曹洞宗

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祥雲寺-山口県周南市

・祥雲寺 曹洞宗 山口県周南市平野2-7-26正保2年(1645)平野村内の志願により十一面観音菩薩をまつる一庵を建立し、享保2年(1717)山口県周南市土井建咲院五代目住職祖椿大和尚の時代に曹洞宗寺院となり「祥雲庵」なりました。(リンク先より) << 戻る
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花岳寺-兵庫県赤穂市

・花岳寺 曹洞宗 兵庫県赤穂市加里屋1992創立 正保2年(1645)開祖 赤穂藩祖 浅野長直公開山 秀巌龍田大和尚霊場 「新西国第31番霊場」「瀬戸内観音第7番霊場」(リンク先より) << 戻る
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臨南寺-大阪府大阪市東住吉区

・臨南寺 曹洞宗 大阪府大阪市東住吉区長居公園1-32寺伝によれば、江戸時代正保2年(1645年)約370年前、天草代官などを歴任した鈴木三郎九郎重成公が先祖の菩提を弔うために、開山萬安英種禅師(後に宇治興聖寺を中興)を請し創建した寺。(リンク先より) << 戻る
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龍源寺-群馬県高崎市

・龍源寺 曹洞宗 群馬県高崎市吉井町多胡776『上野国郡村誌』に、「神保村仁叟寺末寺派、僧壽溯和尚開基、創建年号不詳」とあり、『多胡郡寺院明細帳』には、「正保元申年(1644)3月、僧壽溯創建、明治20(1893)6年1月23日焼失」、と記されている。(リンク先より) << 戻る
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柳澤寺-宮城県仙台市泉区

・柳澤寺 曹洞宗 宮城県仙台市泉区上谷刈字舘1当山は正保元年(西暦1644年)悦叟良観大和尚の開山です。宗派は曹洞宗 正傳の佛法です。御本尊は釈迦牟尼仏 (お釈迦様)です。(リンク先より) << 戻る
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桂岩寺-石川県金沢市

・桂岩寺 曹洞宗 石川県金沢市寺町1-6-46寛永十九年(1642年)金沢市傳馬町に創建されましたが、享保の大火のため現在の寺町に再建されました。文化・文政期に五百羅漢開基海運天麟和尚、真寶円戒和尚、僊洲欄牛和尚の3代にわたって約18年で五百羅漢を安置されました。(リンク先より) << 戻る
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永泉寺-秋田県由利本荘市

・永泉寺 曹洞宗 秋田県由利本荘市出戸町給人町44―開創― 寛永16年(1639年)―開山― 道叟道愛 (現在 四十二世)―開基― 本荘初代藩主 六郷兵庫頭政乗公―本尊― 聖観世音菩薩(リンク先より) << 戻る
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宮澤寺-岩手県盛岡市

・宮澤寺 曹洞宗 岩手県盛岡市本宮宮沢90宮澤寺は、江戸時代前期(1632年)、東顕寺六世・崇岳善寿大和尚によって開創されました。当初、地名にちなむ「本野山」の山号でしたが、いつのころか、今のように改めています。(リンク先より) << 戻る
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賴岳寺-長野県茅野市

・賴岳寺 曹洞宗 長野県茅野市ちの上原1753開創は、江戸時代初期の寛永8年(1631)でご開山(初代住職)は雙林寺(群馬県)十三世大通関徹大和尚 開基は高島藩初代藩主の諏訪頼水 頼水は諏訪大社にまつられる建御名方神(諏訪明神)の直系諏訪氏で諏訪氏は古代から中世まで諏訪の盟主 として君臨し江戸時代は高島藩三万石の大大名として栄えていた(リンク先より) << 戻る
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増福寺-東京都板橋区

