日本の出来事(仏教以外)

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南北朝の対立

1336年、南北朝の対立。南朝・・・後醍醐天皇は吉野にのがれ、そこで政治を続けようとした。北朝・・・京都に入った足利尊氏は、新しい天皇をむかえた。<< 戻る
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足利尊氏が挙兵

1335年、足利尊氏が挙兵。<< 戻る
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建武の新政

1334年、建武の新政。後醍醐天皇が、公家と武士を統一して天皇中心の政治を始める。しかし、その政治は貴族(公家)を重んじ、武士への恩賞も少なかったので、武士の間に天皇の政治への不満が高まった。<< 戻る
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鎌倉幕府が滅びる

1333年、鎌倉幕府が滅びる。楠正成・新田義貞・足利尊氏らが後醍醐天皇に味方。<< 戻る
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後醍醐天皇が隠岐に流される

1332年、後醍醐天皇が隠岐に流される。<< 戻る
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元弘の変

1331年、元弘の変。後醍醐天皇が鎌倉幕府を討とうとしたが、失敗。<< 戻る
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正中の変

1324年、正中の変。<< 戻る
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後醍醐天皇が即位

1318年、後醍醐天皇が即位。<< 戻る
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幕府が徳政令を出す

1297年、幕府が徳政令を出し、御家人の困窮を救う(永仁の徳政令)。<< 戻る
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弘安の役

1281年、弘安の役。元が再度博多に来襲。14万の大軍で迫ったが、日本軍の応戦と暴風のために壊滅した。<< 戻る
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文永の役

1274年、文永の役。元の大軍が来攻、対馬・壱岐、次いで博多付近に上陸したが、暴風雨によって引き上げた。元寇。<< 戻る
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北条時宗が執権となり、元の使者を追い返す

1268年、北条時宗が執権となり、元の使者を追い返す。<< 戻る
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「平家物語」「小倉百人一首」「源平盛衰記」などが著される

1235年、このころ「平家物語」「小倉百人一首」「源平盛衰記」などが著される。<< 戻る
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御成敗式目(貞永式目)

1232年、御成敗式目(貞永式目)がつくられる。第3代執権北条泰時がつくった最初の武士による法律(全51か条)。<< 戻る
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六波羅探題をおく

1221年、京都に六波羅探題をおく。→朝廷や西国の武士を監視。<< 戻る
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承久の乱

1221年、承久の乱。<< 戻る
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北条政子が政治の実権をにぎる

1219年、北条政子が政治の実権をにぎる。「尼将軍」<< 戻る
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源実朝が暗殺される

1219年、源実朝が暗殺され、源氏が3代で絶える。<< 戻る
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「新古今和歌集」が編さんされる

1205年、藤原定家らが「新古今和歌集」を編さんする。<< 戻る
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源実朝が3代将軍となる

1203年、源実朝が3代将軍となる。<< 戻る
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執権政治が始まる

1203年、このころ執権政治が始まる。初代執権は北条時政。<< 戻る
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源頼朝が亡くなる

1199年、源頼朝が亡くなり、実権が北条氏に移る。<< 戻る
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源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府を開く

1192年、源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府を開く。頼朝は、おもに関東の武士を家来とし、武士の政府をつくっていった。頼朝の家来になった武士を御家人という。→御恩と奉公。封建制度。<< 戻る
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源頼朝が奥州で義経を討つ

1189年、源頼朝が奥州で義経を討つ。<< 戻る
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源頼朝が全国に守護・地頭をおく

1185年、源頼朝が全国に守護・地頭をおく。<< 戻る
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平氏が北九州にのがれ、壇ノ浦で滅びる

1185年、平氏が北九州にのがれ、壇ノ浦で滅びる。源範頼、義経らに攻められる。<< 戻る
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木曽の源義仲が京都に入る

1183年、木曽の源義仲が平氏を攻めて京都に入る。<< 戻る
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「保元物語」「平治物語」ができる

1183年、このころ「保元物語」「平治物語」ができる。<< 戻る
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福原に遷都

1180年、福原に遷都。 << 戻る
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源頼朝が関東で兵をあげる

1180年、源頼朝が平氏を討つため、伊豆の豪族北条時政の力を借りて関東で兵をあげる。<< 戻る
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平清盛が太政大臣になる

1167年、平清盛が武士で最初の太政大臣になる。→日宋貿易<< 戻る
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平治の乱

1159年、平治の乱。平清盛と源義朝の争い。清盛は義朝を討ち、その子頼朝を伊豆に流す。<< 戻る