浄土真宗本願寺派

便り

覚成寺-岐阜県安八郡

・覚成寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県安八郡安八町西結701本尊は行基作と伝える阿弥陀如来(※1)。寺伝によると、初め天台宗であったが文明12年(1480)願了のとき真宗に改宗という。蓮如は宗祖親鸞の旧跡を巡拝した際に当寺に立ち寄り宿泊した。(リンク先より) << 戻る
便り

本願寺鷺森別院-和歌山県和歌山市

・本願寺鷺森別院 浄土真宗本願寺派 和歌山県和歌山市鷺森1鷺森別院の開創は、本願寺8世、蓮如上人の昔にさかのぼります。文明8年(1476)、上人が河内国出口(枚方市)におられた頃、紀伊国阿間郡冷水浦(海南市)に住む喜六大夫は、上人の弟子となって法名を了賢と名のり、村内の飯盛山に一宇の道場を建立しました。これが冷水道場(現在の了賢寺)で、鷺森別院の起源をなすものです。同年十月、了賢に下付した親鸞・蓮如の連座像(二尊像)は、蓮如上人による紀州開教の歴史的宝法物として今も別院に大切に保管されています。(リンク先より) << 戻る
便り

了賢寺-和歌山県海南市

・了賢寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県海南市冷水浦483文明8年(1476年)3月に紀伊国阿間郡(きいのくに あまのこうり)清水浦の住人、喜六太夫(きろくだゆう)が熊野街道の藤白峠の『御所の芝』(別名『後世の芝』)にて、熊野参詣の途中の本願寺第8代宗主(しゅうしゅ)蓮如上人に出会い、上人より直々に「他力念仏の教え」を教導いただく。 上人熊野よりの帰路の途中、喜六太夫の案内により清水浦に立ち寄られ、太夫の自宅にて更に教えを受け、太夫は浄土真宗のみ教えに帰依し、上人の直弟子となって、「釋了賢(りょうけん)」という法名を頂きました。その後、自宅に上人直筆の「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)の六字名号(ろ...
便り

浄明寺-千葉県船橋市

・浄明寺 じょうみょうじ 浄土真宗本願寺派 千葉県船橋市楠が山町231浄明寺の沿起は、文明6年(1474年)本願寺中興の祖と称されます蓮如上人(れんにょしょうにん)が、越前の国吉崎(福井県)に下向されておられました時、美濃国(現在の岐阜県)に天台崇僧が吉崎に行き、蓮如上人に帰依して名を西蓮(さいれん)と改め、念仏の道を広めるために越中の野積谷(のずみだに)に一寺を建立した時を縁起とします。(リンク先より) << 戻る
便り

徳性寺-石川県加賀市

・徳性寺 浄土真宗本願寺派 石川県加賀市山中温泉菅谷町ヘ30当寺の「御旧跡略縁起」「天保由緒書」によりますと、往古は天台宗豊原三千坊の一宇で西潟の西芳寺と称したとあります。本願寺の八代目、蓮如上人が加賀越前の境の吉崎に滞在中、文明五年(1473)加賀の山中温泉ご入湯の途中、当菅谷村に立ち寄られました。上人は越前藤島の超勝寺より、国境の大内峠を越えて、当寺の前の石に腰を掛け休憩されました。(リンク先より) << 戻る
便り

勝興寺-富山県高岡市

・勝興寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市伏木古国府17-1本願寺八世蓮如上人が、文明3年(1471年)越中の布教の拠点として、砺波郡蟹谷庄土山(現在の南砺市福光土山)に土山御坊を開き、蓮如の子孫が代々住職を務めました。本願寺が門跡に任ぜられると他の寺院と共に院家に任ぜられるなど、真宗王国越中における代表的寺院であると同時に、本願寺を支える連枝寺院の一つとして重要な働きをなしてきました。永正14年(1517年)寺号を本山に申請したところ、佐渡にあって廃絶していた順徳上皇勅願所「殊勝請願 興行寺」を再興相続して、勝興寺と称することを認められました。(リンク先より) << 戻る
便り