・増福寺 曹洞宗 東京都板橋区赤塚7-14-5寛永8年(1631)に松月院住職により開かれた曹洞宗寺院です。境内に「南無阿弥陀仏」の名号を刻んだ、区内最大の板碑があります。この板碑は江戸時代から広く伝えられており、十方庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)による紀行、『遊歴雑記』弐編(文化12年・1815序)にも、「下赤塚村一町面了弁の名号石」として挿絵入りで紹介されています。それによると「・・・その石青く石面ざらざらとして至て堅く見ゆ、名号と蓮花座(れんげざ)と了弁の名のみ、文字大きく鮮かに、能く摺(すり)得かたし・・・」とあって、敬順自身がこの板碑を実見し、「南無阿弥陀佛」の名号の部分を中心に拓...
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常仙寺-群馬県高崎市

・常仙寺 曹洞宗 群馬県高崎市並榎町331並榎山常仙寺は、一六二八年(寛永五年)徳川家光の時代に、水運業を営む飯塚常仙(光徳院心徹常仙居士)が藤岡市森の泉通寺の四世である松齢恕嶽大和尚を開山として創建したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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智源寺-京都府宮津市

・智源寺 曹洞宗 京都府宮津市字京街道769寛永2年(1625)5月、宮津城主・京極丹後守高広公が、母堂・惣持院殿松渓智源大禅定尼追善のため建立し、心庵盛悦禅師を懇請して開山とした曹洞宗の寺院です。山号と寺号は、この松渓智源禅定尼より出ています。寛文元年(1661)、大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、丹後曹洞宗の諸寺を支配しました。(リンク先より) << 戻る
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玉雲寺-静岡県島田市

・玉雲寺 曹洞宗 静岡県島田市伊太584玉雲寺には寺伝もなく開創当初の事やその後の寺歴も伝わらないため、詳しいことは不明ですが、郷士歴や「山西洞家明細鑑」(大房暁著 昭和38年)では、寛永年間の開創とされています。最初は現在の場所より1キロほど北の山中、田代という地に建立され、正保年間(1644~1648年)に現在の地に移転したと伝えられています。(リンク先より)※寛永年間は1624年から1645年 << 戻る
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天徳院-石川県金沢市

・天徳院 曹洞宗 石川県金沢市小立野4-4-4元和九年(1623年)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩提のため、金沢城の東、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳院を創建した。寛永元年(1624年)初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉滴和尚を千葉県長安寺よりお招きし、天徳院第一世開山とした。(リンク先より) << 戻る
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法輪寺-和歌山県田辺市

・法輪寺 曹洞宗 和歌山県田辺市新屋敷町85当山は元和元年(1620年)田辺住まいの与力三十六人衆の一人である西郷孫右衛門が盟主となって創建されたものです。孫右衛門は遠江(静岡県)森の領主、大須賀五郎兵衛胤高公(徳川家康公に仕え五千石を拝領)に寵愛された人物で、主人である胤高公が慶長十四年に死去し、与力衆として田辺に移住した孫右衛門は、旧主の菩提を弔う為に胤高公(鷄足院殿傳誉法輪大居士)を開基とし、衣宗廣傅大和尚を招いて開山として創建され、現在末寺は十三ヶ寺を有りしています。(リンク先より) << 戻る
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恵運寺-和歌山県和歌山市

・恵運寺 曹洞宗 和歌山県和歌山市吹上3-1-66創建:1619年~1621年 開山:天厳(岩)玄達開基:山本弥三郎茂成(長昌公)牟呂城城主 天眞院星安長昌居士初代藩主徳川頼宣公と紀州徳川家の武運長久、廣厳無窮の安泰と山本家の顕祖長昌公の菩提を供養する為、紀州藩重臣山本圖書正春が禅寺を建立。(リンク先より) << 戻る
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金泉寺-埼玉県比企郡

・大龍山 金泉寺 曹洞宗 埼玉県比企郡嵐山町越畑1122当初東方山上の寺台に開祖南叟玄寿(なんそうげんじゅ)大和尚により元和四年(1618年)三月に建立されと伝えられています。その後、火災に遭い正徳五年(1715年)現在の地に再建されたと伝えられています。本尊に釈迦牟尼佛を安置(リンク先より) << 戻る
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西琳寺-千葉県夷隅郡

