熊本県熊本市中央区(曹洞宗)

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宗岳寺-熊本県熊本市中央区

・宗岳寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区上林町3-45創建由緒は未詳の部分が多いが、はじめは天台宗の寺で「妙心寺」と号したと いわれている。天正19(1591)年、肥前長崎より玄雪栄頓大和尚を請して中興開山とした。 その際に最も功績のあったのが加藤清正公の一族、田寺久太夫であり、「開基」 とされている。久太夫の法号「泰雲宗岳大禅定門」から「泰雲山宗岳寺」と称する ようになった。清正公の築城以来、当寺が城の北東の方角、表鬼門に当たること から、城の鎮護寺とされてきた。(リンク先より) << 戻る
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禅定寺-熊本県熊本市中央区

・禅定寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区横手1-9-6天正文禄の比(1532年~1554年)、宣安明言大和尚(禅師)が龍田山の麓で廃寺となった壽福山常楽寺を再興開闢されたことにより本寺の歴史が始まっております。戦国の世であった当時、幾多の困難を乗り越えられた宣安明言大和尚(禅師)は加藤清正公(肥後国主)の重臣であった並河志摩守より崇信を受け、加藤忠広公(加藤清正公実子)および並河志摩守、南条元宅(加藤家重臣)が加藤清正公より許可を得て建立されております。(リンク先より) << 戻る
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国分寺-熊本県熊本市中央区

・国分寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区出水1-1-56・肥前 ⇒ 西海道 肥後 国分寺 ⇒ 日向国分寺は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院です。国分僧寺と国分尼寺に分かれます。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」です。(リンク先より)<< 戻る