便り 荘厳寺-京都府京都市下京区 ・荘厳寺 時宗 京都府京都市下京区富小路通五条南入本塩竃町592-2荘厳寺は、応永12年(1405)遊行11代自空上人の弟子義縁和尚の創建です。かつては、高辻の北側・油小路堀川の間・東西72間・南北45間半(明治初年以来の明細書)あり、高辻道場佛光山荘厳寺と呼びました。同時に法性寺中将親信を始め、諸人の寄進により数多くの寺領を有りしていました。(リンク先より) << 戻る 1405.01.01 便り年表
便り 長蓮寺-岩手県奥州市 ・長蓮寺 真宗大谷派 岩手県奥州市前沢区前野66室町時代の応永11(1404)年、長順和尚の開基と寺伝にあり、前沢では2番目に古く600年の歴史を有りしている。開祖親鸞が興した浄土真宗の念仏の教えは、東日本にも教勢をのばし、高弟二十四輩の一人、和賀の是信房が長蓮寺を開いたという別の伝えもある。白鳥では唯一のお寺で、一関市厳美の中世の農村集落骨寺村遺跡との関わりも深い。(リンク先より) << 戻る 1404.01.01 便り年表
便り 退蔵院-京都府京都市右京区 ・退蔵院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町35(1404年)、室町時代の応永年間に当時の京洛に居を構えた波多野出雲守重通が高徳のきこえ高い妙心寺第3世をつとめる無因宗因禅師への深い帰依によって、無因宗因禅師を開山として建立されました。これが退蔵院のはじまりです。(リンク先より) << 戻る 1404.01.01 便り年表
便り 慈光寺-新潟県五泉市 ・慈光寺 曹洞宗 新潟県五泉市蛭野870時の嶽城主・神戸太郎最重が室町時代初期、応永10年(1403)頃、岩船・耕雲寺の傑堂能勝禅師の道風を慕い、師を勧請して中興の祖となし、爾来、禅刹として再興。ご開山・傑堂能勝禅師は、南北朝時代、後醍醐天皇を支えた楠木正成の直孫と伝えられる。早くから祖父・正成の意志を継いで、南朝の再興を願い、一族と共に良く奮戦するが、25歳の時、相手方の弓矢により足を痛められ治療の折、仏典を読み戦国乱世の虚しさを感じ、諸方に多くの禅匠を参じた後、越前・龍沢寺の梅山聞本禅師の会下に投じ、禅の奥義を究めたといわれている。(リンク先より) << 戻る 1403.01.01 便り年表
便り 可睡斎-静岡県袋井市 ・萬松山 可睡斎 曹洞宗 静岡県袋井市久能2915-1創立 応永八年(1401年)開山 如仲天誾禅師(じょちゅうてんぎんぜんじ)本尊 聖観世音菩薩を本尊とし、高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と太祖常済大師(たいそじょうさいだいし)を両祖とします。さらに宗派を越えて古来より火伏せの神とあがめられて全国津々浦々に奉祀 されている秋葉様の日本唯一のご真躰を安置されている秋葉総本殿三尺坊大権現の道場である。(リンク先より) << 戻る 1401.01.01 便り年表
便り 永敬寺-福岡県京都郡 ・永敬寺 真宗大谷派 福岡県京都郡みやこ町勝山黒田2809創建は1400(應永7)年。眞譽玄下が現在地に小庵を建立し、浄土の教えを弘める。 榮心、清玄が法統を継ぐ。現在地の小字である浄土寺は、これに由来する。開基は1669年(寛文9)年。地頭藤平吉右衛門の孫・良傳は本山(浄土真宗・東本願寺)より寺号を允許され、法統連綿として現在に至る。(リンク先より) << 戻る 1400.01.01 便り年表
便り 西方寺-長崎県佐世保市 ・西方寺 曹洞宗 長崎県佐世保市八幡町5-131400年初頭に相浦町洪徳寺住職のご隠居の庵『帰一庵』として、相浦町に誕生したといわれています。その後、赤崎町に移転をし信仰を集めましたが、戦国時代佐世保城へ転封された赤崎伊予守(開基家)が赤崎町より現在の場所にお寺を移して以来500年、佐世保の中心のお寺として現在にいたります。(リンク先より) << 戻る 1400.01.01 便り年表
便り 正光寺-千葉県袖ヶ浦市 ・お地蔵さんのお寺 正光寺 真言宗智山派 千葉県袖ヶ浦市蔵波1662延命山正光寺は、今を遡ることおよそ600年前、 應永6年(1399年)に、在原善政氏により創建されました。その後荒廃するも、元禄の頃 元清法印が中興開山し、以来師資相承され、またお寺の周辺袖ヶ浦市蔵波地域には、在原姓が多く、伝説では平安時代 六歌仙の一人で、 伊勢物語の主人公である在原業平の末裔とも語り継がれ、在原家の一族を中心にお寺が護持されて今日に至っています。(リンク先より) << 戻る 1399.01.01 便り年表