本願寺堺別院-大阪府堺市堺区

・本願寺堺別院 浄土真宗本願寺派 大阪府堺市堺区神明町東3-1-10蓮如上人は遣明船が帰港した翌年、文明2年6月に堺南庄の紺屋道場円浄に寿像(蓮如上人の肖像)を授けられ、同年10月には堺北庄の山口中町の樫木屋道場道顕に親鸞聖人御絵伝を、さらに文明8年(1476年)には同じく道顕に対して開基道祐の影像を、それぞれ免許されました。(リンク先より)※文明2年 1470年 << 戻る
便り

光圓寺-広島県広島市中区

・光圓寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市中区寺町5-43光圓寺は、佛護寺十二坊の一つで、往古から川の内衆であって、安藝郡牛田村風呂の谷に所在し、宗旨は眞言宗であったが「願了」の代に、京都本願寺蓮如上人の弟子となり文明年間(室町時代1470年ごろ)浄土真宗に改宗し、初めは本願寺と号したが、本願寺派になった後東林坊と改めたと言われる。(リンク先より) << 戻る
便り

称名寺-大阪府茨木市

・称名寺 浄土真宗本願寺派 大阪府茨木市主原町5-37文明年間(1469~1486)に称名寺開基祐西が、蓮如上人に帰依し、念仏道場より始まった寺院で、永正17年(1520)に本願寺より方便法身尊像を授かる歴史の長い寺院です。(リンク先より) << 戻る
便り

白禅寺-福井県福井市

・白禅寺 真宗大谷派 福井県福井市三尾野町6-85当寺は、昔、曹洞宗で、もと丹生郡山下飯郷若須村にある曹洞宗柏庭寺の別院で「白蓮禅寺」といい、丹生郡織田村にありました。文明年間八世蓮如上人に帰依し、曹洞宗から真宗に改宗し、現在の福井市三尾野町に移り、寺号を「白禅寺」と改称しました。(リンク先より)※文明年間 1469年から1487年 << 戻る
便り

教蓮寺-愛知県西尾市

・教蓮寺 ホームページ 浄土真宗本願寺派 愛知県西尾市吉良町荻原川中24-1教蓮寺は応仁2年(1468年)に本願寺8代門主蓮如上人の教化を受け、当時吉良家の士族であった小野氏が出家してお弟子となり、法名釋明源をいただき、明源山教蓮寺を建立しました。寺号は蓮如上人より教えを受けたと言うことで、教えの「教」と、蓮如上人の「蓮」をいただき、「教蓮寺」となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

本宗寺-愛知県岡崎市

・本宗寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 愛知県岡崎市美合町字平地50応仁2年(1468年) 本願寺第八世の法主蓮如上人が、三河御巡化の折り、真宗繁昌の中心たるべき寺院として、額田郡土呂の郷に創建されました。蓮如上人につづき、第九世実如法主も本宗寺を拠点として三河門徒教化につとめられ、四男実円上人を本宗寺の初代住職に任ぜられました。(リンク先より) << 戻る
便り

聞名寺-富山県富山市

・桐野山聞名寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町今町1662聞名寺がはじめて越中に入ったのは応仁二年(1468)、本格的に拠点を移したのは大永四年(1524)であったと伝えます。八尾南部の山間地(乗峰や倉ヶ谷など)を経て、福島の台地に一旦寺域を構えましたが、越後上杉勢の来襲に備え、天文二十年(1551)、三方を崖に囲まれた旧い砦の址、「八尾前山」(現在地)に移りました。その後寛永十三年(1636)境内に八尾町建てがなされ、当寺は町そのものの母胎として今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
便り

専通寺-福井県福井市

・専通寺 浄土真宗本願寺派 福井県福井市荒木別所町8-351応仁元年 1467年 開基 専隆、専通院創建(天台宗) 室町時代、応仁の乱起こる寛文四年 1664年 三世大隆、浄土真宗に転宗し専通寺と改称する(リンク先より) << 戻る
便り

慶崇寺-福井県吉田郡

・慶崇寺 浄土真宗本願寺派 福井県吉田郡永平寺町松岡神明3-22平安時代中期(西暦950~970年頃)に安楽三十坊が建立されたことによる。安楽三十坊は現在の福井市堅達町にあって、長い間天台仏教の寺院集団として隆盛をきわめていた。堅達町の名前の由来も、天台宗の経文の中にある仏教用語だといわれている。また、1390年頃、比叡山の論争が数年におよび、安楽三十坊も衰微したが、主領寺である安楽院や地蔵院は残ったという。 天台宗の寺院として維持されていた安楽院(慶崇寺の前身)だったが、1464年頃、加賀山中において蓮如上人の高徳に帰依し、浄土真宗に改宗した。この時の住職が、初代了正である。三年後の1467...
便り