・西琳寺 曹洞宗 千葉県夷隅郡御宿町高山田1553西琳寺は、今から約700年前、鎌倉時代の中期に真言宗の寺院として開山された後、浄土宗時代を経て、江戸時代初期の1618年、現在の千葉県いすみ市万木の海雄寺の4世嶽應義賢大和尚により、海雄寺を本寺とする曹洞宗の寺院となりました。(リンク先より) << 戻る
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宗英寺-神奈川県横浜市青葉区

・宗英寺ホームページ 曹洞宗 神奈川県横浜市青葉区鉄町1783新編武蔵風土記稿によると、除地、2町8段4畝、村の西にあり、禅宗曹洞派、江戸渋谷長谷寺末、一抽山と号す、開山仁嶺寅怒元和3年5月21日寂す、開基は此の村の地頭加藤権右衛門景正なり、法名を大樹院一抽宗英と云、寛永7年8月卒す、客殿7間半に5間半未、坤の方に向かう、本尊釈迦木の座像にして長一尺ばかり、と書かれている。(リンク先より)※元和3年 1617年 << 戻る
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江巖寺-宮城県仙台市青葉区

・江巖寺 曹洞宗 宮城県仙台市青葉区柏木3-7-40政宗43歳、晩年に近づいていた政宗は、落ち着いた人情味を持ち、子供を思う気持ちが一段と強くなっていた。7歳といえば可愛い盛りである。そういう時に竹松丸君は夭折した。1615(元和元年)年3月18日のことである。 江巖寺開山鱗庵光 金大和尚(輪王寺十世)の導師にて慇勤に葬儀を営み「江巖寺殿惠春大禅定門」と法諡(おくりな)したが、政宗その死をいたく悲しんでいとけなき 人は見果し ゆめかとよ うつつに残る 老の身のうきと詠じ、竹松丸の菩提を弔うため一寺を創建して、微笑山江巖寺と号した。(リンク先より)<< 戻る
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慈眼寺-愛媛県新居浜市

・慈眼寺 曹洞宗 愛媛県新居浜市西の土居町2-16-47口碑によれば当時、金子備後守元宅は東予全軍の指揮をとるため高尾城(西条市氷見)に行き、兄に代わって金子城を守っていた弟の対馬守元春は、落城後戦で亡くなった人達の菩提を弔うため仏門に入り、奥州(福島県いわき市)の長源寺へ行き卓眼和尚の下で修行を積み、後に故郷の地に帰って生残りの者や戦死した子孫と力を合わせ、この戦で亡くなった将士の菩提を弔うため、金子城の館跡に一寺を建立し、松樹林正法山慈眼寺と呼びました。時は元和年間と伝えられており、また関庵本微和尚は対馬守元春の後身といわれております。(リンク先より)※元和年間 1615年から1624年 ...
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高音寺-宮城県亘理郡

・高音寺 曹洞宗 宮城県亘理郡亘理町逢隈十文字字牛頭190紅梅山 高音寺(こうばいさん こうおんじ)開創 1615年(元和3年)開山 大雄寺5世仲巖文堂大和尚(リンク先より) << 戻る
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盛岩寺-新潟県新潟市秋葉区

・盛岩寺 曹洞宗 新潟県新潟市秋葉区大安寺815元和元年(1615年)開山。2015年に開山400年を迎えた曹洞宗の古刹。本寺は五泉市の(旧村松町滝谷)慈光寺で末寺一寺を持つ。先代英鳳紀典和尚が新潟市江南区の(旧横越町沢梅)大榮寺の住職になり(リンク先より) << 戻る
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大安寺-青森県むつ市

・大安寺 曹洞宗 青森県むつ市大畑町本町80慶長19年(1614)本町坪家出身の禅達という僧が、大安寺道に庵を結び、曹洞宗の教義を布教したのが発祥とされている。寛永11年(1634)禅達が入寂し、しばらく無住であったところに一東異寅(いっとう いいん)が入庵して新寺造立に尽くし開山の僧となった。(リンク先より) << 戻る
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釣船寺-茨城県稲敷市

