三重県

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新大佛寺-三重県伊賀市

・新大佛寺 真言宗智山派 三重県伊賀市富永1238新大佛寺は、今から約800年前(1196年)後鳥羽法皇の勅願により、源頼朝公の協力を得て、国家の安泰と国民の幸せを祈る、一大祈願道場として又、東大寺伊賀別所として建立されました。ご本尊様は、快慶作の高さ約5メートル木彫大仏様(重要文化財)で、最初の上人様は俊乗房重源と申し、奈良東大寺を復興された上人様です。このことから、東大寺に敬意をはらって、寺号に「新」を加え、新大佛寺と名づけられました。(リンク先より) << 戻る
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蓮蔵寺-三重県津市

・蓮蔵寺 天台真盛宗 三重県津市戸木町2078この寺は凡そ1040年余り前、応和3年(963)慈恵大師の創建と伝えられています。その後寛和2年(986)恵心僧都によって念仏道場として再建されました。延徳元年((1489)に真盛上人が恵心僧都の跡を継ぎ、法灯をかかげて不断念仏を再興し、円頓の妙戒を授け、「十方有信の四衆雲の如く集ひて財を投じ、堂舎を造立す」と記されています。(リンク先より) << 戻る
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仲福寺-三重県津市

・仲福寺 真言宗醍醐派 三重県津市大里窪田町2302弘仁三年二月上旬に、弘法大師が天照皇大神宮へご参詣の際、当寺の林の中が金色に光っていることに気付きました。そこへ立ち寄ってみると、大木の元に八枚からなる蓮花の上に十一面の尊像が現れ、弘法大師は大光普照観世音として礼拝し、その大木に十一面観音を彫刻し当寺のご本尊として日天八王子を御勧請なされました。(リンク先より)※弘仁三年 812年 << 戻る
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明源寺-三重県いなべ市

・明源寺 浄土真宗本願寺派 三重県いなべ市東禅寺562平城天皇の大同3年(808年)、比叡山・延暦寺を建立され、天台宗の開祖である伝教大師・最澄法師が、仏法を広げられるため、当地に御逗留となり、薬師如来を本尊とし観音菩薩を脇侍として、一寺を建立され、足下山(たしたさん)円頓院(えんどんいん)東禅寺と名付けられました。明源寺の根本資料である『明源寺由緒書』によれば、東禅寺の規模は、七堂伽藍を完備した寺院で有ったとあります。(リンク先より) << 戻る
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聖宝寺-三重県いなべ市

・聖宝寺 臨済宗妙心寺派 三重県いなべ市藤原町坂本981平安初期大同二年に天台宗の開祖・伝教大師最澄大和上によって開かれ、当時は七堂伽藍を有する広大な境内があり、僧兵も在住していたといわれています。当寺の庭園は藤原期の造庭と推測され、回遊式の大きい池は別名浄土池と呼ばれ、浄土の世界を表していると伝えられています。(リンク先より)※大同二年 807年 << 戻る
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常福寺-三重県伊賀市

・常福寺 真言宗豊山派 三重県伊賀市古郡559創建は、養老六年(722年)。徳道上人開基。和州豊山長谷寺(総本山長谷寺)の開基である徳道上人が、長谷寺本尊の十一面観世音菩薩執行成就後に当地に於いて、「南面が晴れて霊鷲山に良く似た名利の地である」として、長谷寺本尊十一面観世音菩薩造立の余材を用いて稽文會・稽主薫の二人の仏師に命じて本尊五大明王(五大尊)を造り、仏閣を修造した後、天平二年(730年)聖武天皇に上奏して勅願寺に定められました。(リンク先より) << 戻る
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長谷寺-三重県津市

・長谷寺 臨済宗相国寺派 三重県津市片田長谷町230当山の開基は徳道上人で、その創設については大宝年間(七〇一~七〇四)と伝わる。大和の長谷寺を模したものとして多気郡多気町にある真言宗山階派の近長谷寺に対し遠長谷寺とも呼ばれております。(リンク先より) << 戻る
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飯福田寺

大宝元年(701年)、役小角(えんのおづぬ)により開創された霊場である。広大な表行場・裏行場を有りし、古来より諸侯国司をはじめ、信奉の参拝者は多く、北畠家の祈願所として栄える。また、天正11年(1583年)には、織田信雄に寺領・百十五貫文を寄付されたが、松坂城主・蒲生氏郷により、当山の伽藍を壊し、その材を用いて松坂城を築くなど、衰退の止む無きに至る。その後、津藩主・藤堂家の信奉を得、寺運は興隆し、今多くの人々が修行と順拝に参詣している。(リンク先より)・飯福田寺
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蓮光院初馬寺-三重県津市

・蓮光院初馬寺 真言宗御室派 三重県津市栄町3丁目210聖徳太子が厄除け・病気平癒のため開創されたお寺と伝えられております。即ち、太子42歳の厄年の時(614年)東の四天王寺建立を発願せられ、この伊勢の地に来られたおり、急に病に罹られ造営も太子の意のままにならず、そこへ加えて都より使いの者が現れ、御母と正妃がご不例である旨を伝える。太子は大層ご心配になり、師であった高麗の僧、慧慈に「如何せばや」と計られたところ、慧慈は徐に口を開き「聖体今年42歳の厄難の悪しき年廻りにあらせられる。伏して乞う、伽藍の艮(うしとら)の方角に馬頭観世音菩薩を彫み、法報二身を併せ安置し除難の法を厳修したまえ」と申され...