臨済宗大徳寺派

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大仙院-京都府京都市北区

・大仙院 臨済宗大徳寺派 京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1 ※掲載内容の再確認をしたところ表示できなかったためリンクを外しています(2019年12月)。 << 戻る
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泊船寺-東京都品川区

・泊船寺 臨済宗大徳寺派 東京都品川区東大井4-5-2<< 戻る
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東海寺-東京都品川区

・東海寺 臨済宗大徳寺派 東京都品川区北品川3-11-9<< 戻る
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清光院-東京都品川区

・清光院 臨済宗大徳寺派 東京都品川区南品川4-2-35<< 戻る
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国分寺-長崎県壱岐市

・国分寺 臨済宗大徳寺派 長崎県壱岐市芦辺町中野郷西触725・薩摩 ⇒ 西海道 壱岐 島分寺 ⇒ 対馬<< 戻る
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慈光院-奈良県大和郡山市

・慈光院 臨済宗大徳寺派 奈良県大和郡山市小泉町865寛文3年(1663) 小泉藩二代目藩主の片桐石見守貞昌(石州)が、初代藩主である父貞隆(慈光院殿雪庭宗立居士)の菩提寺として自分の領地内に、大徳寺185世玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺院。(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-大阪府堺市堺区

・祥雲寺 臨済宗大徳寺派 大阪府堺市堺区大町東4-2-7山号を龍谷山、俗称松の寺といい、豪商谷正安を開基、沢庵宗彭を開山とする。徳川時代の初め、沢庵に帰依する正安は、夭折した子供の菩提のため寺院創建を発願した。だがそのころ、新地での寺院建立は法で禁じられていた。折しも大坂夏の陣(元和元年=1615)で焼失した南宗寺の復興に尽力していた沢庵は、同じく夏の陣で焼失した海会寺を南宗寺山内に移転再建し、その跡地に新寺を建立することにした。寛永2年(1625)から同5年にかけて正安は海会寺跡地に方丈、庫裡などを造営、瑞泉寺と号して沢庵を勧請開山に迎えた。これに伴い南宗寺と法類の縁が結ばれた。その後、同9...
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祥雲寺-東京都渋谷区

・祥雲寺 臨済宗大徳寺派 東京都渋谷区広尾5-1-21祥雲寺は、大本山が特賜興禅大燈国師開山の京都紫野大徳寺で、山号を瑞泉山という。筑前福岡城主黒田忠之の開基で、開山は龍岳宗劉。はじめ忠之の父・長政は、龍岳の道徳を崇敬し、しばしばその法話を聞いていた。長政が元和9年(1623)に歿すると、忠之は父の冥福を祈るために、赤坂溜池の邸内に一寺を建立。 長政の法名・興雲をとって龍谷山興雲寺と号し、龍岳和尚を請じて開山としたのが、当山の起立である。(リンク先より) << 戻る
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宝城庵-大阪府三島郡

・宝城庵 臨済宗大徳寺派 大阪府三島郡島本町桜井3-11-1臨済宗 大徳寺派 補陀山と号す。本尊 聖観世音菩薩 創立年月不詳。往古天台宗応塔寺(小字応堂寺山が現存)の寮舎であったが、天文年間(1532~54)兵火にかかり全焼したとされます。当時の住職宗安僧正の徒弟明宕は、再興の志を継ぎ、禅門に入って修学し、元亀(げんき)2(1571)年、現在地に庵室を立て宝城庵と称し、禅宗に改めました。(リンク先より)・宝城庵-山崎観光案内所
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徳蔵寺-東京都東村山市

・徳蔵寺 臨済宗大徳寺派 東京都東村山市諏訪町1-26-3徳蔵寺の創立は永禄3年(1560)、開山年は元和年中(1615~1623)と伝えられている。徳蔵寺は当時赤坂種徳寺末であったが、徳蔵寺に住した全叟由禅師は寺の復興に尽力し、 璧英禅師を奉請し中興開山となって頂き、全叟由禅師「自ら」は徳蔵寺中興2代(世)となった。(リンク先より) << 戻る
人物

一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶で詩人。説話「一休さん」のモデルとしても知られます。号に狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、国景(こっけい)があり、諱を宗純(宗順)といいます。出生地は京都で、後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。母親の出自は不明ですが、後小松天皇説に沿えばその官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられ、三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。幼名は、後世史料によると千菊丸とされています。6歳で京都の安国寺の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)に入門し、周建の名前を授かり...
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酬恩庵一休寺-京都府京田辺市

・酬恩庵一休寺 臨済宗大徳寺派 京都府京田辺市薪里ノ内102元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩...
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宗鏡寺-兵庫県豊岡市

・宗鏡寺 臨済宗大徳寺派 兵庫県豊岡市出石町東條33開基は、当時の出石城主で山名陸奥守氏清公であり、寺名は氏清公の法名「宗鏡寺殿」を以って名づけたと伝えられ、1392年に建てられました。山陰唯一の伽藍を誇っていましたが、織田信長の但馬征伐で山名家が滅び、寺もまた荒廃しました。(リンク先より) << 戻る
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承福寺-福岡県宗像市

・承福寺 臨済宗大徳寺派 福岡県宗像市上八1373安延山承福寺は釈迦如来を本尊とし文殊菩薩・普賢菩薩を脇侍仏として奉る臨済宗大徳寺派一等地の寺です。はじめ当山は600年ほど前の応安年(1373)その当時の禅界に重きをなした大応国師より三代目の法孫勅諡正続太祖月庵宗光禅師を勧請開山とし、宗像社僧高橋助法橋安延大徳の開創せるものであります。(リンク先より) << 戻る
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大徳寺派(本山大徳寺(京都))の開派

正和4(1315)年、宗峰妙超禅師により始まる。大徳寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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寿福寺-福岡県福岡市西区

・寿福寺 臨済宗大徳寺派 福岡県福岡市西区今津303寿福寺の歴史は、正確なものは分かっていませんが、西暦1200年以前に創建されたものと思われます。初めは、真言宗の寺院として創建され、1192年~1196年頃、栄西禅師によって禅宗へと改宗され、現在にいたっております。(リンク先より) << 戻る