便り 常圓寺-長野県伊那市 ・常圓寺 曹洞宗 長野県伊那市山寺3251応永六年(1399)に信濃国西伊那部村西山の内(現在の伊那市横山)の寺社平に開創されました。現在は記念碑が建っています。 その後、百年を経て文亀元年(1501)に賢甫宗俊禅師により開山され、現在地の字上の原山王権現(現在の伊那市山寺区)に移転再興されたのは天正九年(1581)で、五世造天弘宅大和尚のときであり、開基は御園の御子柴六左衛門茂久です。(リンク先より) << 戻る 1399.01.01 便り年表
年表 鹿苑寺(金閣寺)-京都府京都市北区 ・鹿苑寺(金閣寺) 臨済宗相国寺派 京都府京都市北区金閣寺町11397年、足利義満が京都の北山に金閣寺を建てる。北山文化。 << 戻る 1397.01.01 年表
便り 平福寺-長野県岡谷市 ・平福寺 真言宗智山派 長野県岡谷市長地柴宮3-3-22彌林山平福寺は、弘法大師空海(774-835)の密教を擁護する道場として開創されました。その開基は不詳ですが、諏訪下神宮寺僧・憲明阿闍梨(?-1396)の中興とされ、隆盛時には伽藍七宇・門徒十一坊を有する大寺院であったとされます。また傍らに正八幡大菩薩の社があり、仏殿にはその本地仏・阿弥陀如来が安置されていました。(リンク先より) << 戻る 1396.01.01 便り年表
便り 蔵興寺-静岡県浜松市南区 ・蔵興寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区新橋町1325-1山号を金剛山・寺号を密厳蔵寺と称し真言宗にして当時隆盛を極めたが、その後幾多の盛衰を経て後小松天皇の御代、応永三年(1396)記室禅師が入寺して臨済宗に転ずる。遠州、奥山、大本山方広寺派に属し山号を宝的山、寺号を蔵興寺と改称し、大通院塔頭、竜珠菴と合併し今日に至る.(通称、虚空蔵寺)(リンク先より) << 戻る 1396.01.01 便り年表
便り 昌運寺-京都府向日市 ・昌運寺 西山浄土宗 京都府向日市物集女町中条38当山は、応永3(1396)年、室町時代に中山道嘉和尚によって開山された西山浄土宗(本山:長岡京市 総本山 光明寺)末の寺院です。御本尊は阿弥陀如来ですが、脇佛に地蔵菩薩が安置されております。(リンク先より) << 戻る 1396.01.01 便り年表
便り 大通寺-岡山県高梁市 ・大通寺 臨済宗佛通寺派 岡山県高梁市備中町布瀬10711395(應永2年)開山 開祖 第一代 千畝周竹和尚臨済宗大本山天竜寺派渓林山大通寺 明治末期に臨済宗大本山佛通寺派(三原市)に属し現在に至(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 専称寺-福島県いわき市 ・専称寺 浄土宗 福島県いわき市平山崎字梅福山5梅福山・報恩院 専称寺。本尊は阿弥陀如来像。およそ600年前の応永2年(1395年)の開山。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 報恩寺-千葉県野田市 ・野田厄除大師大師山報恩寺 真言宗豊山派 千葉県野田市中野台651-1報恩寺は応永二年(1395)宥譽上人の開創と伝えられておりますが、下寺であった堤台地蔵尊の本尊の台座にその年代が彫られていることがその根拠となっております。もともと野田市堤台にあって堤台八幡神社の別当として、江戸時代には末寺二十四ヶ寺を有する本寺として、徳川幕府より御朱印状五石を拝領しておりました。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 龍眼寺-東京都江東区 – 萩寺 ・龍眼寺 通称萩寺 天台宗 東京都江東区亀戸3-34-2龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 青苔寺-山梨県上野原市 ・青苔寺 臨済宗南禅寺派 山梨県上野原市上野原鶴島611青苔寺は山号を飯盛山とする臨済宗南禅寺派の禅宗のお寺です。鎮守は青苔寺の上に位置する神明社の神明大明神としています。応永2年(1395)今から約600年前に敕謚法光圓融禅師(峻翁令山)に拠って開創されました。開基は小俣家とされています。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 圓通院-宮城県大崎市 ・圓通院 曹洞宗 宮城県大崎市三本木新沼字二又145-1当通龍山圓通院は第百代後小松天皇代の応永元年(一三九四年)上州(群馬県)白井村の最大山雙林寺三世曇英慧応大和尚によって開山された通幻派最乗寺系の寺院であり、御本尊は聖観世音菩薩であります。かつては鳴瀬川北岸に境内面積約二千坪を有する大伽藍でしたが、大正二年の鳴瀬川流域の大洪水の為、大正四年五月に現在地に移転し今に至るものであります。