圓勝寺-兵庫県姫路市

・圓勝寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路市網干区宮内204.205圓勝寺の開創は1464(寛正5)年です。時は室町、八代将軍足利義政の時代に、現在地より100メートルほど東に建立されたことに始まります。足利義政といえば銀閣寺で有名ですが、当圓勝寺も赤松氏家臣の菩提寺として創建されたと伝えられています。 (リンク先より) << 戻る
便り

本福寺-滋賀県大津市

・本福寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県大津市長等3-3-351461(寛正2)年 大津・本堅田の本福寺第3代住職である法住は、布教伝道の拠点として各地に本福寺の支坊(支院)を建立した。その支坊のひとつである「外戸(せと)道場」として、大津・大門通に建立される。1468(応仁2)年 堅田に攻め入ってきた衆徒から親鸞聖人の御像をお守りするため、堅田から当寺へ御像をお移ししてお守りする。(翌年、大津・近松御坊へ御動座)1605(慶長10)年 外戸道場が手狭になったため、現在地である大津市長等3丁目(旧・東今颪町)に移転する。(リンク先より) << 戻る
便り

西教寺-広島県呉市

・西教寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市下長ノ木町16-10西教寺は、その昔は「華峰山光浄院と号」した真言宗の小刹(小さなお寺)であったと申します。その創立は不明でありますが、寛正(1460~1464)の頃より諦念阿闍梨が住して、当地方一帯を教化されましたが、1531(享禄4)年春遷化せられたのであります。そこで空き寺となったのであります(リンク先より) << 戻る
便り

正光寺-兵庫県尼崎市

・正光寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県尼崎市東大物町1-3-7天台宗の寺院であったが長禄年間、教専住職の時代に浄土真宗本願寺に帰依し、改宗したと伝えられています。その後、正光寺は大阪 天満の定専坊の末寺であったと記録されています。(リンク先より)※長禄年間 1457年から1460年 << 戻る
便り

広済寺-富山県高岡市

・福田山 広済寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市笹川98廣済寺は、むかし旧砺波郡福田郷の十禅師社之別当職真言宗攝生院と号した霊場であった。享徳元年(1452年)四月三日、住職慶榮及び信徒は浄土真宗に帰依し、同郡小栗郷内篠川村領(現在は笹川)に善徳他十数名により、難渋の数年を要して六町歩余の地を開墾し、その地を福田と名づけ堂宇を建立し廣済寺の寺号を賜わる。(リンク先より) << 戻る
便り

願勝寺-兵庫県宝塚市

・蓮光山 願勝寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県宝塚市平井1-13-32平井の里は、藤原道長(平安時代中期の公卿)の官房長官をつとめ和泉式部(平安時代中期の歌人)の再婚で知られる平井(藤原)保昌(平安時代中期の貴族)の出生地です。かつて平井家が勧請したと伝えられる平井山白山権現寺(今の平井自治会館の場所)が隆盛を誇っていた。もとは真言宗であったが、約400年以前、蓮如上人(本願寺第8世)の教化をうけて浄土真宗に改宗したと伝えられている。文安年間(1444〜1449)に蓮如上人自筆の名号を安置(現在不詳)慶長年中に本尊を阿弥陀絵像にし、承応2年(1653)に木仏を再興したと云われています。鐘楼は権現寺...
便り

西楽寺-広島県庄原市

・西楽寺 浄土真宗本願寺派 広島県庄原市中本町一丁目10‐101444年(文安元年) 芸藩通史には「戸郷村にあり、文安元年、僧存如、開基」とある寛文年代 三日市勝光寺文書に戸郷村西楽寺の記載有り。(リンク先より) << 戻る
便り

円照寺-兵庫県加古川市

・円照寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県加古川市志方町広尾1029寺号 月輪山円照寺本尊 阿弥陀如来像開基 嘉吉元年(1441年)現場所への移築 平成10年(1998年)(リンク先より) << 戻る
便り

