)の豪 藤原文信の子にして、父文信の志願に依り、同国薬師寺の願得上人の門弟となる。石箏阿闍梨は、たびたび薬師の霊告を受け、天慶3年(940年)当国に来り、有縁の霊地を求め、一宇を草創して大蓮寺と称す。(リンク先より) << 戻る
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大覚寺-静岡県焼津市

・大覚寺大覚寺 曹洞宗 静岡県焼津市大覚寺1204嘉祥三(850)年、嵯峨天皇御領、入江荘を開き、伝弘法大師作薬師如来を本尊として真言宗大覚寺が開創されました。現在の「焼津市大覚寺」の地名としてこの地に残っています。たび重なる天災地変を受け大覚寺の法灯は永延二(998)年、荘園郷主大覚寺屋敷「本家 槇田家」の菩提寺として天台宗善修庵にひきつがれ、弘治三(1553)年曹洞宗全珠院に改められ、今日までの法灯を伝えています。(リンク先より) << 戻る
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玉泉寺-静岡県駿東郡

・玉泉寺 曹洞宗 静岡県駿東郡長泉町南一色149嵯峨天皇の御代 平安初期弘仁2年(811)弘法大師の弟子(不詳)がこの地,長泉に開林し創建すると伝えられる。以後780年間は真言宗の寺であったが、慶長5年5月 裾野市定輪寺である分翁守在禅師が曹洞宗に改宗して開山となる。(リンク先より) << 戻る
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修禅寺-静岡県伊豆市

・修禅寺 曹洞宗 静岡県伊豆市修善寺964大同2年(807年)、弘法大師に依って開創され、その後約470年間は真言宗として栄えました。鎌倉時代になり、中国から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が入山して臨済宗に改宗。臨済時代は二百数十年間続きました。(リンク先より) << 戻る
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醫王寺-静岡県磐田市

・醫王寺 真言宗智山派 静岡県磐田市鎌田2065-1天平6年〜20年(734〜748)聖武天皇の勅命を奉じて、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が当地を訪れ、この地に薬師如来の霊験ありとし、山内の名木で薬師如来の尊像を一刃三礼のもとに敬刻、ご本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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尊永寺-静岡県袋井市

・尊永寺 高野山真言宗 静岡県袋井市豊沢2777神亀2年(725年)聖武天皇の勅(みことのり)により行基上人が開山した高野山真言宗別格本山である法多山は、勅願定額寺の列に偶せられ、朝廷、武将の篤信を授け信仰、文化の殿堂として栄えています。(リンク先より) << 戻る
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岩水寺-静岡県浜松市浜北区

・岩水寺 高野山真言宗 静岡県浜松市根堅2238神亀2年(西暦725年)。人々の病気平癒、健康長寿を祈念した行基菩薩が薬師如来の尊像を刻み、開創されました。この総本尊様である薬師如来様は、弘仁6年(西暦815年)春、先年の薬子の変にて心身痛められておられました嵯峨天皇に、病魔退散の祈願をし、天皇は健康を取り戻されたと伝わっております。(リンク先より) << 戻る
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蓮華寺-静岡県周智郡

・蓮華寺 天台宗 静岡県周智郡森町森2144慶雲元年(704)文武天皇の勅願により行基菩薩が開創した森町で一番古いお寺です。当山は飛鳥時代から奈良時代にかけて建立された法相宗の東海の本山として周囲4Kmに及ぶ寺領を有りし1300年の歴史と歴代住職139代を数え、その間数多くの傑出した高僧を排出しています。(リンク先より) << 戻る
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鴨江寺-静岡県浜松市中区

・鴨江寺 高野山真言宗 静岡県浜松市鴨江4-17-1遠州地方の民話で知られる芋堀長者が観音堂を建てたいと願っております時、(奈良の高僧)行基菩薩様が東国へ来られました。長者は菩薩に文武天皇の勅願所として観音堂を建てる事を願いでました。大宝二年六月十八日ついに帝の特許があり、一夜の内に用材が曳馬の里に信水に乗じて集まったと云われています。その後、工事は順調に進み七堂伽藍輪奐の美をなしたそうです。これが鴨江寺創建の因縁であります(リンク先より)※大宝二年 702年 << 戻る
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油山寺-静岡県袋井市

・油山寺 真言宗智山派 静岡県袋井市村松1遠州三山の一つ医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)は、大宝元年(701)に行基大徳によって開山された真言宗のお寺です。全ての人の穏やかな暮らしと無病息災を祈り、行基大徳は本尊の薬師如来を奉安されました。油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに由来しています。(リンク先より) << 戻る