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 圓福寺-秋田県潟上市 ・圓福寺 臨済宗妙心寺派 秋田県潟上市昭和大久保槐川端22-1寺伝によれば、応永年中(1394-1427)、現在の阿弥陀堂地区の肝煎伊兵衛により阿弥陀如来の金銅仏を土中から発掘し、草庵を建て安置したのが開創の端緒である。文禄年中(1592-95)大久保村に移転、壽峰宗寿和尚を開山として、祿壽山圓福寺と称した。 本尊仏は華厳釈迦三尊佛 (釈迦、文殊、普賢)で、藤原成長作と伝えられている。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 常保寺-東京都青梅市 ・瀑布山常保寺 臨済宗建長寺派 東京都青梅市滝ノ上町1316当寺は、昭和39年発行の「稿本青梅市史第6集」によると、応永年間(室町時代・西暦1394年)天ケ瀬町の真言宗金剛寺の第2世により創建されましたが、西暦1400年代頃になり、山梨県の塩山恵林寺より吹峰宗陰禅師が赴き臨済宗に転宗となりました。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 本誓寺-岡山県新見市 ・本誓寺 臨済宗永源寺派 岡山県新見市大佐田治部3952当寺に記録はないが、大佐町史記載の本誓寺遠起によると開基応永年間(1394年~1428年)で「開基東郷左金吾・神応道安大居士」開山重雲大和尚となっている。その場所は、現在の新見市大佐田治部3885番地の1で、虎勢山裏山東方向に位置し、現在寺屋敷跡地は寺所有の山林となっています。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 浄珠院-愛知県岡崎市 ・浄珠院 浄土宗西山深草派 愛知県岡崎市上和田町字北屋敷55上和田浄珠院の濫觴は、人皇第三十一代用明天皇の遺勅により造立された、上宮太子(聖徳太子)直作の孝養像を安置し、慈覚大師(天台中興の祖、円仁)が人皇五十四代仁明天皇承和年中(834~848)に創建された道場で、清光山大海寺と号す。その後、星霜相遷り、堂宇廃絶せしを、応永年中(1394~1428)、開山教然良頓上人(松平二代泰親の長男)京都円福寺の会下より故郷に帰り、仏殿を造立し、元の天台を浄土と改宗して、浄珠院と号した。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 海蔵寺-広島県広島市西区 ・海蔵寺 曹洞宗 広島県広島市西区田方1-1-13応永年間(1394~1427年)中国の僧慈眼禅師が創建し、永正元年(1504年)曹洞宗に改宗したと言われている。ご本尊は十一面観音で応永時代の創建当時にお迎えしたらしく、仏師集団である印派(いんぱ)に属する仏師により造像されたと思われる。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 龍護寺-石川県羽咋郡 ・龍護寺 曹洞宗 石川県羽咋郡志賀町酒見門前67応永元年(1394)に開かれたお寺で總持寺五院の如意庵開基、実峰良秀禅師によって開かれました。開創にまつまる竜の伝説が残されていて、伝説に基づく湧き水「龍護水」が今でも境内裏の谷からこんこんと湧き出しています。古くより竜宮に通ずる霊場と云われ、ここからついた「りゅうぐうでら」と「りゅうごじ」が訛って、地元の人には「りゅうぐじ」と呼ばれています。<< 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 興正寺-茨城県常総市 ・興正寺 時宗 茨城県常総市本石下172後小松天皇の御代、南北朝合一の成った、明徳四年八月(西暦一三九三)臨済宗として、平田慈均禅師によって開かれた。後土御門天皇の御代、応仁の乱後、文明二年(一四七〇)五霞村六国山東昌寺開山、即庵宗覚禅師の弟子、能山寿聚芸禅師を迎い、曹洞宗に改め、能山を開山第一世とし現在に及んでいる。慶安元年八月(一六四八)徳川家光公の帰依するところ厚く、御朱印地三〇石を賜り、寺門興隆の資に充てられた。(リンク先より) << 戻る 1393.08.01 便り年表
便り 心光院-東京都港区 心光院 浄土宗 東京都港区東麻布1-1-5明徳4年(1393)、江戸の「貝塚」(現在の千代田区麹町付近)の地に酉誉聖聰上人が増上寺を開山し、山内に学寮として庵を結んだことからと伝わります。 慶長3年(1598)、増上寺は徳川家の菩提寺に定められ、現在地である芝への移転に心光院も随行しました。将軍の霊廟や子院学寮をいただく芝増上寺は、浄土宗の東国の要として発展します。やがて心光院は、元禄8年(1695)、徳川二代将軍秀忠公(台徳院殿)菩提のため、増上寺の別院・念仏道場となりました。(リンク先より)<< 戻る 1393.01.01 便り年表