・釣船寺 曹洞宗 茨城県稲敷市浮島3583寺伝によれば、慶長19年(1614年)9月に美浦村(茨城県稲敷郡)の永厳寺十七世安芝門泰大和尚のご開山と伝わり、木原永巌寺の末寺でした。(リンク先より) << 戻る
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保安寺-埼玉県熊谷市

・箕甲山 保安寺 曹洞宗 埼玉県熊谷市箕輪180慶長18年(1613)江戸時代に開創される。開山 浄空院第四世仲山春的大和尚(1625年示寂)安永8年(1779)第九世照山禅亮大和尚が現在の本堂を建立する。天明6年(1786)頃土蔵・山門が建立される。(リンク先より) << 戻る
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泉岳寺-東京都港区

・曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺 曹洞宗 東京都港区高輪2-11-1泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。(現在の警視庁の近く)しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺はできあがったのです。(リンク先より) << 戻る
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桐岳寺-島根県松江市

・桐岳寺 曹洞宗 島根県松江市奥谷町279雲州大守堀尾忠氏公の次男小次郎君(吉晴公の孫)が慶長14年(1609)8月6日夭折し、忠氏公の後室御母長松院殿がその菩提を弔うために、翌慶長15年(1610)8月能義郡広瀬富田郷桜崎に一宇を建立し、戒名に因み「桐岳寺」と称し、御開山(初代住職)に伯耆国倉吉、定光寺8世龍岳道門大和尚を勧請したのが始まりです。(リンク先より) << 戻る
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晧臺寺-長崎県長崎市

・晧臺寺 曹洞宗 長崎県長崎市寺町1海雲山 晧臺寺は、今からおよそ400年前、慶長13年(1608)、 肥前国松浦郡山口村(佐世保市相浦町)飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建されました。当時、長崎は領主をはじめ住民の殆どがキリシタン信者であり、仏法復興のために奮闘した亀翁の苦心は想像に余りあるものでした。 慶長18年(1613)、キリシタン禁教例の発令により全盛を誇ったキリシタンにも次第にかげりが見え始めました。 そこで亀翁は、後任に肥前国上佐嘉春日村(佐賀県佐賀郡大和町)玉林寺住持一庭融頓を迎え、その法席を譲りました。(リンク先より) << 戻る
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法龍寺-愛媛県松山市

・法龍寺 曹洞宗 愛媛県松山市柳井町3-8-14法龍寺の開創は松山藩松平家初代藩主松平定行が掛川城に入城した1607年(慶長12年)ごろまで遡る事が出来ます。掛川領内に永興院という寺院があり、定行公はその住職 建庵順佐和尚(法龍寺開山)を城に招いたり、自ら永興院を訪ねたりして深く帰依したと「法龍寺歴代記」にあります。(リンク先より) << 戻る
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龍顔寺-長野県上田市

・龍顔寺 曹洞宗 長野県上田市生田4659当寺は慶長12年(1607年)真田宮内之助高勝公(附系図参照)の菩提寺として、信州上田城主、真田信之公の朱印状により開創されました。高勝は信光とも称し、上田城主、真田昌幸公の弟にして、幸村はその甥に当たります。開山は葉山存荷大和尚(1620年示寂)であり、甲府市恵運院二世光厳東旭大和尚の二番弟子です。兄弟子は松山存宿大和尚といい、上田市大輪寺の開山大和尚です。(リンク先より) << 戻る
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徳常寺-千葉県君津市

・玉龍山 徳常寺 曹洞宗 千葉県君津市上湯江980貞元村上湯江にあり玉龍山と号す。境内百参拾九坪、西南に丘陵を繞らし北方には雑樹鬱蒼として茂り風致佳にして高燥の地なり。本尊は阿彌陀如來にして丈四尺餘、僧源信の作と云ふ。境内に藥師堂あり、藥師佛を安置す。丈壹尺、同じく源信の作と傳ふ。宗派は曹洞宗にして最勝福寺の末寺なり。天正八年の田地畑道改帳に本寺の名を載す。傳へ云ふ、慶長十一年再興、元和六年七月十二日、中興開山を武準昌藝とす。寳永五年二月、凉山久清再建すと。(リンク先より)※慶長十一年 1606年 << 戻る