嶺宿山専徳寺-広島県呉市

・嶺宿山専徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市広長浜3-13-211429年(応永27年)臨済宗仏通寺派を開いた愚中禅師が、この地を見て気に入り、寺院建立をすすめているとき、本郷沼田城主 小早川熈平が戦死者の冥福を祈ると共に、支配の及ぶ拠点として、この地に「嶺宿山専徳院」を建立。(現在の観音堂付近)(リンク先より) << 戻る
便り

西念寺-岡山県備前市

・西念寺 浄土真宗本願寺派 岡山県備前市日生町日生980応永年間(1414)頃 日生寺院=西念寺の前身できる文安年間(1444)頃 日生村長智寺(真言宗)の記録あり(那智熊野山文書) 中円坊か延徳年間(1490)頃 播州一帯に蓮如上人布教、日生寺院「六字名号」下附、一向宗に転ず(リンク先より) << 戻る
便り

称名寺-富山県黒部市

・含暉山称名寺 浄土真宗本願寺派 富山県黒部市荻生2711結城称名寺七代耀佛の次男、寂照が法師武者として越中に来て、明徳元年(1390)に朝日町道下に一宇を創建、布教に従事、当寺の開基となりました。その後、旧荻生地区辺(現在の一宿、青木等含む)を始め所々に道場を建て教勢を拡張していったのが、含暉山称名寺の由来であります。第5代(住職名不明)の時、信証の生まれた地名と結城の寺号から、芳賀称名寺と名のり、現在の地に建立(年代不詳、現境内にそのころの古木有り)、しかし、越後の長尾氏領内における一向宗禁令の余波により衰微の一路をたどります。(リンク先より) << 戻る
便り

称讃寺-奈良県橿原市

・称讃寺 浄土真宗本願寺派 奈良県橿原市和田町15-25当寺は南北朝時代の終期・明徳元年(1390年)に惣道場として建立されました。 以来、地域のご門徒方と共にお念仏の声を現在まで受け継いで参りました。(リンク先より) << 戻る
便り

蓮華寺-福島県会津若松市

・蓮華寺 浄土真宗本願寺派 福島県会津若松市昭和町1-10永和4/天授4~嘉慶元/元中4(1378~1387)年、僧・仁範が蓮華寺を草創。勝曼山。<< 戻る
便り

長生寺-神奈川県横浜市金沢区

・壽楽山・長生寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市金沢区六浦2-8-2長生寺は もとは真言宗で無量院と言い、釜利谷の小泉の谷戸にありましたが、康安元年(1361年)に六浦の荘、川村平分に移りました。文明年間に本願寺第8代門主、蓮如上人が関東遊化の折、野島から横須賀浦辺までの船中で時の住職が上人に帰依し、六字の尊号染筆と法名、釈頓乗を賜わり、天文元年(1532年)、浄土真宗に改宗し当山開基となりました。寺号を長生寺と改め、寛永年間現在の六浦の荘、三分に移築されました。(リンク先より) << 戻る
便り

玉永寺-富山県富山市

・玉永寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市水橋西大町560本県最古の本願寺門徒集団。本願寺三代覚如の長男存覚の『存覚袖日記』の1360年(延文5)閏4月条には越後柿崎庄(現新潟県柿崎町)に住む教浄房が持参した本尊軸に、存覚が、<越中国水橋門徒 越後国柿崎住人尼浄円本尊也>と書いたとある。この本尊軸は、法然・親鸞・如信・覚如の4祖を描いた先徳連座像で、これら先徳から法系が水橋門徒へと手継(継承)されたことを存覚が認めたことになる。(リンク先より) << 戻る
便り

正定寺-奈良県宇陀市

・正定寺 浄土真宗本願寺派 奈良県宇陀市室生区向渕8531347年(貞和4)存覚上人が、向渕を通られた際、馬場の長者の懇願により逗留され、翌年1月正定寺を開基された。1370年(応安3)には「源空(法然)聖人・親鸞聖人連座像」が下付される。(リンク先より) << 戻る
便り

善教寺-岐阜県加茂郡

・善教寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県加茂郡川辺町比久見344-1住職はまだまだ未熟ですが、温かいご門徒さんたちに支えられながら、心安らぐお寺、人の悩みに応えられるお寺を目指しております。地域に開かれた催しも行っていきますので、お気軽にお参りください。 創建正平2年(1347)、改宗(天台から真宗へ)慶長2年(1597)、現本堂慶應2年(1866)建立 << 戻る